THE BOOK
03

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十分暑かった。つい最近までいた南部の暑さにうんざりして、少しはマシかと思って汽車から降り立ったイーストシティも、南部とそう遜色ない。ただ駅舎を出て肌を刺しオートメイルを焼く日差しの強さがほんの僅かに和らいだ気がするぐらいだった。それでも十分暑い。
「あー、クソ……。暑ぃ……」
直射日光の下を数歩歩いただけで、汗が湧き出し皮のズボンが足に張り付いて締め付ける。足を踏み出す度に軋んだ音がした。編んだ髪は頭皮に熱を溜め込んで、頭をボーっとさせる。でも髪を解いたところで、汗でべたつく顔とか首に張り付いて不快指数を上げるだけだ。髪なんか切っちまいたい。切ったってそのうち伸びてくんだから。そもそもなんで髪なんか伸ばしてたっけ? 根本的に疑問に思う。やー、そこは疑問に思うところじゃねぇし。ヤバイ、思考にも熱が溜まってきた…。
少しでも早くどっかで涼まなくてはなるまい。そう思っても、視界の中に適当な場所は見つけられない。それもそうだ、首を上げるのすら辛くて舗装された地面しか見れてないんだから。
「本当、そうだねえ。暑いねぇ」
ほら僕、熱した鉄板だから近くにいたら暑いでしょ?そんなことを言っていたような気がしないでもない、いつもより一歩分離れて歩いているアルが、いつもと同じように頭上から暢気な相槌を打つ。んな訳ねえじゃん。んな訳ねぇし。点々と地面に落ちていく自分の汗を見ているとそんなつっこみを言う気にもならなかった。
「そんなに暑いなら、先に東方司令部に寄って涼んでいく?」
「――あそこは、遠いだろ…」
頭を上げれば、その建物の一部が見えることは分かっていたが、すでに頭を上げることすら困難になっていた。暑い…。
「もう兄さんたら、グダグダなんだから」
そう言いつつ、周囲をきょろきょろと見渡してくれてる気配を感じた。弟よ、一刻も早く、この兄をこの暑さから救出してくれ…。



真夏の南部の公立図書館で調べものをしていた。真夏の南部は半端なく暑い。中途半端なとこに行って中途半端に暑いぐらいなら、暑さ対策は万全な南部に行った方が快適なはずだ。そう思い立って行ったは良いが、次元の違う恐ろしいほどの焼き付く日差しの下に、日中に外に出ることはほとんどなくなった。その不健康な生活に、だんだんアルの小言が指数関数的に増えていった。それがまた暑さを助長する。
その矢先だった。錬金術書も取り扱う古本屋が面白い話を聞かせてくれたのは。
――あの錬金術書が市場に出たらしい。東部の錬金術師が持っていたらしいな。
独り言のように呟かれた言葉。相槌は打たない。あくまでも独り言にするべき内容であることを知っていた。平積みされた情報誌を高値で買う。ここでケチってこの手の情報を回して貰えなくなることの方が痛手だったから。ちらりと視線を合わせて、店主の満足気に頷いた顔を確認して、店を出る。
あの錬金術書。どの錬金術書か。噂になるぐらいの本だから希少本か発禁本に違いない。東部の錬金術師が換金したとなると、……。元国家錬金術師のショウ・タッカーの、国家召し上げになった錬金術書が流出した可能性もある。ショウ・タッカーがオレたちに見せなかった、みせられなかった本があったのかもしれない。
「行ってみるか…」
ショウ・タッカーの本だったとなれば、生体練成関係の本の可能性が高いだろう。砂を噛むような、砂を噛ませられているような気がしなくもない。まあ、そうは言っても、そうかもしれない程度のことだ。そう思い直し、苦い息を吐き出した。
この場合、重要なことは、南部に行こうと言い出したオレがここを離れる最もな理由を得たということだ。
やっぱり真夏の南部は耐えられないほど暑かったデス。南部の人たちは遺伝子的に暑さに強いんだネ。兄さん、間違ってました。
なんて言ってたまるか。何時いかなるときでも、兄の面子は保たなければならないのだ。
「分かってる。この真夏に南部に行こうっていうのがそもそもの間違いだったんだ。失敗した…」
この中途半端に得た不確かな情報から東部行きを提案すると、アルは二つ返事で賛成してくれた。

しかし、涼を求めてやってきた東部だって十分暑い…。
暑さでふらつく兄を、アルが連れて入ったのは目の前の銀行だった。なんという涼しさ! なんという機転! 優秀な弟を持てて兄は幸せだ。
「あー、生き返る…」





