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U-07

ロイと連絡が取れなくなったと、ホークアイ中尉から連絡が入った。
東方の最高司令官からちょっと行ってきてよの一言で、南方へ出張が決まったと言う。何かね、ワシの悪友が困ったことになっちゃったみたいなんだ。そんな言葉に急かされて、奴は慌しくたった1人で取るもの取らず出発したらしい。――その後、南方に到着したロイから、何かおかしな展開になってきたようだと電話が入り、定期連絡が途絶えて今に至ると。

ホークアイ中尉が、ロイとのコンタクトが途絶えてすぐにそれとなく南方に探りを入れてみても、まだこの時点で南方司令部は事態を把握していなかった。
東方に正式に通達が入ったのは、ロイと連絡が取れなくなって2日後だった。
「マスタング大佐が昨日の会議に無断欠勤され、現在連絡が取れません。何か連絡は入っていませんか?」
南方側の第一声である。その会議の前日は、アエルゴ軍によるテロ現場の視察に行ったらしい。しかも、その後現地解散したと言う。
南方側はあくまでも、ロイと連絡が取れなくなっている状況に対して、自分たちの関与を完全否定した。さらに、マスタング大佐はサボリ癖があるそうですねと、暗にその責任を転化する。
ロイの突発的なこの出張での護衛は、全て南方が取り仕切っていた。そのため、護衛対象の行方を掴めないというのは大きな責任問題に発展する。しかも、焔の錬金術師だ。もし事件に巻き込まれての失踪、誘拐だとしたら、国家の一大事として、東方のみならず中央や国家錬金術師機関までもが南方入りすることになるだろう。できるだけ内政に干渉されたくない南方は必死に関与を否定したが、半日も経たない内に、その通達は訂正された。
「マスタング大佐は、南方司令官より秘密裏に、ある作戦を申し渡され、その特別任務を遂行中です。ただいま、連絡は取れない状況にあります」
しかし、これもまた数時間後には訂正されることになった。
「マスタング大佐と連絡が取れません。目下、行方を捜索中です」
明らかに、南方司令部内で情報が交錯していた。いや、そう考えるより、命令系統がその意思を統一できていないのか。南方の有力者の誰の言うことを立てるかに、司令部は奔走していた。その上、有力者の1人である、東方司令部最高司令官の悪友という将軍とも連絡が取れなくなっているということも、この事態に拍車をかけているのだろう。

南方はその国境沿いにアエルゴを配し、常に小競り合いを続けている。そうなると、莫大な年間予算の大半が軍事費に割かれる。戦争は金がかかる。天文学的な金が動くところには、必ず水面下如何に関わらず、その利権争いが生じている。それは軍閥と複雑に絡み合い、底の見えないこの国の暗部を形成していた。
ロイ、お前はこの利権争いに巻き込まれたんじゃないのか?
俺はお前を信じる。お前は何処にいるんだ?
聞こえないお前の声を聞くのは、いつだって、俺の役目だ。


U-08

軍法会議所の朝は早い。

案件を立件するための過程は、複雑で根気のいる作業である。下調べを十分に行い、考察を重ねて、場合によっては現場まで赴く。いくら時間があったとしても、この忙しない生活が変わることすら想像する余裕はなかった。
個々の能力をそれなりに考慮されつつも、1人1人が担当する案件は常に複数を数え、それぞれの締め切りが終わりなくやってくる。それでも、自主的に朝早くから職場へ出るのは、この仕事がやりがいのある仕事であり、この国にとって必要不可欠なことだと理解しているからである。私たちは自分の仕事に誇りを持っている。

軍法会議所の要はまだ20代という若きマース・ヒューズ中佐だ。彼ほど有能であり、それを若くして評価された人物はそうはいないだろう。しかも、ずば抜けて優秀な人間特有の冷たさがなく、人間味が豊かで、妙に人好きする人物だ。軍法会議所の勤める者の多くはヒューズ中佐よりも年長であったが、誰もが彼を上に仰ぐことに誇りを感じている。また、それは純粋な敬意にも端を発していた。ヒューズ中佐の仕事は案件の立証以外にも、部下の作った案件に目を通して認可印を押したり、地方や中央からの横槍に対応したりと枚挙にいとまが無い。しかし、この軍法会議所の中で最も多く担当案件をもつ中佐が、基本的に自分の担当する案件を遅らせたことは一度たりともなかった。



