メモログ03
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大佐が書置きを残して失踪した。

もうこれ以上サインできません。
無能な私を許してください。
探さないで下さい。
                ロイ・マスタング



ホークアイ中尉が、武器庫からアサルト・ライフルを持ち出してきた。
無力なオレたちは、部屋の角で、ただそれを見ていることしかできなかった。



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私は全てを終えて、ハボックを迎えに行った。
ようやく会える。
私は気付かぬうちに、ハボックの家に続く一本道を走っていた。
話したいことがたくさんあった。



「ハボックっ!」
その家の扉を思い切り開いて、声の限りに、叫ぶ。
この名前を呼ぶのも久しぶりだった。
しかし、その雑貨屋の奥から出て来たのは、胸の大きな、美しい金髪の女性だった。
「――どちら様でしょうか?」
自らの不躾な態度が恥ずかしくなるほど、彼女は突然の闖入者にすら礼儀正しかった。顔が赤くなるのを感じた。
「す、すまない。私はロイ・マスタング‥‥。ジャン・ハボックの、同僚の1人だ」
彼女は私を家に招き入れてくれた。――ジャンは、すぐに戻って来ますから、是非、こちらでお待ちください、と言って。

家の中はきれいに片付けられていて、白いレースのカーテンが明るい日差しの中で翻る。香りのよい紅茶に、手作りだとわかる焼き菓子が添えられていて。田舎のお菓子で恐縮ですがと前置き、都会の話を強請られた。

私はきっと突然のハボックの客にこんなに丁寧な対応なんてしないし、こんなに美味しく紅茶なんて入れられない。もちろん、こんなに美味しい焼き菓子も作れない。部屋の掃除もしないだろうし、窓すら開けないかもしれない‥‥。そして、プライベートでは、ハボックがどこかに出かけても、いつ戻ってくるかなんてわからないだろう。



私は来るのが遅かったのかもしれない。
ハボックはこの胸の大きな女性と結婚するのだろう。
少なくとも、彼女はそのつもりだ。

彼女に比べ、著しく劣る私は速やかにここから去るべきに思えた。あまりに惨めで、これ以上彼女の前にいれなくて適当なことを言って、この場を早々に立ち去った。土の匂いのする道を踏みしめ、一歩一歩ゆっくり歩いて、無機的な街へ、私は1人戻った。





太平楽に眠るでかい男がオプションになっているベッドで目が覚めて、私はまだ何も成し遂げていないことに安堵した。
――まだ、間に合う。
そんなことを真っ先に思う自分がおかしかった。

私は、静かにベッドを出て、朝食を作るためにキッチンへ立ってみた。しかし、私はそこで何をしていいのかわからなくなって、愕然と立ち尽くした。自分の家のキッチンなのに、何があって、何がどこにあるのか全くわからなかったからだ。

ほんの少しだけ、心を入れ替えようと思ったのに、いつのまにか、ハボックの手によってあまりに高くされていたハードルを前に、すぐに心が挫けてしまった。私は早々に朝食を作ることを諦めて、まだ温かいだろうベッドに戻った。



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唐突に開けられる執務室の扉。次いで、大佐ぁー、入りますよーと間延びした鷹揚な声が響いた。ハボックは、執務室の扉を開けて、いるべき場所にいるべきものを見つけられなくて、自然に、客人が定位置にしているソファへ視線を動かした。
そこにはちゃんとエドワードがソファに座っていたが、バツの悪そうな顔を見せた。その向かいにはこの部屋の主であるマスタングが威風堂々とソファテーブルの上に座って、エドワードの手を取って爪を切っていた。

「何やってんスか?」
「見てわからないのかね?ハボック少尉」
「いや、何で、爪切ってんのかってことっスよ」
「サボリだとも」
「――オレは、それ以外の返答を期待してたんスけど」
マスタングはハボックの言葉など聞こえていなかったかのように無視した。