イーストシティの裏路地の古本屋。ただの古びた本も、そうでない本も扱う本屋だ。
重いドアを軋みを上げて押し開ける。キャッシャーの奥に座る店主のじいさんはちらりとも顔を上げて客を見ることはない。それもいつものことだから気にしないで、ども、そう簡単に挨拶して、希少本が置いてある棚に向かった。
温度も湿度も季節を通して一定の店だった。
ゆっくりと本棚の間を歩いて一冊ずつ背表紙を目で追っていけば、汗が引いていく。紙とインク、本屋独特のにおいに、やっと頭がはっきりしていくのを感じた。引きずって歩いていたパーカーをやっとはおる気になる。
無造作に本が並んでいても、棚にも本にも積み重なる埃はない。信頼できる希少本を扱う数少ない店。もちろんその中には錬金術書も含まれる。
端から順に背表紙を追った。以前来た時と変わりはない。この棚も。この棚も。――最上段の棚は、よく見えなかった…。
アルと何気なく別行動を取ったことが悔やまれる。貴重な錬金術書を取り扱う店はいくつかあったから、手分けして探そうと言ったのはどの口だ。この口だ。この店はアル向きだったのかもしれない。だが、兄として今からアルを呼びに行くことはできなかった。オレには届かない棚があって全部確認できなかった。なんてことは言えない。だから、恥を忍んで、ジャンプする…。そのドンという音と振動に、やっと店主が声を出した。咎める声を。
「――おい、ちっさいの」
「ちっちゃくねえし! つうか、こんな本、こんな高いとこ置いとくなっつうの」
「高い本なんだから、そこでいいんだ」
くそう、お得意様に向かってそんな言い草ないだろ!
容赦のない言葉に、キリキリと歯軋りをして、言えない言葉を言ってみる。この本を手に入れるまではこのじじいの機嫌を損ねない方が得策なのだった。いくら良い本が見つかっても売ってもらえないんじゃ話しにならねぇし。
ジャンプまでして見た最上段の本棚には、次に発禁されるだろう本と噂されてる錬金術書が加わっていた。しかもぱっと見で状態の良さが分かる。南部で聞いた噂の『あの錬金術書』とはこの本なのかもしれない。例えこの本でなくとも、この本を見つけたとなれば上等だ。東部に来たかいがある。
生体系の本ではなかったけど、鉱物系の本。この本を書いた錬金術師は金より貴重なものを研究していたらしいという話が囁かれ始めたのは最近のことだ。その錬金術師が残した唯一の本がここにある。
錬金術師が金より貴重というならアレの可能性が高い。でも、そういう危険な本がアレがいるこの東部で野晒しになってるのもおかしな話しだった。――途端に、この本に眉唾ものの臭いをぷんぷんと感じる。それどころか、最近になって聞こえてきた噂そのものにすら疑念が沸く。
「だからって、読まないではいられるか」
錬金術師の性に違いない。違うなら違うという方法を知りたい。どんなアプローチをして違ったのか、知りたい。そこに何か新しいヒントがあるかもしれない。そこから何か学べるかもしれない。知りたい。知りたい! 
その一念で歯を食いしばり、精一杯の背伸びをして、腕を伸ばした。――もちろん、それで届くもんじゃなかったが。もしかして、昨日より少し身長が伸びているかもしれない可能性に賭けて、息を止めて更に腕を伸ばした…。
踏み台はなかった。梯子すらない。棚を登りたい気にさせられるが、それをして他の本にダメージを与えでもしたら、この本屋の敷居を跨ぐのは実に難しいものになることは分かっていた。ここの店主のじじいは国家錬金術師相手でも容赦ないのだ。
「うがあ! 届かねぇー!」
それでも届かなくて、つい思わず口から漏れた言葉は思った以上に大きかった。わあ! 店主とオレ以外誰もいないと思っていた店から驚く声が上がる。珍しい。奥に客がいたのだ。その上、すぐに軽い足音がパタパタと聞こえてくる。実に珍しい。こんな店に子どもがいるとは。まあ、子どもと言っても同世代ぐらいに違いないだろうけど…。そもそもこの店で走るなんて勇気のある行為だった。店主のじじいは殊のほか振動を嫌う。オレが走ろうものなら問答無用でつまみ出されるだろう。つうか、オレは摘み出された。
おい、じじい。これは即退場もんじゃねえか。いいのかよ。
そう、もの言いた気に店主を見れば、小さく肩を竦めるだけだった。