その日、珍しくも朝一番だったのはヒューズ中佐だった。
中佐はどれほど忙しくても、朝は必ず家族と一緒に朝食をとってから出勤することが周知の習慣だった。そして、良きマイホームパパとして名高い中佐の、この習慣を邪魔する者は部下はもちろんのこと、上官にも何故かいなかった。あの案件はどこまで調査が進んだか。案件の進行を一も二もなく知りたがっている高官たちですら、勤務時間内になってからしか中佐に電話を掛けてこない。つまり、早朝、誰もいないこの部屋に一人きりのヒューズ中佐を見ることは非常に稀であった。
中佐は、昨日帰ったときと同じ、机に背を向けたまま座っていた。私が扉を無遠慮に開いた音ですっと振り返ると、早いなと言いながら席を立つ。
「――3番書庫にいる。何かあったら来てくれ」
暗い目をしたまま、言葉少なに部屋を出て行った。

その目は東部内乱終結の頃を彷彿とさせた。あの頃は思い出したくもないほどひどかった。特に、軍法会議所の仕事は内乱終結前後から寝る暇もないほど忙しくなっていった。四方を他国と隣接する海のないこの国は、常に国境で火種を抱えている。7年も続いたこの国の内乱に乗じて、他国の内偵が横行した時期だった。自軍の軍法を犯した者たちの裁判以上に、他国との水面下で行われた情報戦は熾烈さを極めた。
しかし、結果として、この国は東部内乱よって国力が誰の目にも明らかなほど疲弊していたにもかかわらず、他国の侵略を受けなかった。――それは、外交の勝利であると囁かれている。ヒューズ中佐こそ、この外交の切り札となりえる情報を提供し続けたと噂されていた。
それが嘘だと思えないのは、中佐がこの混乱の最中に、何の功績か明らかにされていない異例の昇進を重ねたことと、今だに軍界高官たちが中佐の朝の習慣を邪魔しないことにあった。高官たちは必要以上にヒューズ中佐に関わることを避けている。

その切れすぎる男の親友が、あの焔の錬金術師だと知ったとき、あまりに遠かった存在が突然身近な存在に感じられた。あの状況下で再び戦争になったら、その前線に立つのは錬金術師以外にない。特に、焔の錬金術師は広域に及ぶ戦闘能力を有している。ロイ・マスタング大佐が誰よりも早く戦場に召集されることは目に見えていた。そう思えば、中佐の行動の原点は実に明確だったと言える。
ヒューズ中佐が自らの習慣を破るのならば、あの大佐に何かあったのかと思うのがあまりに自然なほど。中佐は親友を守りたかったのだ。そして、それは今も昔も変わらないのだろう。


U-09

東方司令部の老将軍の悪友はイェーガー将軍と言った。
その昔2人はある美しいご婦人を巡って争い、イェーガー将軍が敗北を帰したと言う。失意のままイェーガー将軍は勤務地を中央から南方に変え、そこで運命的に今の美しい奥方と出会った。そして、大恋愛の末、周囲の猛反対を押し切って結婚を果たすことになる。彼女はただの花屋の娘だった。その後、イェーガー将軍は息子1人娘2人、孫3人と恵まれる。息子の1人は父と同じく軍界に入ったが、父とは違い、権力に固執し中央の財界に強い繋がりをもつ家の一人娘と結婚した。その娘の家は南方の新興の車屋だった。

南方は軍用車の需要が特に多いわけではない。アエルゴと小競り合いが続いている以上、破損もそれなりに多く皆無であると言うわけではないが、その受注は軍高官と強いコネクションがあるところが得る。こういう強硬な繋がりの中に新興の車屋入ってくる余地はほとんどない。だが、この車屋は中央の財界の繋がりから圧力を掛けて南方での軍用車の受注に辛うじて食い込んでいた。例え、受注全体の1割弱しか受けていなくとも単価の大きい軍用車の受注なら莫大の利益になる。そして、それを元手に受注業者を決定する立場にある軍人に金をばら撒いて、更なる受注を受けようと画策するようになる。泥沼の、果ての見えない争いだ。
イェーガー将軍と息子は仲がよくないことは有名だった。息子のイェーガー少佐は父親に、何故軍閥と婚姻関係を結ばなかったのかと詰め寄ったことがある。しかも、公共の場で。頭が弱いと評判の息子だ。