「鋼の。足も出したまえ」
「はあ?」
「足を!エドワード・エルリック!」
威厳に満ちた、命令しなれた声でマスタングは言った。
「‥‥アンタ、そこまでしてサボリてえの?」
そのマスタングのサボリたい必死な行動に、エドワードは、もうどうでもよくなってきて靴を脱ぎ、靴下を取って、おらよっと、先ほどから差し出していたマスタングの手に乱暴にのせた。
マスタングはそれでも、うれしそうににっこり笑う。
その笑顔に、エドワードはそこまでしてサボりたいんだなと思って嘆息した。
そんなにヒマには見えないのに。この東方司令部は…。

爪を切るマスタングは、まるで子供が欲しいおもちゃを与えられたようにご機嫌だった。
その様子を、エドワードはソファにふんぞり返って眺めていると、ふと思い付くことがあって、後ろにいたハボックを見上げた。
「ん?何だ、大将?」
「――‥‥‥」
オレは、他人が自分の爪を切ることに動揺した。爪は自分で切るものだと思っていたからだ。なのに、ハボック少尉は誰かが誰かの爪を切ることじゃなくて、大佐が、爪を切ってることを言及した。そう、他人が自分の爪を切ることにおかしさを感じていなかった。それは、どういうことか。

「もしかして、少尉、こいつの爪、切ったりしてんの?」
エドワードは自分の足の爪を切っているマスタングを指差しながら、ためらいもなく頭にうかんだことを口に出した。それは、単なる好奇心による疑問だった。
誰もが気づいても口に出さないであろう、聞きにくいことを堂々と聞かれて、マスタングとハボックは新鮮さを感じながら思わず、エドワードをじっと見つめた。
錬金術に関しては、大人以上の経験と知識を有していると言っても、エドワードはまだ子供だった。しかも、田舎から上京してきてまだ間もない。普通の子供とそう変わらないことをマスタングとハボックは折々に知った。

「‥‥‥なんだよ?」
マスタングは他人同士で爪切りをする関係を、懇切丁寧に説明したら、この目の前の少年はどんな顔をするのだろうと思うと、実にいたずら心が騒いだ。しかも、そのいたずらは、より多くのサボリ時間を作るだろう、と。ハボックは、マスタングの考えが手に取るようにわかって、戦慄を感じた。

三者三様の沈黙が、執務室に満たされていく。



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それは、月末のことだった。

いつものように執務室に、大佐のサインが必要な書類を運び込んで、大佐の机の上にバランスを考えて積んでいく。
まだ、あるのかと、大佐が疲れで擦れた声を上げても、誰も同情なんてしない。この状況を作って、オレたちを巻き込んだ張本人なのだから。もう、手が痛いとか、コーヒーブレイクが必要だなどと、この状況下ですら言える人を、睡眠不足で充血しているだろう目で睨みつけたら、オレの腹が盛大にぐーっと鳴った。
そう、今は月末。オレのサイフは悲しいほど薄かった。――しばらく前から。つまり、腹いっぱい食うなんてことが無縁になりかけていた。

大佐がグズグズ言うのを止めて、書類からきょとんとして顔を上げた。
「なんスか?」
「今、ぐーって音がした」
そう言って、その音の出所を探すかのように、大佐はきょろきょろと部屋中を見回す。大佐も大概にして疲れているんだろう。いつもの人を小馬鹿にした雰囲気ではなく、マジで探している。その、エリートの欠片も感じさせない姿が哀れだった。
「――オレの腹が鳴ったんスよ」
「ええっ?!食事する時間もないほど、まだ、未処理の書類が残っているのかっ‥‥!」
一体、どれだけ書類溜め込んだって言うんだ。
「単に、月末なんでオレの金がないだけっスよ。もう、この山で終わりっスから、ぱっぱとやっちまってください」
早く休みを取らないと、アンタがますます見るに耐えないものになっていく。

「コーヒーブレイクはダメだけど、コーヒーぐらいは入れてきてあげますから」
「ハボックっ‥‥‥!」
大佐の黒い目が涙で揺らいでいた。
「――こんなことで、泣かないで下さいよ、全く‥‥」
「これが終わったら、美味いもの好きなだけ食わせてやるからな!」
それは聞き捨てならない。
「今の、一筆、書いといて下さい」

