+  ユーマ編  +



『飛鳥ユーマに、このミカヅチの持つ全権をゆずる』
『ミカヅチ様?! お待ちください、ユーマにはまだ早すぎます!』
『ユーマの下で働けというのですか! お考え直しください、ミカヅチ様!』


『ダンナ、……ダンナ!』



 強く呼ばれてはっと目をあけた。一番初めに見えたのはオニシバのサングラスと、その奥の紫の目だ。
『大丈夫ですかい、ダンナ。ひどくうなされてやしたぜ』
「あ……ああ……」
『汗をかいちまってますぜ。よっぽどひどい夢でも見たんですかい?』
 霊体のオニシバの後ろには、天流討伐部長室の壁が透けて見えている。ようやく現状を思い出した。昼食から戻って、昼休みの時間はまだ少し残ってるしゆっくりするか、とデスクの椅子に座り込んでそのまま居眠りしてしまったのだ。タイザンは額の汗を拭った。
「妙に現実感のある夢だったな……。ミカヅチが、飛鳥ユーマに全権をゆずると言い出すのだ」
『へえ、そいつァまた……』
と言いかけたオニシバをさえぎるように、扉を叩く音がした。
「失礼します。こんにちは、タイザン部長。今いいかしら?」
「ミヅキお嬢さん。どうぞお入りください」
 タイザンはとりあえず立ち上がって、宗家の養女を迎えた。デスクそばまで近寄ってきたミヅキはタイザンの後ろにオニシバの姿を認め、「こんにちは、オニシバ」と笑った。相変わらず十代とは思えない落ち着きと優雅さだ。
「いろいろな人に誕生日プレゼントをもらっているって、カンナに聞いたわ。実は私も用意していたの。荷物が増えてしまうけれど、どうぞ。気に入ってもらえたら嬉しいわ」
「………失礼ですが、宗家から何か命令でも下っているのですか」
「お父様が? 何のこと?」
「いえ。ありがとうございます。開けてもよろしいですか」
 自分の正体を暴くためのたくらみでもすすんでいるのだろうか……。一瞬頭にそんな疑惑が上った。朝から振り回されてすっかり辟易しているのだ。
 しかし包装を解いてみれば、中身はこれまでになくまともだった。有名ブランドのロゴがひかえめに入ったマフラーだ。手にとってみれば手触りもよく暖かで、実に上等の品と分かる。
「タイザン部長、最近寒そうに出勤してるんだもの。前に使っていたマフラーをなくしてしまったのでしょう?」
 ミヅキは楽しそうに笑った。確かに少し前まで愛用していたマフラーは今タイザンのマンションにはない。
「なくしたわけではないのですが………弟、が、勝手に使ってしまっていて……」
 そこへノックと、ほぼ同時のドアが開く音がした。
「失礼します。タイザン部長、任務の件でお話があります」
 ミヅキがばっと振り返った。
「ユーマくん……」
「ミヅキ。おまえも天流討伐部に配属になったのか」
 入って来た飛鳥ユーマもまた、いいなずけを見て目を見開いた。ミヅキはすぐにいつもの落ち着きを取り戻して薄く微笑み、
「そうじゃないの。タイザン部長に誕生日プレゼントを持ってきたのよ。どうかしら、このマフラー。タイザン部長によく似合うと思わない?」
「さあ。俺にはそういうことはよくわからん」
 ユーマはにべもない。ミヅキは一瞬表情を曇らせたがすぐ笑顔に戻り、
「そういえばユーマくんがマフラーをしているところって見たことがないわね。いつも半そでで寒そうだわ。マフラーを一本巻くだけで大分違うのよ」
「マフラーなどしたいと思わん。窮屈だ」
 一言で切り捨てた。ミヅキはさすがにひるんだが、なおも続ける。
「そう……かしら。でも、だんだん冷え込んできたしこのままじゃ風邪を引いてしまうわ。だから……」
 それをユーマがさえぎった。
「そんなことおまえには関係ない。それに、俺にはマフラーなど必要ない。燃え盛る心のぱうわーがあれば、寒さなど感じないからな」
 確かに目の中で焚き火できるやつにはマフラーなぞ必要あるまいな……。タイザンが胸のうちでつぶやいたのとほぼ同時に、
「そう……そうよね、へんなこと言ってごめんなさい……!」
