BLUE ROSE(メモログ08)
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――――オペラ座初日の講評より抜粋

100年に1人、美声のプリマドンナ。
我々は想像を巡らす。
後世の人間は彼女の功績を何と称えるだろうかと。
―――おそらく、その美声をもって世界を慰撫するだろうことよりも、我々の画一的だった美的価値観を打破したことに対してではないだろうか。こうであるべき型を提示することによって、美の門番、美の使徒を自負していた我々こそがもっとも美を愚弄していたのではないか。
彼女の声は今までの美声とは異なる。
耳に残るやさしい声だ。――――しかし、美ではなかった。しかし、何故か彼女のアリアが終わったその瞬間から、その声を切望する己に気がつく。今、この瞬間をもだ。私はこの記事をただ単に彼女へのラブコールとして書いているのかもしれない。歌って欲しい。歌い続けて欲しい。そして私は気が付くのだ。
――――ああ、これが美でなくして何というのだ。
体が、魂が切望している!
彼女を持ってして、我らは真の美に解き放たれることになるだろう。

100年に1人のプリマドンナと同じ時間に生きていることを誇りに思う。
そして、今この記事を読んでいる人たちよ!
共に喜びを分かち合おうではないか!!



薔薇を受け取らないプリマドンナ。

彼女はなぜか薔薇の花束を毛嫌いしていた。
そんな彼女が、1人の老人から手渡された薔薇の花束を受け取ったから周囲にいた者たちは一様に驚いた。
老人は、そんな周りの様子に頓着せずにプリマドンナに話しかける。
「あなたはこの薔薇に見覚えがあるんじゃないかな」
彼女は受け取った薔薇を不思議そうに見つながら、そっと囁いた。
「―――薔薇は嫌い。あの人を、連れて行ってしまう気がして…。でも、昔、この薔薇を、一輪もらったことがあるわ。雪の降る夜に‥‥‥」
「ああ、やはり。きっと、貴女のことだろうと思っていたんです。この薔薇の名前は、レディ・デイジーと言うんです」
「こんな薔薇嫌いだわ。―――――でも、懐かしい。あの人が、私のためにくれた薔薇だもの…」
心から大切とばかりに、彼女はその薔薇をぎゅっと抱きしめる。



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――――受賞者のインタビューより抜粋

多くの薔薇がある。
薔薇の品種改良は今や盛んに行われている。
そう、今、私たちは気軽に薔薇を愛でることができる。
たくさんの美、それぞれに相応しい薔薇があるからだ。
―――だが、そうではない時代があった。
美はたった一つであり、薔薇もまた一つであった。
そして薔薇は特権階級の象徴とも言えた。
しかし、薔薇を我らにもたらしてくれた人がいる。

彼は、忘れられないという大切な体験を話してくた。
薔薇に魅了されながらも、薔薇に立ち向かう日々に、奇跡のような出会いを得た、と。

彼は胸に挿した薔薇に視線を落とした。この薔薇の名前は、その少年の彼女の名前をもらったんだ、と悪戯を告白するように語り始めた。

そう、もう随分前のことだ。私は今でこそ薔薇の大家として過分にも知られているが、無名の時期は長かった。薔薇。薔薇。薔薇。薔薇こそがすべてであり、私のすべては薔薇であった。

時は私に家庭を与えた。子も2人恵まれた。
私は、子煩悩な父親だったよ。
一日中、薔薇の世話に時間を取られることが堪らなかった。だから、世話のかからない、強くて、素朴な、娘の頬を飾れるような薔薇が欲しかった。そう、私は新しい薔薇を作ろうと意欲をもったんだ。

一鉢の、誰も見たことがない薔薇を胸に抱き、私は品評会に向かった。
これから受けるであろう賛辞に高揚していた。
――――しかし、私の薔薇は薔薇と認められなかった。
薔薇を貶める行為だとまで罵られた。そして、心弱き私は、愚かにも私の作った薔薇を薔薇だと思えなくなってしまったのだ。私を罵倒した品評会に再び評価されるために、また従来の薔薇を作り始めた。薔薇で失ったものを薔薇で取り返すために。私は薔薇に耽溺するようになっていった。改良した薔薇などもう、見向きをしなかった。薔薇が私のすべてになっていった。いままでよりずっと。