イェーガー将軍の娘2人の内、1人は民間に嫁いでいる。もう1人は軍人とだが、こちらは下士官だ。3人いる孫の内、軍界に進んだものは長男の息子1人だけ。これも出来はあまりよくない。仕官学校の素行、成績共にヒドイものだった。後の2人の孫についての動向は民間人で軍に情報はない。



南方司令部の抱えている問題の1つは麻薬である。東部内乱の時期に軍内に支給されていたものが、終結を期に南方に流れた。民間、軍内ともに出回り、深刻な社会問題になり中央がこの支給されていた薬を徹底的に回収した。もちろん、完全に回収することはできなかったが、広域に張り巡らせていたルートの壊滅には繋がった。流れるモノがなくなれば次第にそのルートは廃れる。
しかし、かつてあったそのルートに目を向けるものは多い。モノが大量にあれば、南方広域に再び麻薬を広め金を搾り取れるのだ。資金力のある組織が未だ暗躍している。挙げ句、最近アエルゴ産の麻薬まで見つかっている。

それから、今、南方で即急に対応を求められていることは人手不足だ。南方は軍人が少ない。東部内乱時に人員が随分割かれたことも原因となっている。南方出身の東部内乱に参加した軍人の多くは退役金をたんまり貰って傭兵になった。もともと南方は、アメストリス屈指の傭兵の多い土地柄であったが、これを期に爆発的に増え、軍に傭兵団を正式に部隊として採用するに至っている。

しかし、南方の問題をあの将軍たちが東方の人間に解決させるようなマネをするとは考えにくい。おそらく、イェーガー将軍の極めて私事に呼ばれたと考えるのが妥当だ。厄介なことだが危険度は大きくなかったはず。そこでヤツは予想外のことに巻き込まれた。そう考えるのが一番現実的だろう。
東方のあの将軍はイェーガー将軍が困ったことになっちゃったんだと言って、ロイの手を借りようとしたことがポイントだ。権力で解決するならじじいどもで事足りる。
そうなると花屋の方に問題があったと考えるほうがしっくりいく。客が来なくて潰れそうだからロイで客寄せがしたいとか。――まあ、それは、金持ちの伴侶がいて考えられないけど。



人があまり寄り付かない書庫の続く廊下に足音が響いた。それが3番書庫のドアの前で止まり、控えめに数回ノックされた。フォッカー大尉だ。
「ヒューズ中佐、東方から書類が届きました」
いいタイミングだ。ホークアイから第一報が入ったときに、彼女はこちらで分かることは全て調べてできるだけ早くお届けしますと言っていた。

大尉から受け取った東方からの封筒は重かった。
「誰が持ってきた?」
「ハボック少尉の隊の者でした」
東方は思った以上に慌しくなってきているようだ。ハボックがひょこひょこ来ると思っていたのに。南方からロイの行方不明の情報が漏れるのは時間の問題か、もう漏れはじめているのかもしれない。


U-10

「ちょっと、自慢したくなったんだよ。うん。だって、ほら、出来のいい婿殿でしょ」
誰が誰の婿だと言うんだ。このクソボケじじい。
ムカついたまま一言も発することなく愛銃に手をかけ、一瞬の躊躇もなく引き金を引いた。
――将軍の座る、あの人が座る椅子よりももっと高級な椅子の背もたれに風穴が開く。
そう、まだこんなじじいでも死んでもらっては困る。
私は同じ質問を再び繰り返した。硝煙の立つ拳銃を握ったまま。
「将軍、何故、マスタング大佐に出張を命じたのですか?」