後日、大佐は思った通り、自分の言ったことを全く覚えていなかった。だけど、その時のために用意しておいた、大佐自身の筆跡のその一筆を見せたら、最終的に折れてくれた。そして、オレは、日頃食べてる肉の、桁が2つは多いだろう肉を吐くまで食べることができたのだった。



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東方司令部の女性仕官たちに、今、流行しているものがある。編み物だ。
空き時間に談話室などで、編み物に勤しむ女性仕官たち。目に優しい光景だった。が、しかし、その女性仕官たちの周りを不用意に歩き回ったり、大声を出したりして見苦しく自分をアッピールするモテない野郎どもが実に目障り極まりなかった。例え、どんなことをしても、彼らが、彼女たちが編んでいるものを我が物にすることはありえない。
これは、宇宙の普遍的な真理である。

私は、今日も彼女たちの編み物の時間を確保するために、テロ行為を未然に防ぐため、余念なく業務に精を出す。ロイ・マスタングは女性の味方なのである。



急ぎの書類が一段落する午前のブレイクタイムに、全てを心得たホークアイがタイミングよくコーヒーを持って、書類を回収しに執務室へ訪れた。

私の机の前で処理済の書類を1枚1枚確認するホークアイの手元を見つめながら、私は温かいコーヒーに口を付けた。彼女の手には、きっと大型の銃器より編み針の方が相応しいだろう。――単に、私の希望的欲目かもしれないが…。
「そう言えば、今、編み物が司令部で流行っているね。中尉も編み物してるのかい?」
「――もちろん、してます」
「へえ!」
それは、何て目に優しい姿だろうか!素晴らしい!思わず、笑顔がこぼれた。

「大佐もなさったらいかがですか?」
ホークアイは処理済の書類から目を離さないまま、言い放った。
「――は?」
「単純作業の繰り返しの編み物は、ストレス解消に、とっても、効果的です」
「――ストレス解消?」
編み物がストレス解消?
「ええ、日々、ストレスに満ちてますから」
「‥‥‥へ、へえ」
確かに、編み物のような、単純な繰り返しの動作にはアドレナリンの働きを抑えてリラックスさせる効果があったかもしれない…。
「大佐もなさったらいかがですか?」
「‥‥‥‥‥」
―――この私が、編み物をすると?君は本気で言っているのか?!

「明日、用意しておきます」
私の戸惑いをホークアイは了承と考えたようだった。
私の沈黙を彼女は無視したまま書類を確認し終えると、小さく頷き、それを手に踵を返した。
「中尉‥‥!」
待ってくれっ…!しかし、その言葉は彼女の背に届かなかった。
「礼には及びません」

彼女は立ち止まらずそう言い捨て、執務室に私一人を残して颯爽と出て行った。



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東方司令部の訓練場に雪が降ってきた。書類にサインすることに飽きた大佐が、物好きにも見学に出てきた最中のことだった。

「寒い‥。寒いぞ、ハボック。――寒いっ!聞いているのかっ!ハボーックっ!!」
大佐はさっきからこれしか言わなかった。まだ、はじめの頃は、辛うじて近くにいるヤツらに聞こえる程度だったのに、今となっては訓練場にいるヤツら全員にまで声が届いているらしく、困惑を隠しきれずにちらちらとこっちを振り返っている。

――そっんなに寒いのなら、さっさと司令室に戻ればいいのに。
「何だ。その目は?」
「――別に、何でもないっスよ」
「言いたまえ」
「――はあ。寒いっスね?」
勢いを増して、雪が降って来つつあった。降り始めた頃は、すぐ止みそうだと思っていたのに。空を見上げたオレの後頭部に、大佐が投げたカラの紙コップが当った。その紙コップは、大佐が暖を確保するためサボリのお供にと用意周到に持ってきたものだ。もちろん、中身には温かいコーヒーが入っていた。
「ちょっと、何すんですか」

