+  大雪  +


「ダンナ」
 窓際に立って街を見下ろしていたオニシバが呼んだ。
「見てご覧なせェよ。ずいぶんときらきらしてきれいですぜ」
「ああ……」
 降神されたオニシバの横に立ち、カーテンを開け放った窓から見下ろすと、夜更けの街はところどころに明かりがともり、いつもよりもきらびやかだ。ちらちらする灯りは豆電球の光だろうか。白。赤。黄。緑。
「クリスマスが近いからな。異国の宗教の祭りだというのに、この時代の人間は節操がないな」
 そう言いながらも、タイザンは冷たい窓ガラスに掌を当ててじっと遠い町並みを眺めている。照明を落とした部屋が暗いせいで窓ガラスには光る町並みとタイザンの姿が二重写しになっていた。それを眺めていたオニシバは低く笑う。
「なんだ」
「いや……。ここに住み始めたばっかりの頃は、高すぎるのを怖がっちまって窓に近寄れなかったのに、随分と進歩したもんだと思ってただけでさァ。感慨深ェや」
「いつ私が怖がった!」
 間髪入れず声を上げたタイザンに、オニシバは小さく笑って「ダンナ、声を低く」と指を一本立てる。
「ガシンさんとショウカクさんが起きちまいますぜ」
「起きるものか。ガシンなど昔は耳元で太鼓を鳴らしたって目を覚まさぬやつだったではないか。……そんなことはどうでもいい。私は怖がったことなどないからな」
「へい、それじゃそういうことにしときましょう」
 オニシバの態度に不満はありそうだったが、住み始めて一ヵ月は窓に寄れなかったのは事実なので、それ以上の反論はやぶへびと悟ったようだった。タイザンは無言で遠い街を見下ろす。
 背後から聞こえる寝息は雅臣とショウカクのものだ。タイザンの節季を祝うという名目でマンションにあがりこんできた二人は、タイザンをダシにして勝手に盛り上がった挙句、二人してころりと眠ってしまった。
 迷惑な連中だと言いながらも、あまり好きではないというエアコンで室内を温かくしているあたりと、けれど自分の手で毛布をかけてやったりはしないあたりに、彼の意地と責任感の微妙な拮抗具合が透けて見えて、あァやっぱりうちのダンナは面白ェお人だとオニシバは思う。
『ダンナ、毛布でも掛けてやったほうがいいんじゃありませんかい』
「掛けたければおまえが勝手に掛けろ。……式神、降神」
 そしてオニシバの手で二人分の毛布を掛けてやって、当面の用事は済んだはずだが、契約者はオニシバを神操機へと戻そうとはしなかった。ぽつぽつと二人で短い会話を交わしたり、子守唄のように低く笛を鳴らしたり、そんなことをしているうちに夜がしんしんと深まっていった。
 今はもう真夜中も近く、家々の灯りも消えた町並みには、豆電球の光ばかりが輝いている。こうして広い窓へと寄れば、12月の外気の冷たさがガラス越しに伝わってくるのだ。
「……あの小さかったダンナが大きくなったもんだ」
 口をついて出た言葉に、タイザンがこちらを見上げた。
「今日がダンナの生まれた日ですかい。さて、どれだけになりやしたっけ」
「契約者の年も覚えていないのかおまえは」
 その声があからさまに機嫌を損ねていたので、オニシバは笑ってしまった。
「あっしが小さかったダンナと出会ってから幾年すぎたかってェのを考えてたんですよ」
 タイザンは虚を突かれた顔になった。それからすっと窓ガラスに顔を向けた。
「……千年だ。よく、覚えておけ」
「へい。霜花族に生まれて大分たちやすが、千年も契約してたお人はダンナが初めてですぜ」
 契約者はこっくりとうなずいた。
「おまえにはないのか? 誕生日は」
「さあ。考えたこともありやせんでしたね。式神は自然とともに生じたものですから、この世が生まれたときが誕生日かもしれやせん」
 つまらんな、とタイザンの口が動いたのが見えた。息で窓ガラスが曇る。
「つまりませんかい」
「人間はとかく誰かの誕生日を口実に騒ぎたがるもののようだからな。ガシンらしかり、会社の連中しかり……。あの街だって、聖者の誕生日を祝うという名目で、はしゃぎたいだけだろう?」
「ダンナらしいことを言いやすねェ」
 タイザンの呆れ口調を、オニシバは笑い飛ばした。
「あっしなんかは単純に光ってるのがきれいでいいやと思っちまいやすがね。そうは思いませんかい、ダンナ」
「ふん……」
 気難しいのはあの頃のままだと、オニシバはそう思った。あるいはそう装っているだけなのかもしれない。喜んだり感動したり、そういった感情を表に出すのをみっともないと思っているフシが彼にはある。
「ご覧なせェよ、ダンナ。街じゅうに赤い灯りと、緑の灯りがちらちらしてますぜ。ダンナの髪と衣の色だ」
 木を模したらしいイルミネーションを指して、オニシバは小声で語る。他には安らかな二人分の寝息と、静かな夜気だけだ。
「窓から外を眺められるようになった甲斐があったってもんだ。ダンナ、ここからこうして見下ろすと、まるで街じゅうがダンナの誕生日を祝ってくれてるみてェだと思いませんかい」
 タイザンはまずぽかんとし、それからうろたえた顔になり、最後に怒った顔になった。からからと高く笑ってしまいそうになってオニシバは唇を引きつらせる。
「バカを言うな。最近戦っていないから頭のネジが緩み始めたか? なんだそのめでたい発想は」
「思う分にはただですぜ。あの光はみんなダンナを祝ってると思えばなんともありがてェことじゃありやせんか」
「ふん」
とタイザンは顔をそむける。
「好きに言っていろ。見ず知らずの人間などに祝ってもらったところで嬉しくもなんともない」
「へい。それじゃ、僭越ながらダンナのことはあっしがお祝いすることにしやすよ。おめでとうございやす、ダンナ」
 怒るかと思ったが、予想に反してタイザンはわめきもいらだちもせず、またじっと遠い街を見つめ始めた。
「さっきの話だが。おまえの節季は大雪なのだから、大雪の間じゅうずっとおまえの誕生日だ。それでいいな」
「ダンナがいいならあっしは構いませんぜ」
「ならそうする。もう決めた。あの赤と緑も、おまえの……」
 ちらりとオニシバの視線で一撫でして、
「……手袋と腹巻の色だ」
「無理がありやすねェ、ダンナ」
 のどの奥で笑うと、契約者はぷいっと窓のほうへ顔をそむけた。それから左手の笛を持ち上げる。小さく流れ出す旋律は、


    ああ、あっしがこの曲を好きだと言ったの、覚えててくれたんですかい。


 オニシバの耳にだけ細く届いて、静かに消えた。 05.12.24






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