母方の祖父に当たる、東方方面軍最高司令官であるこの将軍は横目で椅子に開いた穴を見て、肩を竦めた。冗談の通じない孫じゃと小さく呟き、こんなものでは動じないと言いたげな調子で話し始める。
「孫とのジェネレーション・ギャップに苦しんでいると言われたんだよね。その点、わしとマスタング君はツー・カーの仲じゃろう。だから、彼にちょっと上手くいくポイントでも教えてきてよって。彼は快諾してくれたよ」
ツーカーの中。そう、この2人は妙に馬が合う。――サボりたがるという面では特に…。
「それではその日の内に出発した理由になりません」
そんな人でもやり掛けの仕事を無責任にほったらかしにしたまま逃亡はしない。
「奴が仲良くなりたい孫の誕生日が迫っていたんだ。せっかくのアニバーサリーだから、ちょうどこの機会に、と思ってな」
「…………」
だから、全てをそのままにして南方に行ったとでも?
銃を握ったままの手に力が篭り、自然に将軍の眉間に照準が定まった。衝動と理性がせめぎ合うように、ゆっくりと。出しがら以上に干からびて何も出なくなるまで利用してやると心に決めていたのに、今ここでこの引き金を引いてしまっては元も子もない。しかし、身体は引き金を引きたがっていた…。
将軍が俄かに早口に話はじめた。
私は、不用意な発言を聞いて衝動的に引き金を引き絞ってしまわないように、銃口を下へ向けた。

「――イ、イェーガーの末の娘キャサリンの1人息子だよ。名前はハンス・ロビンソン。父親がマイク・ロビンソン軍曹。母親思いのいい子なんだが、近頃ちと素行が悪くなったらしい。まあ、程度にもよるがちょっとぐらい素行が悪くなるのは年頃の少年なら普通だろう。だけど、少年のポケットから東部内乱時に軍が支給していた古い麻薬が出てきてな。もう市内から姿を消して大分経つものだ。キャサリンが奴に相談したんだ。でも、息子はわしも会ったことのあるんだが言葉使いは悪いが性根が真っ直ぐないい子なんだよ。なんか、トラブルに巻き込まれたんじゃないかなと思うんだが、どうにもこうにも口を開いてくれないらしい」
「大佐になら、話すとでも?」
「ほら、いつもマスタング君は金髪のちっさい子と仲良くしてるじゃろ?」
アレを仲良くとはよく言うものだ。
「――そういうことでしたら、適任者はもっと別にいたと思いますが?」
「そ、そうかもしれんがね、彼は快諾してくれた」
「当たり前です。書類の前から開放される口実を与えられて、嬉々として逃げ出さない人ではありません」
無言で睨み付けた。銃を握る右手に力が篭った。

しばらくして、将軍が肩を落とし自らの敗北を認めた。
そう、このじじいも、あの人の行方もあの人同様に連絡が取れなくなっている積年の友人の行方も心配に思っていることに変わりはないのだ。――ならば、さっさと口を開けばいいものを。
「ハンスは近所の子供たちの中でリーダー的存在だ。信頼も厚く面倒見もよい。軍に入ったらさぞ良い軍人になるだろう。でも、彼は軍人が嫌いなんだ。正しく言えば、従兄弟とその叔父が。――奴は自分の後継が欲しくなったんだ」
「だから、あの規格外で軍人嫌いを直そうとでも?」
「憧れるに足る存在じゃろう?」
「…………」

思わず、ぐっと言葉に詰まった私にじじいはあごひげを撫でながら満足そうに笑った。
まるで面目躍如だと言わんばかりに…。


 + + +


ロイは将軍たちの極個人的なことのためにいそいそ南方に出て行った。南方の司令部が今だ奴の動向を掴めていないことはこの辺りが原因だろうか。
ホークアイからの書類にはイェーガー将軍の血縁者たちに関する詳細が書かれていた。

この中で感に触ったのはハンス少年のポケットに入っていたという東部内乱時に出回ったという古い麻薬だ。
当時、軍が徹底的に探しても見つからなかったと推測された全体の量の約3%。それは決して少ない量ではない。しかし、この情報は担当将校により、引責問題に発展する前に隠匿されていた。捜索は予想外に時間がかかり、遥かに予算をオーバーしていたためだ。このことをこの捜索に参加していた下士官が密やかにでも話さなかったら、問題が明るみに出ることはなかっただろう。この担当将校は心不全で突然死していた。
そして、南方の大小の組織のいくつかが、この以前隠されたままの麻薬を探していると聞く。ハンス少年の持っていたものがこれであるとは考えられないか。
この麻薬の捜索に関する資料から考えると、軍が探していない地域は南方市内を遠く離れた国境沿いのみだ。そこには十分な通信網がまだ配置されておらず、しかもアエルゴとの緊張状態が続いている地域なら、無線連絡も難しいだろう。