愚かなる私は、家族が私を捨て去って行ったことにすら気づきもしなかった。いついかなる時でさえ、薔薇が咲いていたからだ。私の気持ちは薔薇に向いていた。
―――しかし、私と薔薇との蜜月は長くは続かなかった。財産が尽きつつあったのだ。
敷地一面に咲いていた薔薇はやがて、その数を減らしていく。手入れを行いきれないで枯らしたもののある。空腹を満たすために売ったものもある。薔薇が私を責めているように思えた。しかし、物言わぬ薔薇は私の思いを否定も肯定もしなかった。
その時になってようやく、私は、―――家族の不在が身に染みたんだ。戻ってきて欲しかった。だが、私には去って行った家族に何て言えばいいのかわからなかった。
なぜなら、私には家族と最後に話した記憶すら曖昧になってしまっていたから。

手元に残った数本の、蕾さえ付けていない薔薇と沈黙の中で暮らしていたそんな日々の中、突然それは訪れた。
雪が舞う、寂しい冬の夜、玄関の戸を勢いよく叩く音が響いた。
人恋しく思っていた私はたいして警戒もせずに戸を開けたことを覚えている。深夜に、頑なに閉ざされた門扉を超えて、玄関の戸を叩く者に対して。
――――それは、少年だった。
やっていることは無謀極まりないのだが、その口調が実に礼儀正しくて興味を抱いたよ。少年は、恋人に贈る薔薇を一輪ご所望だった。だが、かつてはここに薔薇は咲き乱れていたが、今となっては一本もない。私は何故薔薇を望むのかと尋ねた。薔薇は、薔薇であり、薔薇でしかなかった。愛を語るのに薔薇が本当に相応しいのかわからなかった。
私は薔薇の美しさを見失っていた。
薔薇に囲まれた私には語る愛が去って随分久しかったからかもしれない。
もし、彼女に薔薇を送るなら、以前ここで見た薔薇に決めていました、と少年は切り出した。
「―――薔薇は花です。私にはここに咲く薔薇も、野に咲く名を知らない花も美しいと思えます。花は美しい。それぞれに美しさがある。私には美しい花が薔薇だけだとは思えないのです。しかし、彼女は薔薇こそが花であり、美しいと言う。そして、薔薇を贈らない私を不実だと言う」
私もまた薔薇こそが花だと考えていた。
何故、恋人に薔薇を贈らないかったのか興味をもった。
「薔薇に相応しいこと。それこそが最高の女性の基準の唯一つであるかのように、彼女は思っています。彼女は美しい。最高の女性の1人となるでしょう。だけど、薔薇が似合う必要はないと思う。彼女には彼女自身の美しさを失わないでほしい。だから、今まで薔薇は贈らなかった」
ならば何故、今、私の薔薇を望む。
私の問いに少年は背後の暗闇のある一点を迷いなく指差した。
「あそこに咲く薔薇が一輪欲しいのです」
冬の荒地に咲く薔薇はない。だが、何か予感めいたものが私の中にはあった。そう私は、そこに薔薇を植えた記憶はなかった。ましてや、雪の舞う中、咲く薔薇などない。
しかし、少年のその言葉は私の胸の奥に、確かに何かを灯した。
薔薇。気高く、繊細で、豪奢な薔薇。――そうでないものは薔薇ではないのか? かつてその感情のまま突き動かされたことがあった。あの頃の、あの薔薇はどうしてしまったのか。私は薔薇の薔薇たるところを愛していた。
薔薇とは何であったか。
親しみ易く、力強く、素朴な薔薇。
それは、もはや薔薇ではないのだと思おうとしていた。
それは、もはや美しくはないのだと思おうとしていた。
美しくないものを愛することはあってはならないと思っていた。
美しくないものに心を奪われてはならないと思っていた。
私は、あれからあの薔薇に手などかけなかった。

