N家では「奥さんが家づくりの牽引をした」の巻 IV

 家が完成した時設計者はご夫婦を前にしていいました。「終わり良ければすべて良しだったでしょう」と。奥さんは工事のプロセスが頭の中をよぎったのか、感慨深げに「一般の建設会社に頼んだりしたのでは、こんなふうに私たちが満足する、ていねいに仕上がった家にはならなかったかもね」と納得されました。その中にはプロセス全体で果たされた、ご自分の充実感も含まれていたのだと思います。

 ともあれご主人は”面目”を保たれ、設計者は言ったことの責任を取ることが出来ました。

 以前の家はタタミの部屋が多く、廊下は3尺(90cm)幅で狭くおまけに折れ曲がりがあり、車椅子を使うことなど不可能だったおじいちゃん―新しい家に住み始めてある日娘さんがいいました。「お母さん、おじいちゃんが朝早く起き出して、車椅子で家の中をあちこち動き回って探検しているみたいだよ」と。意識が普通でなかったおじいちゃんでさえ、新鮮で快適さを感じることができたのでしょう。(その後もおじいちゃんは「子供が運動会で遊んでいるみたいに、車椅子でゴロゴロ家じゅう動き回って困ったほどです」とのことでした。)

 別の日に、娘さんはまたいいました。「このうちはお母さんの意見ばかりで出来たうちだって、みんないっているよ。お父さんの意見がまるで入っていないみたいね」と。またしても一家の主人としての”面目”が問題になりそうなので設計者はいいました。「そんなことはないですよ、お父さんの意見のおかげで、家の中がどこも明るくて、気持ち良い家になったでしょう。それが一番大事なことです」と。

 親子のそんな意見のやりとりが、友だちどうしの会話のようであり、とても明るい家族の、春の日の出来事でした。

 N家の家づくりは、”夜逃げした”などと噂されたり、工事中に、問題だった南側の林がマンション工事で全部切り倒されたり、通常起きない苦労やわずらわしさに遭遇したりでした。しかし建築中のプロセスに参加されたことにより、何ものにも変えられない充実感と満足感を手にされたようでした。そして世代間の住み分けがうまく出来るようになったのも、この家づくりの大きな成果の一つでした。おおらかな性格のご主人と、活発な奥さんの組合せが、この家づくりには大変良かったようです。


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