ロイは何かおかしな状況になってきたと言って、昨夜から連絡がつかないままだ。
何もできないまま、夜の帳が落ちて来る。


U-11

突然の南方出張に、特別任務。そして、大佐と連絡が取れなくなった。その数日後、東方司令部内に噂が流れ始めた。マスタング大佐はその任務中に命を落としたらしいとか、行方不明だとか、誘拐されたとか…。
正解は行方不明だった。
大佐は腕利きの情報将校ですらその居場所が掴めないところにいる。
「奴にトラブルが生じたんだ。俺たちに連絡が取れないような、な」
ヒューズ中佐ははなっから大佐の死亡説を否定していた。だから、オレたちもそのことについて考えるようなことはなかったと思う。
大佐不在の東方司令部は多忙を極めた。長期になりつつある大佐の出張に、ここぞとばかりに中央から応援という名の査察が入った。街ではテロの活動が俄かに活発になっている。――慌しい日常を雑務に追われて過ごし、大佐の行方を捜しに行くこともできずに苛立ちが募っていた。
こちらの状況を手に取るようにわかっている大佐の親友が探すのは任せろと言った以上、オレたちは行けという命令があるまでここで牙を研ぎ澄ましているしかなかった。このどうしようもない苛立ちを少しでも解消するために、どんなに忙しくても強引に体を動かす機会を作った。気絶するまで体を動かさなければ意識が冴えすぎて日常の雑務が手に付かなかった。――眠れなかった…。



射撃場でよくホークアイ中尉とバッティングする。
どんなに忙しくとも時間は捻出できると思える瞬間だ。射撃場に彼女の姿を見ると思わず緊張が緩む。――あの人も、こうやって時間を搾り出しては司令室を抜け出していた。もっともあの人は昼寝専門だったけど。欠けている日常の一部がオレたちのどこか取り返しのつかない部分をかき立てている。

ホークアイ中尉はまるで初めて銃を持たされた新兵のように基本動作を繰り返していた。彼女ほどの上級者が、一つ一つを確認するように。
本物の新兵はその様子を見て、自分でも彼女に何か教えられることがあるだろうとチャンスを伺っていた。アドバイスのついでに、今夜のデートに誘えたらと下心が隠しもせずに。退役を控えている老いた教官はただ息を潜めてその様子を見る。それもできるだけ彼女の意識に触らないようにして。
基本動作を執拗なまでに繰り返すその様子は彼女の腕を知る者を薄ら寒くする。その正確無比な射撃を支えるのは膨大な経験値によるものに過ぎない。まるで天与の才のように思わせるそれはただの努力の賜物なのだ。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
老兵は声を潜めて言う。もし、自分にそれだけの情熱があったなら自分も一流と言われるスナイパーなれたか。しかし、自分にはなかった。それを持ちえた者の努力が純粋に恐ろしい。
それでも、彼女を見るその視線には隠しようのない憧憬と嫉妬の色があった。


 + + +


射撃場にハボック少尉が先にいればその隣に立つ。逆に、私が先にいればその隣には少尉が立つ。それはもう定位置と言えた。慣れた気配が今日も隣に立つ。

彼はリズミカルに銃弾を消費していく。
多く、速く、的確に。
ただそれだけを念頭に置いた動作には、もう士官学校で習うような一般的な型は伺えなかった。恵まれたその体躯はどんな銃でも簡単に扱い、その反動すらものともしない。新兵も老兵ですらこの咥え煙草の男に憧憬を覚える。好きなだけ、好きなように、まるで気晴らしのように撃つこの男に。
しかし、だれも男のように多く撃てないし、速くも撃てない。的確にも。
努力や経験の差以上に純然たる能力の差だ。この男は始めからそうだった。近距離をこの男に任せられる。それは心強く、私は自分の本分に集中できた。
私はもう他人の才能に嫉妬を覚えるほど若くなかったし、嫉妬するには訓練し過ぎていた。