 ミヅキはいきなり身を翻してドアへと駆けた。その目じりに涙が光っていることに、ユーマが唖然とする。
「なんだ、一体……お、おい、待てミヅキ!」
 とっさに伸ばした手が、細い手首をつかんだ。
「どうしたんだ。俺にはおまえがなにをしたいのかさっぱりわからん」
 珍しく困った顔になっているユーマに、ミヅキは涙を拭って「私……」と消え入りそうな声で言う。
「ユーマくんにマフラーを編んであげたいと思って……。もうすぐクリスマスだから、プレゼントしたかったの。でもいいわ。他のものを考える。ユーマくんが喜んでくれるようなものにするわ」
 笑おうと懸命に努力しているようだった。ユーマはしばし絶句し、
「そういえば、近頃おまえが編み物をしているようだとソーマが言っていたが……あれは俺へのプレゼントを編んでいたのか」
 ミヅキはまだぬれている頬でようやく微笑した。
「あなたに確かめることもせずに、勝手に編み始めてしまったの。忘れて、ユーマくん。私、あなたのことわかってなかったのね。……それじゃ……」
 そっとドアを開けた細い背中に、ユーマが「ミヅキ」と呼んだ。小さく振り返る彼女に、
「その……なんだ。マフラー、楽しみにしている」
 一瞬の間をおいて、ミヅキの顔が輝いた。
「……ええ」
 うなずいて頬を染め、閉まるドアの向こうに消える。残されたユーマは照れとばつの悪さがない交ぜになった顔で頭を掻いた。
『ユーマ。うぬもまだまだだな』
「俺には、こういうことはよくわからん……」
 愉快そうな式神と言葉を交わし、自分もドアを開け部屋を出て行った。
 それをタイザンは無言で見送る。ドアがしまると同時にデスクの引き出しを開けて小さな紙を取り出した。『休暇届』と題されたその空欄を、黙々と埋め始める。
『今から半休とるんですかい? 午後になってるし、何時間か無駄になっちまいますぜ』
「だからといってこんな日に仕事をやってられるか。わざわざヒトの部屋まで痴話ゲンカをしに来おって!」
 書き終わったタイザンは勢いよく立ち上がり、デスク上の書類を鞄に放り込んだ。続いてこれまで押し付けられたプレゼントの数々をかき集めて抱える。
「持ちきれんな……。オニシバ、半分持て。式神降神」
「あっしが持ったまま帰るんですかい? まずくありやせんか」
「天流討伐部室までだ。あそこなら紙袋の1つや2つ転がってるだろう」
「紙袋だったら、たしかあの戸棚につっこんであったように思いますがね」
 ファイルキャビネットの奥から引っ張り出した紙袋はやや小さく、二人がかりでああだこうだとプレゼントを押し込むはめになった。
「これで全部か?」
「まだ1つありやすぜ。さっきの嬢ちゃんが持ってきたマフラーが残っていまさァ」
 タイザンは顔をしかめて、ぎゅうぎゅうづめの紙袋とマフラーの箱を見比べた。先ほど実演された青春ドラマの一場面がよみがえってげんなりする。
「悪い品ではないが、持っているのも業腹だな。……おまえにやる」
「いいんですかい? じゃあ、ありがたくもらっちまいますぜ」
 受け取ったオニシバは無造作にマフラーを巻いた。
「おっ、こいつァあったけェや。似合いますかね、ダンナ」
「そういう犬が歩いていたな。今朝の出勤の時に、近所の公園を、飼い主と散歩で」
「ま、なんとでも言ってくだせェ。あっしァ気に入りましたぜ。よく見りゃあっしの毛並みに似た色をしてらァ」
 オニシバは笑ったのだが、タイザンは少し目を見開いてまじまじとオニシバを見た。
「…………やっぱりやらん。返せ、オニシバ」
 面食らった顔のオニシバからマフラーをはぎとり、タイザンはさっさと自分の首にマフラーを巻く。
「……確かに暖かいな。よし、帰るぞ」
「おまえにやると言ったのはダンナですぜ?」
「やっぱりやめることにしたんだ。戻れオニシバ」
「へいへい」
 オニシバの戻った神操機をホルダーに収め、タイザンは足早に天流討伐部長室をあとにした。
17.12.17




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