とぼとぼ 鎌倉 (その6)

五社稲荷神社〜大長寺〜西念寺〜多聞院(熊野神社)〜常楽寺



今日は昨日と比べ、天気も良いようだ。
ベランダに出て空模様をうかがった。

なぜか芳しい梅の香を感じたような気がして、
久しぶりに外に出て少し歩いてみた。



  先ず向うは岩瀬の氏神で、五社神社、五所の宮とも呼ばれている五社稲荷神社です。
二ケ月程前、しばらく入院していた共済病院脇の道を市境界にある神社に向いました。

  鎌倉女子大の裏にある五社稲荷神社は、鎌倉市の外れに横浜市に接して在ります。
参拝を済ませた つん 付近を探索。「この辺に無いかなぁ〜」あれを探していたのです。

あ・・あった、あった「三猿だぁ〜」。ここには、何組もの庚申さんが奉られていました。

  写真の右のものは文政六年の銘が、左のものは延寶七年の銘があり十二月十五日
の日付が左側に彫られていました。その他、都合6基の庚申さんを目にすることができ
「満足・・・、満足・・・」の状態で、引き揚げました。


五社稲荷神社

三猿だぁ〜
 五社稲荷神社から鎌倉女子大前にでてきました。鎌倉街道沿いに女子大のグラウンド脇をとぼとぼ歩いて行きます。暫らくすると神奈川スバ○の手前左奥に冠木門(かぶきもん)がみえました。大長寺です。

 この大長寺は後北条氏第2代氏綱の養子綱成が創建した寺で、本堂には阿弥陀三尊の本尊と朝倉氏座像という北条氏綱夫人の像があるということです。境内に入ってみました。やはり誰もいません。


立派な冠木門

大長寺本堂
 大長寺には徳川家康やその父松平広忠の位牌も置かれているということで、やはり徳川家との繋がりが大きいのでしょうか、本堂手前左の建物の扉には大きな葵の御紋が付けられていました。

葵の御紋が

梵鐘もありました
 次は案内標識に導かれて西念寺に行ってみました。今日は日曜日ということもあり、住職さんでしょうか、本堂から講話の声が聞こえていました。

西念寺本堂

さ〜て これから
 西念寺前の通りに出て、案内板をみながら次は何処に行こうか〜などと考えていると、道路脇に丸い大石があるのに気がつきました。力石というそうです。大きい方が男、小さい方が女の厄年の重さだそうです。昔この辺りの若者が、この石で力比べをしたのでしょう。

 しばらく考えて、次は多聞院まで足をのばすことにしました。
 住宅街の小道を進み砂押川を渡ると上り坂になりました。左に岩瀬中の校舎を見ながら坂を登り、長短二つの隧道を潜ると下り坂になりました。

 坂の上からは正面(西方)に、雪を纏った山塊が綺麗に見えました。枯れた蓮の葉の浮く池を左下に見ながら坂を下ると多聞院に到着です。

 多聞院(真言宗)は 文明年間に開創されたといわれています。当初は観蓮寺と云い山ノ内にあったものを、後に現在地に移築して改名したそうです。

 本尊は寺の名からも分かるように、多聞天ともいわれる毘沙門天です。また、この寺には有名な仏師である運慶が造り直したと伝えられる十一面観音も居わします。

 中に入ってみました。綺麗に手入された境内。本堂前の立派な紅梅の木。枝先は、只今満開状態と云ったところで、馥郁たる花の香が境内に漂っていました。

 ふと、脇をみると奉納 波切 不動尊と書かれた奉納額が掛かっていました。御札には 大工、船釘、生あん、酒 などと奉納者達の家業と関係すると思われる語彙もみられ楽しかったです。

多聞院本堂と咲ほこる紅梅
 多聞院の横を見ると熊野神社の鳥居があります。昔から多聞院が熊野神社の別当職になっていたといいます。鳥居を潜り階段を上って行きます。階段を上り詰めると左手には立派な舞殿もありました。

熊野神社の鳥居
 今日の寺社巡りの最後は常楽寺にしました。北鎌倉美術館への分岐を右折し鎌倉街道を横断します。大船駅方面に僅かに歩いた右側に常楽寺の参道がありました。

 常楽寺は臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉幕府三代執権・北条泰時が夫人の母の供養の為に建立した粟船御堂に始まるそうです。

常楽寺山門
 参道を進むと立派な山門がみえます。山門には粟船山と書かれた額が掛かっています。額には建長素堂とも書き込まれていました。衣服を検め境内に失礼しました。

山門の額

木立の奥に文殊堂(左)と仏殿(右)
 銀杏の木立の奥に二つの伽藍がみえます。右の大きな方が仏殿でしょうか。左手奥にも立派な建物が ・・・。

 阿弥陀三尊の祀られた仏殿は開帳されていました。秋虹殿と呼ばれる文殊堂の本尊である木造文殊菩薩坐像は一月二十五日の文殊祭以外は開扉されない秘仏だそうで、文殊堂の方はあと一年待たねば為りませんでした。

阿弥陀三尊を拝する

本尊阿弥陀三尊像を安置する仏殿は神奈川県指定の重要文化財だそうです。
仏殿の阿弥陀三尊と天井の雲龍を参拝しました。

木造の阿弥陀三尊像は室町時代の作。
仏殿の天井には狩野雪信筆の力強い”雲竜”が描かれていました。

  阿弥陀様は仏を信じ、その名を唱えれば、死後ただちに
極楽浄土に生まれ変ると信じられている仏様だそうです。


「 うぅ・・・ん、死んでからか。幸福に為れるのは ・・・ 」
いや、そうではなくて・・・。
死んでからも今の幸せが続くということ 。。。
「ふぅ・・・ん、現在の幸せね ・・」

「 ・・・・ 南無阿弥陀仏 」



参拝を済ませ、大通りまで出てきた つん 「さ〜て、どうするか〜」

結局、鎌倉街道沿いに家まで歩いて帰りました。
つん が家の玄関を出てから、帰り着くまで二時間ほど掛かりました。


   つんの
とぼとぼ