 + + +


ホークアイ中尉とハボック少尉。2人は並ぶと時々お互いの銃を交換して撃つ。
射撃場でこの二人は一際目立つ存在だった。
新兵はようやく顔と名前を覚えてもらった射撃場の在中する教官に、彼らは、と問う。
――2人はマスタング大佐の護衛も兼ねているんだ。有事の際のことを想定しいるんだろう。そう、教官が返すと、新兵は目を丸くして驚いた。専任の護衛は不在なのかと。そして、その目に若い野心を浮かべた。
老いた教官はその若さを眩しく思いながらも、マスタング大佐の護衛は金髪が必須条件なんだとつい水を挿した。黒髪の新兵の、若さに対する嫉妬なのかもしれない。

誰もが日常の光景の中にいつもと違う臭いを嗅ぎ取る。
2人ともあまりに集中し過ぎていた。


U-12

連絡しないのか。それとも、連絡できないのか。

連絡しないと言うのであれば、それは俺たちとのつながりを絶つことを意味する。
つながりを絶てば何かが伝播することは避けられるだろう。
何かが俺たちに類が及んだ際に、俺たちが回避できない、もしくは、状況が悪化するとロイが判断すれば、ロイは自ら俺たちに連絡しないと言うことは考えられる。
ならば、俺たちはただ待つのみだ。そこには打つ手など存在しない。

連絡できないということはその手段がない、その自由がない、もしくは、他の何らかのできない状況下にあると考えられる。
まず、その手段がないということは、緊急時においても大気に作用する錬金術師には考えられない。原始的な方法を取るのであるならば、いくらでも自分の存在を知らしめることは可能だろう。
そう。通信手段がないゆえに連絡ができないなどは十数時間内に限られている。
連絡する自由がないならば、何かが奴の自由を阻害しているということだ。
では一体何がロイの自由を奪うできるというのだろうか。
奴が能動的に自由を阻害されているのならば、何かを楯に取られていると考えられるし、受動的にならば、力のぶつかり合いで負けて拘束されたとも考えられる。

奴の、南方での行動の中で何が楯になり得るか。
今回、確実なことはロイがイェーガー将軍と行動を共にしていたということだ。
イェーガー将軍は孫のハンス少年にロイを会わせるつもりだった。ロイと連絡が付かなくなった後、ホークアイが送ってきた書類にはハンス少年も行方が掴めなくなっていることが明記されていた。家族の話だと少年が家を空けるのははじめてではないらしく、それほど心配はしていなかったという。
ロイがハンス少年と接触したことは間違いないだろう。
その彼らがロイ同様、今だ連絡が取れずにいる。
恩義ある東方最高司令官の積年の親友でもあるイェーガー将軍とその孫のハンス少年ならロイの行動の枷になる可能性があるだろう。
じーさんとガキなら、まだロイより御しやすい。
奴は他人の命を預かる立場に立つ以上、自分の命と名前も知らないその他大勢の人間の命を同じ天秤にかけるほど愚かではない。だが、恩義ある人物ならその限りではない。
では一体何が彼らを楯に取りえる動機と武力を有しているのか。

武力の面を考えると、南方の地下組織は傭兵崩れが多いためなかなか手強い。しかし、ロイをどうこうするなら、よほどの腕利きを揃えた少数精鋭組織か、人海戦術が展開できる大組織が必要になる。
南方の地下組織は、手柄を争った傭兵たちがその根本にいるためか、その横のつながりが希薄だ。――大組織になり難かった。少なくとも、今までの記録では組織を連合させたことはない。
しかし、この少数精鋭と大所帯を有するモノが南方には存在した。もし、ここが多くの人命を費やして動くのであれば、ロイを拘束することはあるいは可能かもしれない。
つまり、アエルゴ軍が関与するのであるならば、奴が受身的に自由を阻害されることもありえる。―――後は、アメストリス軍か…。

もしアエルゴが動いているのなら、その動きは内密であったとしても決して小さいものではない。ならば、アメストリスの内偵から何らかの情報がこの俺に入らないなんてことはない。が、この手の話は聞こえてこない。今現在も。
南方の地下組織に関しても目立った動きは報告されていなかった。
アメストリスの中央が動けば何らかの動きがある。
ロイ不在の東方に非公式の監査が入るが、イレギュラーに南方入りした中央の人間はいない。南方司令部も彼らの行方を捜すため、市内に部隊を展開させている。
そう。不自然な動きはまだ見えない。



