+  霜花  +



 何のために契約するのかと問われたら、本当の答えは一つだけ。しかしそれを正直に告げる必要などあるのだろうか? 式神など道具にすぎないのだから。
 自分は今ここで道具を手に入れ、己が内の望みをかなえるために使うだけだ。
 そう決めて、右手の闘神機を掲げる。雪のフィールドの濃い闇が、闘神機の光にほんの一瞬照らされて消えた。
「式神、降神」
 現れた障子の向こうからは、飄々とした声が返る。
「あっしを呼んだのは、あんたですかい?」
 障子には影しか映らないが、その姿は明らかに期待していたものとは違う。少なくとも、彼の記憶にあるあの姿とは似ても似つかなかった。落胆が自然と声を低くする。
「……おまえは、何だ」
「式神でさァ」
 すぐにこたえが返った。…そんなことはわかっている。
「種族は?」
「霜花ってェ、土属性の式神でさァ。節季は大雪、師走のころ。僭越ながら進路を司っておりやす。…もっと言いやしょうか?」
 気にくわない式神だ。彼はそう思い、掲げた闘神機を下ろそうかどうか、本気で迷った。
「霜花。霜花、か……」
 口の中でつぶやき、袂をつい握りしめる。白く染め抜かれた竜鱗紋がくしゃくしゃにゆがんだ。
 と、障子の向こうで、式神が初めて身動きした。それまで横顔を見せていたのが、ほんの少しこちらに向き直ったのだ。
「どうやら、今度のダンナはあっしが気に入らねェようで?」
「………」
「だからって、ほいほい他の式神に身代わりを頼むわけにもいかねェのが辛いとこだ」
 それも知っている。……となれば答えは一つなのだが。
「だが、霜花などでは駄目だ」
「へえ?」
 式神はこちらにまっすぐ向き直り、からかうような声をあげた。それもまた彼のカンに触る。
「青龍と契約するつもりだったんだ。ダメならばせめて他の四神だ。でなければあやつらを倒すことなど……」
 あの姉弟に(姉はともかく、弟に)契約できたのだ、自分にできぬはずがない。そう思って呼んだというのに。
 障子にうつる霜花の影が肩を揺らし、うつむくようにしてのどの奥で笑った。怒りも皮肉もなく、ひたすらおかしくてならないというように笑った。
「そりゃご愁傷さんで。青龍たァねえ。残念ながら今回は青龍のダンナがたとは縁がなかったようで。ま、仕方ねェや。こればっかりは縁ですぜ、今度のダンナ」
「縁?」
 彼は思わず聞き返した。それだけで、まるで理解できなかったのがわかったかのように、式神が言葉を足した。
「こうして出会えたってこたァ、あんたとあっしの間にちったァ縁があったってことでしょうよ。その縁を拾うも捨てるもあんた次第だ。あっしァどちらでも構いませんぜ」
 本当に、心の底からどちらでも構いはしないと思っている口調で、霜花は言った。それからふいと思い出したように、
「まあ、闘神士さえその気になりゃあ、あっしァ青龍にだって負ける気はしやせんがね。どんな名前だって散らしてみせまさァ」
「……青龍にも」
 彼は障子にぼんやりと浮かぶ影を見つめた。彼と式神の間に縁があったとこの影は言ったか。それはこの障子に映る影のようにあいまいで、つかもうとしてもなしえないもののように思えた。拾うも捨てるも彼次第だと式神は言うが、こんな虚像のようなものをどうやって拾い上げるというのだろう。
 彼にはわからなかった。わかる必要もないのだと、そう思った。今必要なのは道具を手に入れ、望みをかなえるために使うこと、それだけなのだから。
「……本当に、青龍にも負けぬか。朱雀にも、白虎にも、玄武にも」
 つぶやくような小さな声を、式神はちゃんと聞きわけたようで、
「へい。そいつァ請け合いやすぜ」
 そしてもう一度笑って、あんたさえその気になりゃあねと繰り返した。
「で、どうしやす今度のダンナ。契約してねェあっしが人間界にいられるのはほんの少しの時間だけですぜ」
 彼は少し黙り、そして一瞬だけ胸の内に遠い記憶を甦らせた。


 どこまでも広がる色鮮やかな花畑。
 風に乗って響き渡る笛の音。
 穏やかな里の人々。
 地に倒れたあの人が最後にあげた悲鳴と、溶けて消える青龍の姿。
 暗く光る大地に呑まれる、幾人もの……。


 足元から立ち上るしんしんとした冷気が、彼の意識を清明にする。顔を上げ、まっすぐに障子の向こうの影に告げた。
「取り戻さなくてはならないものがあるんだ」
「へい。ダンナの取り戻してェものを取り戻しやしょう」
 そう答える式神の声は、やはりどこか笑い混じりで、彼はもう一度思った。気にくわない式神だ、と。
「私と契約するということは、私の命令に従うということだ。戦いに負けて散れと言ったら、その通り散るか」
「散ってみせやすぜ。ただダンナ、そんときにゃ……あっしの名が散るときには、笑ってくれますかい。あっしァしめっぽいのは大の苦手でね」
「いくらでも笑ってやるさ。……契約する」
 異界との狭間を仕切る障子が音を立てて開き、そこからあふれた光が雪原を白く照らした。


 それはまだ、闇の濃い夜明け前。いずれ二重の絆が二人をつなぐとは、思ってもみないころ。
05.8.24





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