―――あれは、薔薇だろうか?
少年は少し困った表情を見せた。
「もし、あれが薔薇ではないと言うのなら、あれは何なのでしょう? もし、薔薇だけが花だと言うのなら、この世に咲く花は何なのでしょう? もし、美しい花を薔薇と言うのであるならば、この世に咲く花は全てが薔薇と呼ばれるのではないでしょうか? ならば、あれは薔薇です。あれは美しい。――――既存の薔薇では、彼女の美しさを損ねてしまう気がするのです。その、彼女はまだ蕾ですが、いずれ、彼女が咲き誇ったなら。彼女の美しさに万人がこの薔薇を送ることになるでしょう」
迷いのない、少し照れを浮かべた少年の表情に、ならば、この新しい薔薇の美しさも万人が認めることになるのだろうかと思う。きっと、彼らが大人になる頃には。
私は少年にご所望のものをプレゼントし、彼が足早に去っていくのを見送った。
雪舞う中にさえ花をつけるその逞しい薔薇に、妻の笑顔を、娘の笑顔を思い出せるように思った。今度こそ、新しい薔薇を、彼女たちのための薔薇を。
私はたった一つになってでしか覚悟が決まらなかった弱い人間だ。
でも、少年が夜を駆けてまで望む薔薇なのだ。
この美しさをもう一度彼女たちと分かち合いたかった。
――――この薔薇は美しいわ!
ああ、そうだ。妻はそう言っていた。何度も、何度も。

あの時、あの少年が庭に咲くあの薔薇の存在を教えてくれたから。
あの時、あの少年が庭に咲くあの薔薇の美しさを教えてくれたから。
今、このたくさんの薔薇があるのだよ。

老人は、あれは美しい思い出だったと目を伏せ、人知れず笑んだ。
時々、幻のように思う、と呟いて。

老人は薔薇のように美しい2人の娘に支えられ、同じように老いた妻の元へ向かった。

彼はその奇跡のような出会いの後、再び薔薇を抱き、品評会に向かう。新たな薔薇の美しさにもう心は揺らぎはしなかった。この後、薔薇の品種改良は特権階級の者から一般門戸に開放され、多くの薔薇が市場に出回り、現在に至る。



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オレは自分がこんな場所で実に場違いであることを自覚していた。
―――あなたを、愛してる、愛してるのよっ‥‥‥
辺りをはばかるように潜められた声。
だが、その押し殺した声には切実な響きがあった。
姿は見えずとも美女がいると思った。
同時に、人生で一度はこんな風に言われてみたいと思う。
この美女の声色は、男に捨てないでとすがるモノだった。
秘められた情事、かつ上流階級の濡れ場。
自分と縁遠い分、下世話な好奇心が湧いた。

男は、きっと女を捨てるはずだ。
こんなオペラ座での密会など、人の目がありすぎる。
しかも、今夜は上流階級と言えども、その多くは軍界の人間だ。
この世界にスキャンダルなんて致命的だ。
一夜の情事に女は男に情が移ったのか。
そんなに男がよかったのか。
―――あなたの愛が得られないのなら、生きている意味なんてないのよ…
女は今日の主役のプリマドンナだった。
その独特の美声をさっきまでずっと聞いていたのだ。
その声は男を惑わせるだろうか。
―――あなたを、愛してる、愛してるのよっ…
しかし、男は、それでも女の思う通りにはならない気がした。
女は、自分の最大の武器を持って繰り返す。
そのセリフは、聞いているオレをも揺さぶるほど、力があった。
血を吐くかのような、いや、死を目前としたかのような響きを帯びて来る。
―――世界に愛されたいなんて思わない。私は、あなたの愛が欲しいの…
あなたの差し出す薔薇しか受け取りたくないのよっ…



耳を澄ましていると、背後で大きな話し声が聞こえてきた。
集団がやってくる。
中の二人もその気配を察知したようで、ドレスの絹擦れの音がした。
突然、女が出てきた。
オレはとっさにカーテンの裏に隠れることすらできず、その場に突っ立ていた。

美しい女。
まだ舞台衣装を身にまとい、涙が流れるままで、その化粧は崩れていたが。
しかし、誰に恥じるでもなく、あたかもここはまだ舞台であるかのように毅然と頭を上げ、出歯亀であるオレの脇を通り抜けていった。その度胸すら超一流だ。
濃い色のアイラインが涙に溶けて、そのばら色の頬を黒く汚していた。
それでも、まるで劇画のワンシーンように壮絶に美しかった。

女が去った後の部屋には、もう誰もいなかった。
恐らく、この現場を見られたときによりダメージを追うのは男のほうだろう。だからこそ、女がわざわざ闖入者に顔を見せて、男が姿を消す時間を作ったのだ。
皮肉な話だ。
勘のいい男は、きっとオレがここにいたことに気が付いていたはずだ。ここに残るわずかな残り香が男の正体を教えていた。もし、ここに居たのがオレじゃなかったら誰も男の正体に気が付きはしかなかっただろうか。

