+ 甘柿 +
「タイザンは式神と契約しないのか?」
柿を丸かじりにしながら、何気なくガシンが言った。 嫌なやつだ。タイザンはすっと視線をそらし、自分も柿にかぶりついた。
「すればいいのに。せっかく闘神機を持ってるんだから」
ガシンは気がついた様子もなく、美味そうに柿を食べている。
この山里でとれる柿は甘い。都にいたころは、柿といえば綺麗に皮をむいて盛り付けられたものだと思い込んでいたので、里に来たばかりのころはずいぶんと戸惑ったものだ。今はこうして、里を囲む山に入り、熟れた柿を直接枝からもぐことにもすっかり慣れた。
「姉上は、この里にはウツホ様がいらっしゃるから、タイザンが式神と契約しなくてもいいって言うけど」
ガシンはまた一口柿をかじり、思い出したように足元に置いたかごに手を伸ばし、いくつも放り込まれた柿の表皮をなでた。赤い実はつるりと丸く光る。
「でも、僕なら絶対、すぐに式神と契約するな」
……と、ガシンは言うでしょう。そう言って微笑んだウスベニを思い出した。同じことをこの童の姉に聞かれ、そのときはつい、式神と契約したくなどない、符さえあれば間に合うのに、そんなことをしてなんになる、と言ってしまった。すぐ後悔して口をつぐんだが、彼女はそれ以上何も聞かず、ならばこの里で穏やかに暮らしてゆけばよいと言ったのだった。その柔らかな声に、タイザンはこの娘がすべてを知っているのではないかとさえ思った。
式神は符とは違うのですよ、タイザン。いずれあなたにも式神との絆が感じられる日が来るでしょう。それまでは、無理に契約することなどありません。この里で、今ここにある絆の中で、静かに暮らしましょう。
絆? とタイザンは聞き返した。ええ、とウスベニは小首を傾げる。式神と闘神士だけではありません。ひととひととの間にも、絆は生まれるものなのですよ。
それは知っている。だが、ウスベニの言っていることがタイザンにはよくわからなかった。自分とウスベニたちの間に、絆があるというのか。目に見えず、音にも聞こえぬそれを、なぜあると言えるのか。
それを聞いて、闘神機の中で青龍が異国語で何か言って笑った。ウスベニもまた目を細めて笑い、わたくしにはわかりますよ、と言った。それから手元の書を広げ、子どもたちに字を教える手伝いをしてほしいと言ったので、その話はそこまでになったのだ。いや、もう一言だけ付け足した。ガシンなら、闘神機を持つあなたをうらやましがることでしょうねといたずらっぽく笑ったのだった。
ウスベニの言ったとおりだ。ガシンに返事をしてやらず、ひたすら柿を食べる風を装いながら横目で見ると、少しだけウスベニに似た少年は至極無邪気な顔で「でも、いいや。キバチヨがいるから」とのんきな独り言をもらしていた。そして、
「そういえば姉上、タイザンが式神と契約しないのは、きっと心が美しすぎるからでしょうって言ってた」
ブッとばかりに、もう少しで柿を吹くところだった。ガシンが振り向く。
「どうしたんだ?」
「……なんでもない」
ウスベニは聡明なようでいて、時折こういうめちゃくちゃなことを言う。
「姉上が言うならそうなのかもしれないけど、僕にはタイザンの心が美しいなんて、とても思えないや」
「お前に心が美しいなどと思われるようでは終わりだ」
「なんだよそれ!」
ガシンは面白いほどに頬を膨らまし、そっぽを向いて柿にかぶりついた。
「やっぱりそうじゃないか。どこが美しい心なもんか」
お前の言うとおりだ。そう考えながらタイザンは柿をかじった。美しいのは私の心ではなく、ウスベニの心だ。ウスベニは私を通して、自分の美しい心を見ているだけなのだ。
隠れ里の守人を自認するウスベニにも、そういうどこか素朴なところがあった。自分が善人だから、他の人間もみな善人であろうと思う そういった里人の美しさを見せられるたび、タイザンは不安になる。
「ガシン! タイザーン! どこだーい!」
突然、遠くからキバチヨの声がして、タイザンとガシンは泡をくって食べかけの柿を隠そうとした。だがその前に青い影が軽々と木々を跳び越えてきて、
「あ、ずるいな! 自分たちばっかり先に食べてるよ。みんなで食べる約束じゃないか」
目の前に降り立った青龍が高い笑い声を上げた。しーっ、とガシンが口の前に指を立てる。
「姉上には内緒だぞ、キバチヨ」
「だめだよ、ボクはウスベニの式神だからね。ご愁傷様!」
青龍はまた高らかに笑い、「ウスベニ、こっちだよ!」と契約者を呼んだ。ガシンは慌てふためき、かじり跡のついた柿をタイザンに押し付けようとする。
「タイザン! これ!」
「よせ、おまえ、私一人の罪にする気か?」
「タイザンなら姉上に叱られないだろ?」
「そんなはずあるか。お前が知らぬだけで今までも散々……」
そんなことを言い合うあいだにも落ち葉を踏む足音がどんどん近づき、鈴を振るような声が2人の名を呼ぶのも聞こえてくる。
観念するしかなさそうだった。
生い茂る草を踏み倒して、ただひたすらに走る。
絆、絆、絆。
その言葉がタイザンの頭の中をいっぱいにしていた。苦しい息と同じ速さで、その言葉が繰り返し頭に浮かんでくる。
私とお前たちのあいだに絆があると言ったな、ウスベニ。
ならばガシンの腕を引くこの手が絆か。
違う。私はガシンを裏切り、挙句一番大切なものを奪った。
お前はきっと私を許さないだろう。当然だ。お前たちが絆と呼んだものを、私は自分の手で打ち壊した。
ガシンの足が遅れだした。タイザンはその腕を強く引く。
「走れ、ガシン!」
「姉上、姉上っ……」
嗚咽の声を聞きながら、タイザンは振り返ることもできず、ただ駆けた。
背後から天地の追っ手が迫りくる足音がする。
式神がいればよかった。絆だのなんだのと考えたりせず、ただ契約しておけばよかったのだ。私に必要なのは絆ではなく、道具だったのだから。そうすればこんなことにはならなかった。あの穏やかな日々を失うことはなかった。
叫びたい気持ちをこらえて唇を噛み、タイザンはガシンを引きずるようにして足を速めた。
懐中の闘神機は、空虚に軽い。
06.10.21
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