+ 春風 +


 霜花のオニシバは、木の枝に腰掛けて、のんびりと太白神社を見下ろしておりました。
 もう春も近い京都郊外には、暖かい日差しがここちよく差してきて、昼寝するには絶好の日和です。
 遠くに見える山々には、ところどころ薄紅の色が混じっていて、ちょいと早いが花見にでも行きてェもんだ、遠出できるもんならダンナを誘ってぶらぶら歩くのも悪くねェ、オニシバはそんなふうに思うのでした。
 太い枝に腰をおろし、木の幹に背を預けたオニシバは霊体で、後ろが薄く透けて見えます。見下ろす太白神社の中には、オニシバの契約者である神流闘神士タイザンがいるはずでした。
 神流と天地宗家の戦いが終わって、半月ほどが経っていました。ウツホが最期にそう望んだため、大戦で敗れた闘神士たちの元にも失ったはずの式神が戻っておりましたが、なぜかオニシバだけは闘神士の元へと戻れませんでした。しかし式神界に戻るでもなく、名落宮に落ちるでもなく、霊体のままでタイザンの近くにいるという、実に中途半端な存在の仕方です。
 どうやら、闘神士が契約を拒否しているらしい。そのあたりはオニシバも数日で察しました。すわりが悪くてならないので、どうにか状況を打破しようといろいろ試したのですが、誰にも自分の姿は見えないとわかったのみでした。ときどきパニックを起こしているタイザンはもちろん、他の闘神士たちの目にです。
 それともう一つ。それでもタイザン(もしくはその闘神機)から遠く離れて行ってしまうことは出来ないということも、じきにわかりました。
 意識を取り戻したタイザンは、時渡りして後のことをすっかり忘れたという顔をしておりました。雅臣さんが外に連れ出そうとするとわめきちらし、テレビでも見せようとすれば逃げ回るという体たらくで、それはそれでオニシバは大変面白く眺めていたのでした。
 ダンナ、やっぱり怖ェのを我慢してたんじゃありやせんか。
 それは地流時代に散々思ったこと、そしてつい口に出しては怒りを買っていた言葉でした。
 ですが今は、オニシバが何度それを言っても、タイザンは怒る気配もありません。
 その言葉が耳に届く気配も、ないのでした。


 眼下ではこの社の闘神士と闘神巫女とが、ほうきを手に立ち話しています。
 オニシバは闘神士のほうに見覚えがあり、その姿を目にするたび、とても懐かしく感じるのでした。やんちゃな子どもだった彼は、いまやりりしく成長し、小袖と袴姿がよく似合う若者になっておりました。
「じゃ、今週中にはマサオミたちを元いた時代に返してやれるのか」
「はい、ヤクモ様。おそらく3日後が一番よい星のならびになります」
「そうか……寂しくなるな」
 2人は、タイザンや雅臣さんたちを時渡りさせる日について話し合っているようです。
 ふと、闘神巫女がオニシバの座る枝のほうを見上げました。目を凝らすように眉根を寄せ、
「ヤクモ様、あそこになにかおりませぬか」
 その人差し指の先を追って、闘神士もオニシバのほうを振り向きます。彼の視線はオニシバを素通りしました。
「………いや、俺には何も見えないけど。ブリュネ、何かいたか?」
『異常ないであります』
「そうですか。では、私の見間違いかもしれませぬ」
 オニシバは枝の上で頭を掻きました。人間はともかく式神にも見えねェんだから困ったもんだ、と。ただ唯一闘神巫女たちだけは、時折オニシバの気配を感じているようなのです。
 姐さん、あっしに気付いて下せェよ。そしてダンナに、オニシバのやつはここにいやすぜって、言ってやっておくんなせェ。
 オニシバはそんな風に語りかけましたが、巫女はもう気付く様子もなく、竹ぼうきで参道の落ち葉を集め始めたのでした。
 オニシバは木の幹にもたれなおします。
 さてさて、時渡りの鏡でダンナが昔に帰っちまって、そうしたらあっしァどうなるのかねェ。今のままならくっついていけるんだろうが、もしかしたらはずみで絆が切れちまって、今度こそ名落宮落ちかもしれねェ。
 そんなことを考えながらふと顔を上げますと、梢ごしの陽光はまぶしく、空は晴れ渡って青いのでした。
 オニシバは右足をぶらぶらふりました。
 丁と出るか、半と出るか。……ってとこかねェ。そう口に出してつぶやきはしましたが、もうそんなことはどうでもよく、この木陰でうたたねでもしたら気持ちよかろうと、そんな気分になっているのでした。
 ダンナも外へ出てくりゃァいいのに。この社の中なら、怖ェことは何にもねェ。……おっと、時々雅臣さんが走らせる、ばいくとやらがあるか。ま、今日は天流宗家のところへお出ましみてェだし、ぶつかることもなさそうだ。そう思いながら、オニシバはタイザンがいるはずの本殿のほうへ顔を向けました。
 ダンナ、ごらんなせェよ。じきにダンナの好きな桜の花が咲きやすぜ。
 平安のころとはずいぶん違う、この時代の桜の花を、目に焼き付けてから帰りませんかい。
 ちょいとその扉を開けて、膨らみかけたつぼみを眺めて、それからあっしに気づいて下せェ。
 絆はまだ、あんたとあっしをつないでますぜ。

 主殿の戸が、少し動く気配がありました。誰かが内側から扉を引いたのです。それはもしかしたらこの神社の闘神士親子のどちらかかもしれませんし、闘神巫女たちの誰かかもしれません。そしてそのほかの誰かであるかもしれないのでした。
 一歩、二歩。出てきてくれれば、オニシバにもその顔が見えるのです。
 そしてきっと、歩み出てきた人影も、自分の姿に目を留めるに違いないと、オニシバはそんな風に思うのでした。

06.11.14




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