「ハボック、自分の方が寒いと言いたい訳か?――そう、確かに、私の方がお前より体脂肪が多いことは、誰の目にも明らかだ。ゆえに、お前は私の方がより寒さに強いはずだと言いたいのか?はっ!いい気になるなよっ!」
大佐はそう言うと、走って、司令室に戻っていった。

「あの、ハボック少尉‥‥?」
「気にするな。あれは、東方方面軍司令官、ロイ・マスタング国軍大佐の、いつもの、単なる、八つ当たりだ」
「‥‥‥‥‥」
寒さが増したように感じたのは、気のせいではない、はず‥‥。



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私は数日前から昼食を終えた後のわずかな時間を編物に費やしていた。執務室でホークアイ中尉とお茶を飲みながら日常の会話を嗜みつつ、共に日々のストレス発散を目的として編物をする。――これがなかなか難しいが、競う合うように編んでいくのは面白味があり、あれよあれよと言う間に細長いものができてきた。

そんなある日、1人の男が騒々しく執務室の扉を開けて入ってきた。
「大佐っ!編物してるって聞きましたよ?一体、どんな心境の変化があったんスか?」
その男はこの部屋の主である私に話しかけながらも、話をしようという気など微塵も感じさせなかった。
たった3歩で、この決して狭くはない執務室を端から端まで歩き、私の机の前すら横切っり、後ろに回る。そして、私の机の一番下の引き出しに断りもなく手をかけた。
挙げ句の上に、私に邪魔されまいとして、机の引き出しから私を遠ざけるために、私の座った椅子を180度回転させる始末だった。

私は自分の背後で引き出しが開けられて、中にしまっておいた編物一式が入った紙袋を引っ張り出される音を聞いた。
「あー!マジで!――ぶっ!あはははははっ!何スか?これ!!」
90度、体の向きを変えると目の前の机の上にその紙袋の中身がぶちまけられていた。
「わざわざ、ボロ雑巾編むなんてっ!あはははははっ!」
私の日常のストレスの結晶を、ジャン・ハボック少尉は親指と人差し指で摘んで、わざわざ私の面前に持ち上げた。



この私にこうもダイレクトに喧嘩を売るようになったとは。さて、どうしてくれようか。まず、その高笑いが実に癪に障った。

「――お前のために、一目一目心を込めて編んでいたのに‥。そうか、これはボロ雑巾か‥。そうだな、どう贔屓目に見たって、これはボロ雑巾か‥‥」
予想通り、ハボックの高笑いがどんどん収束して行く。
「―――ふう。じゃあ、せめて、お前の家の雑巾の1つにしてくれるか?ハボック」
私は巷で評判のよい、少し寂しげなと形容される大人の笑顔を浮かべた。報復は後日、しっかりしてやろうと思いながら。



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一際寒さが堪えたその日の朝は、雪すら降っていた。

俺の腐れ縁の親友殿は支給されたコートに黄色の毛糸の帯らしきものを首に巻いて、前方を歩いていた。その黄色のマフラーのようなものは目立つ上に見苦しく、すれ違う人が思わず振り返るほどだった。
上司があまり身嗜みに拘らない人だといえ、こうまで人目を引くほど無様なのはいただけないだろう。知り合いだと思われるのは抵抗を感じるが、社会正義のために仕方なく、俺はハボックに声をかけた。
「オイ、ハボック、お前、何、ボロ雑巾首に巻いてんだよ?見っともねえぜ?」
のっそりと振り返ったハボックはいつものようにタバコを咥えていた。
「うるせえ。これは愛の結晶なんだ」
「――えれえ汚い、愛の結晶だな、オイ」
「仕方ないだろっ!大佐が編んだんだから!」
汚いなんてどんなに思っても言うな、とまで言ってハボックは睨みを利かせてきた。

