+ 大雪まつり10 5+


「よし……なんとか命はあったな……」
『ダンナ、どうもこの時代の医者みんなをオオスミの姐さんみてェなもんだと思ってやせんかい』
「オオスミでなくても、点滴など受けられるものか」
 隣接の薬局に処方箋を出し、薬が出来上がるのを待ちながら、タイザンは深く息をついた。
「平安の世は飲み薬と塗り薬だけだったというのに、針で刺すなぞ」
『おかげで怖ェ流行病も治るようになったじゃありやせんか。忘れやしたかい、雅臣さんが寝込んぢまって、その上看病してたダンナもうつされて、あの時は大変だった』
 その一言で、まるで水があふれ出すようにタイザンの脳裏に古い思い出がよみがえった。


 この時代に来て、すぐのころだ。どこで拾ったのか、まだ小さかった雅臣がやたら咳をしていると思ったら、あっという間に高熱を出して寝込んだ。
 ――――今にして思えば、あれはインフルエンザだな。
 まだこの時代の勝手などわからないころだった。薬の手に入れ方も、医者のかかり方も見当もつかず、伏魔殿のショウカクらの持ち薬を飲ませたが一向に熱は引かなかった。
 そういえば、ウスベニがよく使っていた薬草がこういうときによく効いた。そう思ってショウカクたちに尋ねたが、
「伏魔殿の奥にそのような草が生えていたようにも思うが、あれは薬草なのか」
 時の流れの中で忘れ去られたのか、彼らはその薬効さえ知らなかった。高熱にうなされる雅臣を見守りはしたが、2日、3日経ってもよくはならなかった。
 業を煮やしたタイザンは、闘神機を持って一人伏魔殿の奥のフィールドに足を踏み入れた。神流の支配の及ばない場所だ。すぐ妖怪に襲われた。
「式神、降神! オニシバ、この間手に入れた印を試すぞ!」
 妖怪の数も少なく、必殺技ひとつで片がついた。意外な快勝に驚きと手ごたえを感じ、これならば行ける、と足を踏み出そうとしたとき、自分の前に立ちはだかったのはオニシバだった。
「今度のダンナ、これ以上はいけねェ、戻りやしょうぜ」
「何だと?」
 そう、そのころはまだこの霜花と契約を交わしたばかりだった。タイザンは式神に心を許すつもりなどなく、式神もそれをわかった顔で、むしろ面白がる様子で『今度のダンナ』などと呼んでいた。それが珍しく真顔で言ったのだ。
「妖怪ってなァ、闘神士を相手にするのとはわけがちがいやす。遠慮なく術者を攻撃してくるし、倒れようもんなら頭から食われちまいやさァ。
 そんなモンが山ほど出てくる場所は、今のダンナにゃ荷が勝ちすぎる。戻りやしょう」
「妖怪ごときに負けるつもりか?!」
「今度のダンナはまだ印も少ねェ。あっしの技の使い勝手もよくは知らねェ。負けてもおかしくねェと思いやすがね」
 オニシバはきっぱり言った。
「……おれが未熟だと言いたいのか」
「契約してからの日が浅すぎるって言いてェんでさ」
 タイザンもまだ少年だった。今よりももっと式神との身長差があって、完全に見上げる角度だったが、そのままオニシバをぐいとにらみつけていた。式神の目は黒眼鏡の後ろに隠されてしまっていて、そこにどんな光が浮かんでいるのか、そのときのタイザンには想像もつかなかった。
「今度のダンナ、伏魔殿はあんたが考えてるよりずっとおっかねェ場所ですぜ。雅臣の坊ちゃんに効く薬を作ってやりてェのはよくわかるが、ダンナにまで何かあったらどうしようもねェや。
 帰って、坊についててやりやしょうぜ」
 その言葉はタイザンをいらだたせた。
「ついていてどうする。何もできぬ。どんどん悪くなるのを見ているばかりだ」
「だんだん良くなるかもしれねェ」
「そんな保障はどこにもない!」
「それでも、これ以上先にはいけませんぜ。ダンナとあの坊と、共倒れにはさせられねェ」
「式神が闘神士のすることに口をはさむな!」
「はさみやすよ。あっしァ進路を司ってやすからね。闘神士が進む先のおそろしさを知らねェならなおさらだ」
