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タイザンは目を開けた。すぐそばにオニシバがいて、その半透明の手がタイザンの左肩を覆っている。
『ダンナ、あっしァ物にさわれねェんですから、毛布は自分で被ってくだせェよ』
タイザンは瞬きし、ゆっくり身を起こした。自宅マンションの寝室だった。
夢を見ていたのだろうか。そう思い、思った一瞬の後にはどんな夢を見たのかさえ思い出せなくなっている。それともこれも夢の続きか。
毛布をはねて外気に触れていたのか、左肩がすっかり冷えてしまっていた。それをこすりながら、
「……雪は、どうなった。降ってただろう」
不意に思い出した。そうだ、積もり具合によっては相当起床時間を前倒しにしなくてはならない。
『ぼちぼちってェとこで』
暗くてよく見えないが、ベッドの上に上着らしきものが落ちているのを羽織って窓辺へ寄った。見下ろす街の灯りはほとんど消えて、その中を大粒の雪がぽつぽつと舞っている。これ以上強くならないという保障もなさそうで、オニシバの言うとおり、ぼちぼちと言ったところだ。
タイザンは窓を開けた。冷たい雪のにおいがかすかに流れ込んでくる。
「冷えるな」
『へい』
「この分ではダイヤが乱れるだろうな。明日は早く起きなくては」
真っ暗なうちに布団を抜け出す覚悟を固めていると、オニシバがふきだした。
『仕事の鬼もきわまれりってとこですかい? ダンナ、明日は休みの土曜日ですぜ。たんと寝坊しててもいいんでさァ』
タイザンはきょとんとした。
「……そうだったか?」
『へい。暦を見てごらんなせェよ』
そうだったろうか。オニシバがそう言うならそうなのだろうが。
そう、今は大雪、霜花族の節季だ。そして明日がもう土曜日だと言うなら、大雪は今日で終わり。それをオニシバが間違えるわけはない。
大雪は今日で終わりなのか。タイザンは休みなく落ちていく雪を見つめて考えた。
夢かうつつか、判然としないものの中をさまよってきた気がする。その感覚はまだ続いていて、たとえば今この瞬間、不意に目が覚めて、そこが深夜の列車の中だったとしても不思議ではない気がした。
この明かりを消した部屋も、眼下の街も、暗い夜空もまるで現実感がなくて、確かだと思えるものといえば、窓から流れ込む雪の冷たさと、すぐそばに響くオニシバの声だけだ。
「オニシバ」
『へい』
「私は、」
『へい』
そのまま黙ってるのをいぶかしく思ったか、オニシバがこちらの顔を覗き込んできた。
『どうかしやしたかい』
「いや、その……」
せっかくの、年に一度のお前の節季だ。
こんな時しか言えないことを言おうと決意したというのに、うまく言葉にならぬものだな。
その代わりに、口から出たのはこんな言葉だった。
「かまくらでも、つくりに行くか」
オニシバが黒めがねの後ろで瞬いた。
『へい? かまくらですかい?』
「ああ。明日目が覚めて、雪が積もっていたら、かまくらを作りに行くぞ』
『そんなに積もりやすかねェ』
「だから積もったら、だ。どうしても雪が足りなかったら、伏魔殿から調達する手もあるからな」
『どうしちまったんですかい、ダンナ』
オニシバは笑いをかみ殺すようににやにやしている。
『ずいぶん楽しそうなことを言うじゃありやせんか。面白ェ。酒でも持っていきやすかい』
「つまみもな」
『あァそうだ、つまみも忘れちゃいけねェ』
かまくらを作るという着想にというよりは、そんなことを言い出したタイザンのことを面白がっているらしかった。
「……寝るか。冷えてきた」
『へい。お休みなせェやし』
戻る前に、タイザンはもう一度窓を振り返った。雪はさっきより強くなった気がする。それは積もれと願うタイザンの願望がそう見せただけかもしれなかったが。
『あっしの節季の最後のシメに、どっさり雪を降らせるとしやすか。そこの窓から出られるくらい』
オニシバが窓を指した。地上27階の、このあたりでは一番高い窓だ。
「それは……いいな。かまくらも雪だるまも作り放題だ」
想像するとそれはひどく愉快な光景のように思えた。あたり一面に大きな大きな雪だるまを並べて、その間で雪合戦もできるだろうか。1対1では少々つまらないが。それからこたつが置けるほどの広いかまくらを作って、中で酒でも飲もう。
タイザンは目を閉じた。オニシバと2人のかまくらの中、とろとろと熱い酒の酔いが回る心地を思い浮かべる。雪の積もる音が聞こえるような静けさと、遠くでかすかに子どもの笑い声がして 。
そこでなら、さっき言葉にならなかった何かを、伝えることができるような気がした。
07.12.21
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