目が至るところで跳んでて、どこかその辺の小枝にでも引っかかったら一発で糸に戻ってしまうだろう程度のそれを、ハボックは咥えたタバコの灰が落ちてしまわないように注意深く扱っていた。
「ハボ、お前、大佐に嫌がらせされてんことに気付けよ‥」
そんなものを大切に大切に扱う俺の親友があまりに哀れだった。
「はっ!この程度の嫌がらせぐらいかわいいもんだっ!!」
それでも、打たれ強く生きているところが涙を誘う。

「―――男前だぜ、ハボック‥‥」
俺は、そっとその背を叩いて、日頃の苦労を労うことしかできなかった。



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ジャン・ハボック少尉であります。

先日、恋人でもある上司から、昼休みに執務室に呼び出されて、手編みのマフラーが欲しいと言われました。
恐ろしいことにその人はマジでした。
しかも、自分が編物らしいことをしていただけに、異様に詳しいのです。
最高級のメリノウールという微妙に色が違う2種類の白い細めの毛糸と編み棒を渡されながら、縦ストライプの透かし模様の入った、たっぷりのフリンジがあるマフラーにしてくれと、にこっり笑って言うのです。
オレは生まれてから、いままで、編物なんかしたことありません‥‥‥。つい、この間、特に何も考えもせず、大佐を笑いものにしたことが大いに悔やまれます。

戸惑いを隠せないオレに大佐は笑顔で追い討ちをかけてきました。
「私のマフラーはどうした?」
オレの部下が、雑巾と間違えてトイレ掃除に使っちまいました。
――とは言えないオレは、大佐のマフラー編ませてくださいとしか言えないのだった。



編物一式が入った紙袋を大佐じきじきに手渡されたオレが、司令室に戻るとホークアイ中尉が待ち構えていました。そして、そのまま談話室へ連行です。

そこでは東方司令部編物サークルが活動をしていました。オレは空いている席に座らされて、向かいの女性から編図なるものが描かれた模造紙を渡されました。
「大佐のマフラーはこれよ?」
相変わらず大佐の嫌がらせは大規模で手が込んでいます。その方は、オレの困惑など全く気にすることもなく、その編図の説明をしてくれました。出てくる単語全てが謎です。
「いい?こまめに目数を数えて編まないと、透かし模様がきれいに出ないわよ?」
「――はあ‥‥」
その説明は朗々と続けられます。

オレが何をしようとしているのか、誰か教えてください‥‥。



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その日、中央から出張に来たヒューズ中佐は、東方司令官に珍しくも歓迎ムードで迎え入れられた。駅まで直々に大佐が迎えに行ったのだ。オレが夜鍋で編んだマフラーして。
白いフリンジが強風に棚引く。――東方編物サークルのみなさんの厳しいご指導の下、その大佐が堂々としているマフラーは、自分で言うのも何だが実に上手にできた。



「ロイ、お前のマフラー、手編みか?!」
駅構内で、ヒューズ中佐は大佐を見るなりそう言った。

ヒューズ中佐も手編みのマフラーをしていた。
グレイシアさんの手編みだろう。ガーター編みだけの単調なマフラーだったが、マフラーを一本編んだ今となっては受ける感動が違った。ガーター編みは一般的に初心者向けの編み方だが、その編地をキレイに編むのが本当に難しい編み方なのだ。ここまで、キレイに編むとはさすがグレイシアさんだ。スゴイ。

「そうだ。いいだろう?」
大佐がオレの編んだマフラーを中佐に自慢した。
そう、自慢に値する一品だ。初めて作ったマフラーで、透かし模様も入っているのだ。
「――俺のマフラーだって、グレイシアの愛が詰まった手編みだもん!」
そうだとも。愛がなければそんな手間はかけられない。
「私のマフラーの方が手が込んでいる。この手間のかけ具合こそが愛の結晶と言える」
それは素人考えだ。でも、手間のかけ具合は愛だけど‥。
「専業主婦が忙しい最中に編んでくれたんだぞ!これこそ愛だ!」
そう。本当に、アンタが思っている以上に大変で時間がかかっているんだ。
「ハボックは年末の極めて忙しい仕事の合間に編んでいたぞ。これが真なる愛だな」
特殊部隊の頃を思い出すほど辛かった。寝ずに、一晩に50段編んでいって、昼に先生たちに汚いと言われて60段解かれたりもした‥‥‥。
「あ、やっぱり、そうじゃないかなと思ったけど。ハボに編ませたんだな。かわいそうに。嫌がらせてんこ盛りじゃん」
それはもう、嫌がらせの域を超えてる。ちょっと、大佐をバカにした報復がこれだとはありえない。
「そんなことないぞ!私だって私が編んだマフラーをハボックにプレゼントした」
いや、アレをマフラーと言ったら、マフラーをバカにし過ぎだ。マフラーは奥が深い。
「――へえ。それ、見てみてえ」
それは勘弁して下さい。
「‥‥‥‥‥好きにしたらいいさ」
ちょっと、大佐!
「ハボ、マフラーは?ロイが編んだってやつ、どこにあんの?」