 いらだちと、不安と、脳裏に浮かぶ苦しげな雅臣と、そんなもろもろがないまぜになって叫びたいほどなのに、次に出た声は冷たいほど静かだった。
「……伏魔殿がどれほどおそろしい場所かなど、お前に言われるまでもなく知っている」
「いや、ダンナは何も知らねェ」
「知っているさ! 伏魔殿が作られたそのとき、おれはそこにいた! 伏魔殿が出来る原因を作ったのはおれだ!」
 何かに突き動かされるようにタイザンはそう叫んだ。オニシバの口がかすかに開いて、何か言おうとしたようだったが何の言葉も出ず、ただ黒眼鏡の向こうの瞳がこちらを見ていることだけがわかった。そこにどんな光が宿っているのか、やはりタイザンには見当もつかなかった。
「伏魔殿に、ウツホが封じられているのは知っているだろう。
 ウツホは山奥の隠れ里で静かに、何の野心もなく暮らしていた。雅臣やその姉のような、戦火に追われたものを受け入れてな。
 そうして受け入れられ、命を救われたはずの里人の一人が、都にウツホのことを密告したのだ。里は襲われ、ウツホも里人も伏魔殿に封じられた。雅臣の姉もだ。
 人々が封印に沈むのを横目におれは逃げた。密告したのは、おれだ」
 一息にまくしたて、そこで急に心にも体にも力が湧かなくなって、それ以上言葉を続けられずタイザンは突然にだまりこんだ。こうしている今も幼い雅臣は病で苦しい思いをしているのだと思い、そもそもこの時代にきて病をもらうことになったのも、すべては自分の行動のせいだと思うといてもたってもいられなかったが、式神と目が合うのが怖くてうつむいたままでいた。
「……そういうことでしたかい。いろいろと合点がいった気がしやすぜ」
 顔を上げると、式神はいつもの飄々とした態度であごをなでていた。
「ショウカクの兄さんらはともかく、雅臣の坊ともだいぶ違うことを考えていなさるようなのはなんでかと思ってたんでね」
 そしてその口が、笑うように広がったのでタイザンは心底おどろいた。
「そういうことなら仕方ねェ、符はたんとありやすかい」
「あ、ああ。あるだけ持ってきた」
「じゃ、いつでも投げられるよう備えておいて下せェ。特に『扉』の符だ。それでも、やばくなったら尻尾巻いて逃げやすぜ」
 そして、話についていけていないタイザンをひょいと肩に担ぎ上げた。
「何をする!」
 少年の小さな体とはいえ、抱き上げられるような幼い時期はとうに過ぎていた。肩に座るような格好のまま、慌てて抗議すると、オニシバは、
「なるべく急ぎてェんなら、こうして駆けたほうがずっと早いや」
と笑った。なぜそんな風に笑えるのかさっぱりわからずにいると、黒眼鏡の後ろから、丸い目がちらりとのぞいた。そこには意外と優しい光があって、薄い雲の向こうに光る、おぼろな太陽のようだと思った。
「そうら新手が出やがった。つかまっておくんなせェ。駆けやすぜ!」
 言うなり俊敏に地を蹴り、タイザンは慌ててその頭にしがみついた。左手上空から襲ってきた妖怪の一群に、オニシバは銃を撃つ。タイザンも必死で印を切った。そうして無我夢中で妖怪を蹴散らしながら、
「今度のダンナ」
 オニシバが声をかけてきた。
「さっきの話はダンナとあっしの秘密にしときやしょう。そういうの割と嫌いじゃァなくってね。子供っぽいと思いやすかい?」
 それにまた笑い声がかぶさって、タイザンはわけもわからず、たださっきまでの押しつぶされるような胸のうちがいつの間にか治まっていることに気づいていた。


「伏魔殿に薬草を取りに行ったときか。……あれはいい修行になったな」
 薬局のソファに持たれ、小声でそれだけ言ったタイザンに、オニシバは何かを感じ取ったような忍び笑いをもらして、
『へい』
 やっぱりそれだけを答えたのだった。

10.12.18



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幼タイザン、もう一つくらい書きたいという野望。
そんな予定じゃなかったのに途中が膨れ上がっていきます。毎年そうなような……。