鎌倉古道 周辺を歩く

巡礼供養塔(川辺の道)〜長慶寺〜本郷ふじやま公園(古民家)
            〜八幡神社〜證菩提寺(川辺の道)



巡礼供養塔
 巡礼供養塔に花が手向けられている。振り返ると、川面から午後の陽光が照り返し、眩しく感じる。

 ここは つん が週末などに、よく散歩している川辺の道の道端なのです。

 供養塔の側面にはェ政三辛 三月吉日の日付が彫られているのが読取れる。(帰宅後に調べたところ、二百十四年も前のものでした)

 今日は鎌倉古道の辺りを、少し歩いてみようと思い、家の玄関を出たんです。
 住宅街の路地を抜け、本郷小学校の所で車の渋滞の続く環状4号(原宿六浦)線を横断しました。
 金沢八景方向に少し進み、カラオケ・パブ店の所で左折しました。瀬上沢にかかる橋を渡ると長慶寺の参道になっていました。
 長慶寺はもとは天台、真言二宗を兼ねる密教道場で大船の玉縄にあったと言われ、それが鎌倉時代に浄土真宗に変わり、この地に移ったと伝えられています。


鐘 楼
正面から右にまわり込むようにして境内へ御邪魔しました。
本堂前、右手には立派な鐘楼もありました。

本堂 左側の石仏の中の地蔵の右側に、こんな可愛い
双体道祖神をみつけました。

最近のものの様ですが、おもわず頬が緩んでしまいました。

長慶寺を後にして、通称ふじ山と呼ばれている、
本郷ふじやま公園に向いました。

 たいへん立派な弓道場前の駐車場から、ふじ山に登りました。
始めは、この辺りに多い竹林の道を とぼとぼと歩いて行きます。

やがて階段状の登りとなり、落葉を踏みしめながら歩いて行きます。
冬枯れの枯草と落葉の中にタチツボ・スミレを多くみました。
すみれの花咲く、その時期が今から楽しみです。

   やがて道は下りとなり、霜柱が溶けて緩んだ、歩きにくい道を行きます。
先に進むと、やがて大きな民家風の建物が眼に飛び込んできました。

長屋門

主屋
この立派な古民家は、昔この地の名主を務めた
小岩井家から寄贈をうけ、移設復原されたものだそうです。

  写真は主屋と主屋からみた長屋門(表門)の佇まいです。
ほんとうに風格があり、江戸時代の名主の屋敷の美しさが
感じられます。

主屋と長屋門、共に市の文化財に指定されているそうです。
中に入ってみました。「おぉ〜懐かしい かまどだぁ〜」

つん は井戸で水を汲み、かまどで飯を炊き、
そして、ひちりん で魚を焼いた生活を
経験しているのです。 あぁ〜歳が、ばれる〜。

   表にまわって座敷を覗いてみました。
鮮やかな雛壇が飾られていました。
やはり随分と立派なお雛さまでした。

公園の脇から左手の方向を覗き込んでいます。
何やら、こんもりとした大木の森が見えます。
次にめざす八幡神社の森でしょうか。

坂を少し下って神社と思しき所に向いました。
途中、住宅地の地番は鍛冶ケ谷一丁目と書いてありました。

やはり、ありました。八幡神社です。
大銀杏の脇を通り、境内に入り鳥居を潜ります。


八幡神社の森
 この八幡神社は鍛冶ケ谷の鎮守であり、祭神は応神天皇、速玉之男命、須佐之男命の三柱となっているそうです。創建の年代などは不明ですが、天正八年の修理時の棟札が残っているそうです。

多数の石仏群

八幡神社
 階段登りの途中で、左側に多数の石仏や石碑類があるのに気付きました。

 青面金剛と彫られた庚申塔。猿田彦大神の石碑、二十三夜供養塔や数体の石仏。

 正に石仏、石碑類のオン・パレード状態です。当然の如く、三猿も健在でした。

 「やったぁ〜」

 参拝を済ませ、八幡神社を後にしました。
 今日の散策の最後は、治承四年石橋山で戦死した家臣の霊を弔うために、源頼朝が創建したと伝えられる證菩提寺に向いました。
 稲荷森バス停前の信号を右折し、環状4号線を渡り返しました。そして青葉橋を渡ると證菩提寺前に到着です。
 名刹、証菩提寺。この寺が建立された本当の理由は、鎌倉への交通の要衝を守るための軍事的な要塞としての役割が大きかったと言われています。
 寺は山地を造成して造られており、先ほどまで つん が歩いてきた、ふじ山から八幡神社付近の山地との間を通る鎌倉道を守るための任務があったようです。

 また、先ほどの鍛冶ケ谷の地名は、武器の生産のために職人を集めたことから来ている様です。

 なお、この寺にある平安期の阿弥陀三尊像は、国の重要文化財に指定されているそうです。(本堂脇の宝物庫に、安置されているそうです。)


 梅の花を愛でながら、川辺の道を歩き。
帰途につきました。

今日の散策時間は、凡そ二時間弱といった
ところでした。 でも、疲れましたぁ 〜。

   つんの
とぼとぼ