「‥‥‥えーっと、大切にしまってありますよ」
「嘘だろ?」
嘘じゃないっスから。ウチのトイレにちゃんと大切に置いてあります。
「あー、こんな所で立ち話もなんなんで、さっさと司令部行きましょうよ‥」

年末、誰もが忙しなく駅構内を行き来していた。とにかく、そんな中で軍将校がするような話じゃなかった。



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 (マスタング中佐時代)

話の始めはマスタング中佐の副官としての諸注意だったと思う。
何せ、お偉いさんの副官にオレがなるなんて誰も思わなかったように、オレも思わなかった。だから、この、ホークアイ中尉のレクチャーは必要なことだった。しかし、忙しいはずのマスタング中佐が、ホークアイ中尉とオレが座っていた席に着いたときから、ビミョーに話の流れが変わってきている‥‥。

「以前――、熱が高いから休むと、この人から電話連絡が入ったのよ。めったなことで休む人ではないから、誰だって仮病だなんて思わないでしょう?」
「――仮病っスか?」
中央からマスタング中佐と一緒にやってきたホークアイ中尉は、冷ややかに言った。
佐官になったら、そういうことができるならオレも佐官になりたいかも。しかし、そう思ったオレは、ホークアイ中尉のその冷気に思わず背筋を正してしまった。
「仮病ならまだマシだわ。お見舞いがてらに様子を見に行ったら、火事を起こして、その後片付けをしていたのよ」
「れ、錬金術の研究をしてたんだよ、うん」
マスタング中佐が慌てて言葉を重ねる。
「炭化した木材や本の修復の、ですか?」
「そ、そうだ。‥‥‥とも言える」
「焔の錬金術師が火事‥‥?」
それはどういうことなのだろう‥‥。
「練成した自分の焔で、マシュマロを焦がして食べようとしての出火よ」
「――マシュマロ?」
マシュマロって言ったら、オレはお菓子のマシュマロしか知らないんスど‥‥。
「美味しいから試してみてね、って言われたんだ。ハボック少尉」
マスタング中佐が首を傾げ、オレを覗き込み、眉間に皺が寄ってると言った。――何かわからないことでもあったかと聞こえてきそうな顔だった。

「リビングですることではありません。――その火がカーテンに燃え移ってあの大惨事になったことを、もう忘れたのですか?」
「あー、うん。忘れてないよ。うん。――練成した焔が高温だったこともあって、カーテンに燃え移ったら、あっという間に焔に巻かれたんだ。本当に凄かった。実際、あれには参ったよ。――直すのが」
凍りつきそうな声色のホークアイ中尉に、春の日差しのような笑みを浮かべてマスタング中佐は堂々と言い放った。ホークアイ中尉が座っている方向からなぜか冷気を感じた‥‥。

「嘘をついてまで休んだことがいただけません」
「私は嘘は言っていない。君が来た時だって、まだ熱は高かった。その、――部屋の‥‥」

こういう人たちとこれから自分は付き合っていくのか‥‥。
このことが、オレは当たりくじを引いたというよりも、貧乏くじを引かされたんじゃないかと思い始めるきっかけだったような気がしてる……。
200X…。もう何年頃に書いたかはよく分からない><