あの人は、女に何も語らなかった。



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聞き慣れた排気音が背後から減速してくる気配を感じたときから、嫌な予感はしていた。

わざわざ、オレの進行方向を塞ぐように停められた軍用車の窓が降りて、見知ったヒゲとメガネの顔が現れた。
「よお!」
せっかくの休暇が、せっかくのデートが、不吉な色に彩られたのを感じる。
「―――ヒューズ中佐‥‥」
勘弁してくれ。もう、ホッントに勘弁してくれ。
厄介な上司なんて、1人で十分なんだよ。
人の困惑は全く見ずに、人の迷惑がそれはもう大好きな上官が実に嬉々として話しかけてくる。運転手の怪訝そうな視線が痛かった。
「なによ、ハボック君? 潜入捜査中?」
もし、マジでそう思ってんなら声なんかかけてくる人なんじゃない。人のことをからかう雰囲気を隠しもしないその態度に、こめかみがヒクリと痙攣したのを感じた。
「あらららら、花なんか持っちゃって。見舞いか? 墓参りか? ん?」
その馬鹿にした言いっぷりに、相手にしてはならないという気持ちが脆くも砕けた。
「――――あのね、中佐。デートでしょ!? デートっ!! アンタたちが言ったんでしょ? デートのときには花ぐらい持ってけってッ!!!」
「そんなこと言った覚えはないぞ。いよっ!色男だねぇ!!」
馬鹿にしやがって…。
「何でその花を選んだ? 他にも花はたくさんあっただろうに」
「はあ? たいした理由なんてないっスよ。薔薇でしょ、コレ?」
「薔薇だっていろいろあんじゃねぇか」
「薔薇もらって嫌な顔する女なんていないじゃないっスか。あー、それにもともと薔薇はガラじゃないんで。ああいうのは、大佐や中佐向きですよ。薄給の人間には縁がないモノなんスから。でも、この薔薇なら、まあオレでも何とかなりそうだったというか…」
「―――――それ、ロイが持ってたら変か?」
「どうなんですかね。案外大佐もこんな感じな気もしますが。まあ、あの人は花屋で一番高い花とかがいいんじゃないんスか?」
「―――――ふうん…」
「………………………」

人の恋路がかなり複雑で入り組んだものになっていることを知っている中佐に、これ以上何か言われることに耐え切れなくて、その場を駆け出した。きっと、今日のデートも失敗するだろう。そして、早かれ遅かれ、振られることになる。女は自分に好意があるかないかを敏感に察知する。
本当に好きな人は別にいるオレが振られるのは当たり前なのだ。手に持った花束が、途端にみすぼらしいものに見えてきた。まるでオレのようだと思った。
もし、あの人に花を贈るなら、何にしようか―――。
思わず持っていた花束をまじまじとみつめってしまった。
レディ・デイジー
この薔薇が市場にお目見えしたときもそのエピソードが話題になった。そして、最近その名前の由来になった女性が現れた。
100年に一度の美声の持ち主として…。

彼女と待ち合わせたカフェが見えてくるまでそんなことを考えていた。



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君の声がいい。
君の歌を聞いていたい。

その好意に、私の心は単純にも大きく弾んだ。
どうして、この人はこんな人の多い居酒屋で、真っ直ぐに私なんかを見ているのだろう。
私はこんな場所で悪目立ちしてしまっている状況を作り出しているこの男に非難の視線を向けても、それは一瞬だけだった。男と目が合うことが恥ずかしかったから。人の好意に慣れていないことがばれることが、恥ずかしかったから…。
私はこんな好意一つも上手に対処できないほど目立たない存在だった。顔が真っ赤になっていることが想像できて、一度俯いた顔を上げることができない。男の周りにいる仲間たちが男を冷やかし、女たちは冷ややかな視線を私に向けた。
こんなこと嫌がらせ以外の何ものでもない。
なのに、男はもう一度繰り返した。
「デイジー、歌ってくれ」
突然、男の口からでた自分の名前に驚いて顔を上げると、真っ黒な瞳と目が合った。そこにはふざけた色などなく、まるでオペラ座のプリマドンナにお願いするような憧憬を含んでいた。こんな田舎の酒場が、まるで舞台のセットか何かのように思えてしまう。すると、ますます自分が歌うのは場違いな気がしてきていたたまれない。
それに追い討ちをかけるように回りから野次が飛んだ。