足音が近づいてきた。棚から顔を出した一人が、こっちだと他の二人を手招きした。
肩越しに見ても分かる。仕立てのいい白いばりっとした半袖のシャツに、チノパン、革靴。三人とも似たような格好だった。一目で裏路地に似つかわしくないのが分かる。その革靴は磨り減った跡も見えない。根本的にあまり歩かないからだ。お抱えの運転手がいる人種。金持ちの子ども。年は同じぐらいか、ちょっと下ぐらいかもしれない。その身長から察すると…。
その場違いなどたばたの三人組は、オレが手を伸ばしていた先にある本を見ると、握り締めたメモをくり返し見直し頷いて手を伸ばした。オレ越しに堂々と! これで黙ってろなんて無理な話だった。
「――オイ、このオレ様が取ろうとしてんのが分かんねえのか?」
金持ちのガキが。こんなとこに来るなんて100年早いんだよ、ボケ。生まれ変わってから来やがれってんだ。その上、このオレ様の獲物を横取りしようだなんて、二度と夜道を一人で歩けなくさせてやってもいいんだぜ。
真っ直ぐに睨みつけてやれば、三人がそれぞれに口を開いた。
「ああ? 何だ、お前。俺たちが取ろうとしてんのと同じだって言ってんのか?」
三人の中で一番体格の良い、リーダー的存在のガキ。このオレ様に言い返してくるとはその気概は認めてやってもいい。
「おいおい、全然届いてねえじゃん。それでよく同じだって言えたもんだな」
痩せ型のメガネ。一目見てこずるいタイプだと分かる。逃げ足が一番速くて、一番言い訳に口が回るガキだろう。手が届いてないのはお前ら三人だって同じだ。自分のことを知らないで生きていくのは辛いだけだぜ? 
「ガキは引っ込んでな。おチビちゃんが来るとこじゃねえよ」
少なくともオレは自分より背が低い奴にそんなことを言われて黙っていられない。聞き捨てならねえなぁ!
「ああああ? だーれーがドアノブにすら手が届かないおちびちゃんだってぇ? もう一度言ってみろ! 表に出やがれ!」
右手で襟首を掴んで、目の前でがなりたててやれば、言い返されることなんか全く予想だにしていなかったらしい三人の腰が引けて尻込みする。口をもごもごと動かすだけだった。
――ああ、そうだ。こいつら三枚に伸して重ねてやればそれなりに踏み台にならないかな。うん、なるよ。きっと踏み台になるよ。そうしよう。それしかないな。そうしてやろう。
「こっち来いや。このオレ様にそんな口を聞いたこと、一生後悔させてやるぜ」
んで、踏み台にして、あの本を取ってやる。
一旦、店の外に連れ出して、コテンパンに伸した方が無難だろう。下手に暴れられて、ここの本や本棚に傷を付けたくなかった。
襟首を持ったままドアに向かおうとすると、腰が引ききったチビが足を縺れさせた。このままここでぼこってやってもいいんだぜ。威嚇とも言い難く、かなり本気で左手を振りかざすと、残りの二人が慌てて襟首を掴んだ右手を外そうと掴みかかった。――が、掴んで、その感触の違いに驚いて固まった。その目にオレを写し、大きく見開かれていく。
「――金髪金目の、オートメイルの子ども…。まさか、鋼の錬金術師?」
「こんなガラの悪いガキが?」
ガキにガキなんて言われる筋合いはさらさらないが、そうとも驚け! このオレ様が鋼の錬金術師様だ。そのオレ様の本を横取りしようとしたんだ、お前らは。このまま大人しくオレの踏み台になっちまえってんだよ!
顔を見合わせる、三人で。
「あ、あの本は、オレたちが先に探してたんだ。オレたちのだ」
んなことを言ったら、自分が先だと一体どれだけの人間が主張するだろう。そんなこと、本気で言ってるつもりか? バカなのかお前ら? そう思う前に当然の疑問が口をついた。
「お前たち、あの本、理解できんのか?」
あれを買おうってんなら、お前たちも錬金術師なのか? あれの価値が分かっているのか?
そう思うと怒りより、純粋に好奇心が沸いた。でも、三人は苦虫を潰した顔で視線を逸らす。
「おい。錬金術師なんだろ?」
同世代の錬金術師なんてお目にかかる機会なんかそうない。でも、望んだ返事は返らなかった。
「とにかく、本は譲れないんだ!」
こともあろうか、このオレ様の髪の毛を鷲掴む。腕力で解決しようってんならこっちも大歓迎だぜ! 
まず右手で掴んでいた襟首を締め上げ、左手で髪を掴んだ腕を払った。生っ白い細い腕なんか本気を出す必要もなく剥がれ落ちる。
「こっちだって譲れないんだよ!」
年季が違うぜ!
大きくなったエドワードが書きたくなります。
原作ラストからの妄想ですね。大きくなって、
早くマスタングさんのところに顔を見せに来てほしい><