動機を考えれば、ロイを捕えることは南方の地下組織にはリスクが大きすぎる。
名を上げるには持って来いだが、突発的に行動を起こして奴をどうこうできると考えるのは難しい。アエルゴにとっても、アメストリス上層部にとっても、ロイの南方入りはあまりに唐突過ぎた。大きな組織は動きが鈍い。よって、ロイの拘束に動機を持って動いた組織の関与は考え難い。
イェーガー将軍は南方の重鎮だ。むしろ、このじーさんの拘束の方が動機を考える余地が多い。しかし、ゆえにじーさんは慎重に行動するだろう。
では、ハンス少年はどうか。素行が悪くなったという少年がある組織に接触を持っていたとしたら、ハンス少年が所持していた薬が東部内乱時に出回ったモノの回収されないままの約3%のモノではなかったら、どうなるか。

ロイは少年がどういう経緯を経てその組織と接触したのか、もしくはその麻薬を手に入れたのかを聞きだすだろう。もしハンス少年が薬を売買する地下組織に深く関与していたのなら、少年にその組織との関わりを絶つように働きかけるか、――問題の根本である、その組織自体を壊滅させてしまうかだ。どの道、この行程は街中、郊外で行われる。奴が街中、または郊外にいて連絡手段が持てない状況下にあるというなら、もう死んでいる確率が高い。少年を楯に、誘拐されてサウスエリアの国境沿いまで連れて行かれたか。

しかし、そこはアエルゴとの緊張状態が続いている。これに積極的に関わっていこうとする南方の地下組織はない。連中は縄張り意識が強い。
少年が持っていた薬がその約3%だったとしたら。その所在はサウスエリアの国境沿いだろう。ロイは間違いなく視認しにそこへ行く。そこで、俺たちに連絡できない状況に陥り自由を奪われているのか、もしくは、他の何らかのできない状況下にあるのか。
それとも、他の予測し得ないような状況に陥っているのだろうか。

ロイが関わっているのに静寂が保たれていることが、最大の疑問であり、最大のヒントになりえている…。


U-13

最も、お前の必要性が高いところに行け。



大佐と連絡が取れなくなってから、5日後、ヒューズ中佐から待ちに待った連絡が入った。――大方この辺にいるだろう。野良猫を捕獲するつもりで慎重にやれよと、その軽い口ぶりに大佐の命には問題はないのだと胸を撫で下ろした。オレはホークアイ中尉に潜入捕獲の命令をもらってすぐさま準備に走った。

サウスエリアの国境沿いを流れる河沿いに小さな集落がいくつか存在する。しかし、この集落は地図には存在しなかった。理由は国境をまたがっていることと少数民族の集落であるということだった。だが、本当はこれらの集落がアメストリスに税金を払っていないからなのかもしれない。
それでも存在を黙認されているのは東部内乱とそれ以後に民族発起しないと言質を取ったからに過ぎない、らしい。ヒューズ中佐が言うところによれば、アメストリスは常に火種が燻ってて今は小事に国力を割く余裕はないそうだ。内政干渉をしない。それがこの国とこの集落との暗黙のルールらしい。

ヒューズ中佐は大佐がこの手の集落のどれかにいるだろうと言った。決め手は何かと少し懐疑的な気分で聞いたら、中佐は、――ヤツ、泳げないんだと思いがけないことを言った。
「そうっスか? 前に、大佐、河に落ちたお嬢さん助けてましたよ」
「士官学校にいた頃、ホレた女に心中を迫られて、新月の晩に湖に飛び込むハメになったことがあんのよ。アレは夜に泳げないんだぜ?」
それ以来、夜の水際は奴の鬼門なんだとヒューズ中佐はいつもの人を食った顔で笑った。



大人が卑怯であることを目の当たりにするのは暫く経ってからだった。ヒューズ中佐やホークアイ中尉は大佐に起こったトラブルをだいたい把握していたのだろう。その上で、オレを先発に命じたと意地悪く考える。何時もなら真っ先に動くであろうあの人たちが。

あの人たちは、自分のことを知らない大佐に会うのが嫌だったのかもしれない。
初出:2005/09/10〜2007/08/22(加筆修正)
今なお加筆修正中…