それでも、出会ってから、告白をされ、付き合うまではそう時間は掛からなかった。2人だけの穏やかな時間はそう多くはもてなかった。いつも、誰かがあの人の周りにいて。それがいつも少し悲しかった。
あの人の隣に相応しい女性になりたかった。
いつも、いつもそう思っていた。



「こんな薔薇が欲しかったんじゃないわっ!」
地面に叩きつけられた薔薇は、花弁を散らした。
でも、あなたは何も言わず静かに屈み、その花弁を拾う。
その静けさに耐えられなくて、思いが溢れた。
「あなたは、私のことを愛してないんだわっ!」
「愛してる。朝が来たら、きっと君にもこの薔薇の美しさがわかるよ」
「泥まみれの薔薇の?」
「泥にまみれたぐらいじゃ、この薔薇の美しさは損なわれないんだ」
「でも、もう、散ってしまったわ!」
「そうだね。でも、花びらはあるから、この薔薇の美しさはわかるよ。朝が来たら、俺が君を愛していることがわかるよ」
悲しかった。大きな悲しみの渦に飲み込まれて、もう何が何だか分からなくて。
でも、混乱の中で吹き抜けていく風が、やさしく頬を撫でて。背を押されるような気持ちになって。
――あなたは私なんか愛してないんだわ。
思わずといった風にもらされたその言葉は、私が考える以上にあの人を打ちのめす力があった。口数の多い人が言葉に詰まるというよりも、何かに堪えるように口を噤んだから。
この恋の終わりを予感した。
もともと私には、荷が重すぎた恋だった。

ああ、軽くなった。
今なら気持ちよくこの風に乗ってどこにでも行けそう。―――そう、感じた。



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「仕官学校にいたころ、ジミ専って言われてからかわれていたんだせ?」
ヒューズ中佐は懐から一枚の写真を取り出して、カウンターテーブルに落とした。
そこには、女の子が一人公園らしき場所に立って、恥ずかしそうにはにかんでいた。
可愛いが、確かに地味だ。10人並みの容姿に、垢抜けない洗いざらしの服。
確かに、コレが大佐の彼女だったと言われれば、驚きを隠せない。
思わず、その写真を手にとってまじまじと見つめてしまった。
「――――だがな、生来の女好きは、マジですげぇぜ? この女が、10年も経たずに、100年に一度のプリマドンナって言われるなんて誰が思うか?」
その言葉にさらに驚いて、さらにまじまじと写真を凝視した。
「もしかして、レディ・デイジーっスかっ!? うそっ、マジ!?」
それはオレでも知っている話題の有名人だった。
でも、マジだ、と不機嫌な声が返る。
「いいか、オレは、この女が嫌いなんだよ、ハボック。――――真冬の新月の晩に、ロイの目の前で、崖から湖に飛び込んだ女だぜ?」
あの人ははもちろん助けるために飛び込んだのだろう。そして、彼女は、暗く、上下の感覚もない湖の中で自分を追って飛び込んだあの人をただ見ていて、捕まえた。不意に鮮明にその場面が頭に浮かんだ。

だから、アイツ。泳げないんだ。夜に泳げなくなっちまったんだ。体が重くなっていくってな。なのに、あの女はな、助かった第一声が、どうして、一緒に死んでくれないの、だったんだ。

それでも、あの人は怒りに震える親友の隣で、小さく震えながら、重かった。まるで湖の底を引きずり上げようとするほど―――、とだけ言ったと言う。



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あなたが、美しい声だねと言ったから。
あなたが、私の声が一番好きだと言ったから。
もう、私にはこの声しかなかったから。
田舎の娘といくらバカにされたって平気だった。
コンクールに着るドレスがいつも同じだと笑われても平気だった。
口紅がなくなってしまっても平気だった。
もう一度、あなたに会うために私は歌い続けた。
もう一度、あなたに私の声が届くように私は歌い続けた。
もう、私にはこの声しかなかったから。
この幕が開いたらそこにあなたがいればいい。
いないのなら、今日、私の歌声を聴いた人たちよ、あの人を連れてきて。
あなたに会いたいの。
もう一度、あなたとやり直したいの…。
200X…。もう何年頃に書いたかはよく分からない><