N家では「奥さんが家づくりの牽引をした」の巻 III

 予想したとおり、例によって家を解体し整地が済んだ後、いっこうに工事が始まらない、N家の人たちの姿は近所に見えない、それで近所の人たちの間では、N家の人たちは夜逃げしたのではないかと噂が立った程でした。

 その後やっと工事にこぎつけたと安心したのも束の間、基礎が出来上がった後いつまでたっても基礎の上の部分が始まりません。そしてやっと上棟式が済んで屋根を葺いたと思うと、大工さんが少なくて、思うように目に見えて工事が進展しません。

 現実を受け入れ、頭の切り替えが住み、仮住まい生活に飽きたおばあちゃんは「いつ出来るの」と催促し出すし、それまでもこの事でその都度不満を言ってこられた活発な奥さんが、ご主人を前に文句が始まりました。「こんな事ばかり起きるようでは、Yさん(親戚の大工さん)になど頼まず、力のある建築会社に頼むべきだったのよ」と。そのように攻め込まれたNさんは、一家の主(あるじ)としての決定が疑われ、今度も立場や面目がまずいことになったのでした。そこで助けが必要だとばかり設計者は言ったのです。「”大草原の小さな家”の本の中のことですが、開拓者だった家族が困難に出会うたびに、お母さんのキャロラインはみなの前で言っていました。”終わり良ければすべて良しですよ”と。だから、奥さん我慢我慢、終わり良ければすべて良しですよ」。「設計の人はいつもそういうことをいう(ということは、これまで何度か言ったということ)」と言い返して、不満が収まりません。その時は無責任に気休めを言っていると思われていたのです。

 しかし設計者には、親戚の大工さんが組織的な力や全体を整然と進める経験がなく、工事の日にちが通常よりも多くかかっても、納得しながら、ゆっくりと確実に進めるやり方を見ていたので、他の職種の職人たちの仕事の出来栄えを確認しながら―しっかりした仕事をやり遂げるだろうという確信がありました。

 世間ではメカニックに、合理的に整然と進めるよりも、迷いながらもその都度確認して、ゆっくり物づくりする方が良い場合が沢山あります。その後も自家発注的な工事の部分があったことなどで思わぬハプニング的な事柄が何回もありましたが、その都度、最良の解決方法を考え、困難を切り抜け、完成に近づいて行きました。時には現場監督をやったり、左官の下地塗りを試みたり、文句を言っていた奥さんも、しまいには現場の流れに組み込まれたふうでした。(→次へ


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