＋　大雪まつり１０　７＋

　この時代にきてすぐ、雅臣がインフルエンザを拾ったあとのことだ―――。
　薬草を持ち帰り、飲ませてやったあとも看病していたタイザンは、雅臣がからりと元気になったころ入れ替わりに熱を出した。明らかに雅臣からうつされたインフルエンザだった。
　―――また今にして思えば、だが。先にかかった雅臣は免疫が出来ているのだから、看病にこき使ってやればよかったな。
　だが当時は免疫の知識などなく、また雅臣にうつしてはいけないと、タイザンは神流闘神士が伏魔殿に築いた館の離れを病室にし、雅臣に入るなといいつけた。他の者の入室も許さず、水や食事も式神に持ってさせろと指示する徹底ぶりだった。
　静まり返った部屋で一人布団に包まっていると、高い熱が出て、頭と関節とのどがずいぶんと痛んだ。時折ひどく咳き込んで、胸のあたりがぜいぜいいった。
『雅臣さんはともかく、ショウカクの兄さんらまで閉め出すことはなかったんじゃありやせんかい、今度のダンナ』
　唯一枕もとにおいた闘神機からオニシバが言ってきた。
「……それで伝染し蔓延したらどうする」
　収まらぬ息の合間に言い返すと、『あ、起きてやしたかい』などという独り言が聞こえた。
『雅臣の坊はまだ小せェから万一もあるが、兄さんがたは鍛えていなさるし大丈夫じゃありやせんか』
「大丈夫じゃなかったらどうすると言っているんだ」
　のどが痛くて、水がほしかった。タイザンは重たい頭を上げ、何とか上体を起こすと、だるい腕を伸ばして枕もとの湯のみを取る。もうあまり水が残っていないのに、ひどく重たく感じられた。
「雅臣が外から持ち込んだ病だ。伏魔殿に閉じこもっていた連中には治す方法が知られていないぞ」
『そういえば、ダンナが知ってた薬草も、兄さん方は知りやせんでしたね』
「……あやつら、闘神士としての修行だけしかしていないようだからな。天地の者たちは外に住んでいるのだから、我々もそれを知らねばならぬという発想がない」
　苦労して湯飲みを口元に運んだ。口中に流れ込んできた水は冷たくて気持ちよかったが、飲み下すときには痛みがあった。
「そうでなければ、天地二流派を滅ぼしたとしても、異国から入ってきた流行病であっけなく全滅することとて考えられるのに」
『……今度のダンナは小せェのにいろいろ考えていなさる』
　からかっているのか感心しているのかわからない口調でオニシバが言った。
『具合が悪いってェのに、よくそこまで頭が回るもんだ。高ェ熱出してる時ってのァ、あっしらにとっての大降神されてるときと同じなんじゃありやせんかい』
「大降神など……」
　知るものかと言いかけ、タイザンは咳き込んだ。真水はのどに刺さるようだ。
「……かりんの果汁があればよいのに」
『へい？　かりんですかい？』
「ああ……。蜂蜜漬けを水で飲むとのどに効く。ショウカクらは、そういうことも知らぬかもしれん。風邪など引かぬ式神にはわかるまいし」
　すぐにしゃべるのが辛くなってきて、タイザンはまた横になった。
『まあ、確かにあっしらにァわかりやせんがね』
　オニシバが言う。
『ですが、寝込んでる時にたった一人じゃあんまりさびしかないかとは、式神でも思いつきやすからね。
　今度のダンナ、ショウカクさんかタイシンさんにでも、いてもらったほうがいいんじゃありやせんかい。なんならあっしが呼んで来まさァ』
「……いらぬ」
　タイザンは短く答えて目を閉じた。
　誰かにそばにいて欲しいと思わないわけではない。だが、この者にそばにいて欲しいという相手があるわけではないし、あったとしてもそれは付き合いの浅いショウカクらではない。また、うなされる自分を見て雅臣がどういう顔をするかを想像すると、一番付き合いの古いあの子どもこそ、決してここに入らせたくないと思うのだ。一人で耐えるほうがまだましだった。
　体力の消耗のせいか、とろとろと眠気がやってくるのを感じた。一方で相変わらずの強い頭痛があって、タイザンはずっと頭が痛い頭が痛いと思いながら、それでも眠り込んではいたらしかった。
　夢を見たのだ。
　タイザンは暗い道を走っていた。何かを追っているような、何かに追いたてられているような、そんな心持だった。蹴りつける地面はどろどろとして、走っても走っても前に進んだ気がしない。
　必死で走る方向には、萌黄の影があった。
　あれを追わなくてはならないのに。
　そう思いながら必死でもがき、苦しい息を吐く夢だった。そんな夢を見ながら深くなったり浅くなったりする眠りの中で、いつの間にか右のてのひらがふかふかした暖かいものに包まれていた。それはちょうど命と同じくらいの温度で、タイザンは痛む頭の片隅で少し安心するのを感じた。


　――――雅臣の坊、ここに来ちゃならねェってうちのダンナのいいつけでしょうに。
　――――でも、熱がまだ下がらないっていうから……。
　――――sorry、止めても聞かないんだよ。ほら、雅臣。
　――――ぼく、冬のフィールドから雪を取ってきたんだ。頭を冷やすのに使えないかな。
　――――こいつァありがとうござんす。すいやせんがキバチヨさん、こっちまで持ってきてもらえやすかい。
　――――ＯＫ。ほら雅臣、ここじゃ起こしてしまうから、あっちで降神してくれよ。
　――――うん……タイザン、大丈夫かな。
　――――あっしが見てやすから、心配ありやせんよ。


　その間も、暖かくふかふかしたものが、ずっと自分の手を握っていた気がする。けれどそれらもみな、熱の中のどろどろとした眠りにまぎれて、はたして夢であったか現実であったか、今思い出しても判然としないのだった。

10.12.26