これは何でしょう |
道路事情が悪く、三輪車でないと街中を移動できません。三輪車をもらう順番待ちリストがあり、寄付が集まったところで新品が出来て手に入れられます。チャワタ作業所の中庭にて。
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タンザニアではほんの少しの資本があれば商売が始められる。もちろんそれを続けるにはその人の能力や工夫が必要である。例えば棒石鹸(上左の写真)を1本500シリングで買って6個に切って、1個100シリングで家の前で売れば100シリング儲かる。タバコも1箱買って1本づつ売っても儲かる。みんな棒石鹸1本やタバコ1箱を買うお金が無いので商売が始められないのだ。チャワタも寄付が主な資金源であれば、安定した活動が出来ないので、はじめの資本を応援することによって、何かチャワタや障害を持った人が収入を得ていく道は無いのか渋谷さんと手紙でやり取りしていた。今回のツアーで見学したような牛銀行やミシンプロジェクト、コンピューター指導の話も出ていたが何をするにもそのプロジェクトを運営管理する人材が必要なのだ。渋谷さんは理学療法士の後任のほかに、運営を指導する隊員の要請も出していた。そうこうしている間に渋谷さんの健康診断の結果が思わしくなく、帰国して精密検査を受けることになった。残念なことに帰国後、膠原病と分かり2000年4月に渋谷さんは他界した。この場を借りてご冥福をお祈りしたい。
渋谷さんと入れ替わりのように、タボラのミランボセカンダリースクールで数学を教えるために私の後輩隊員森田さんが赴任した。森田さんもやはりタンザニアの人にはまかせきれず、渋谷さんの後をついで、渋谷さんの後任が来るまでの間、バザーの運営管理をしていた。1着1着の値段まで記録して日本に結果を送ってくれてとてもありがたく思っていた。私には出来ないことだ。また、コンピュータープロジェクトを立ち上げようともしていた。しかし、今思えば、彼はチャワタのことでとても苦労していた。肩の力を抜いて、ムリの無い出来る範囲でやればいいし、ロスがあってもタンザニアの人に任せてもいいのではと早めにはっきり伝えるべきだったのかもしれない。カリムさんや渋谷さんとの絆もあり、チャワタの隊員ではないのに森田さんは様々な問題に巻き込まれながら、非常にがんばっていた。2001年1月には理学療法士隊員の棚橋さんが赴任したが、チャワタのメンバーが、チャワタの書類などを盗んだため警察に捕まったことで、協力隊事務所の判断により、任地替えを余儀なくされた。森田さんとカリムさんも警察に呼ばれ、カリムさんはチャワタのリーダーを退き、森田さんもチャワタにかかわることを辞めた。カリムさんは、かげながらチャワタを応援しているとのことだったので、私達はそのままチャワタに贈り物を続けることにした。
チャワタの現在の活動は、溶接と木工とミシンの作業所が行なわれていて、リハビリは指導者がいないため行なわれていない。主に障害者のリーダーが集まって政府に福祉の向上を訴えることに力を入れているようだ。今回のミーティングでは、チャワタは第一に指導者(特にリハビリ)に来てほしいとのことだが、組織として問題があったため、それはしばらく無理だからきちんと組織を建て直して欲しいと伝えた。次に、障害のある子供達のためのボールや装具、楽器を贈ってもらえればうれしいとのことだった。私達のほうからは、贈ったものがどのように使われたのか、教えてもらえれば、私達がそれを日本で伝え、それを聞いてチャワタを応援しようとする人も増えるだろうと伝えた。
今回のミーティングに集まったリーダーの人たちは、教養もあり、自分の意見をはっきり述べることのできる人たちだった。今後、福祉の向上のために政府に働きかけるだけでなく、組織を立て直し外国からのボランティアを受け入れる体制を作ったり、自分たちで工夫して活動していくことを願って応援していきたい。 (米澤 記)