私たちにとって、自分の家をつくることは一生の間に一度といっていいでしょう。人は家づくりを決意した時には、まず資金の見通しをつけます。その後ある種の人たちはスピードと便利さという現代社会のリズムになれてしまっているために、早く新しい家に住みたがります。その結果、大まかなこと以外は人まかせ、メーカーまかせ、新建材による既製品の組立てまかせ。あるいは程ほどに気に入ったセット物を買うセンスで商品の如く家を買い求めます。
急ぐあまりで、そこではゆったりと落ちついて、自分たちの『本当に住みたい、生活したい家はどのようなものなのか』と考える事をおろそかにしがちです。周囲の自然環境や庭との積極的な関係を含めて、自分たちだけの楽しく新しい生活展開のイメージを抱く余裕がないようです。
日本の街並みや、個々の家のたたずまいと住空間の全国的な均一性と貧しさの根本は《住むことに対する熱意と、生活を楽しもうとするイメージの貧しさ》にあるのではないでしょうか。それは広さや経済的な余裕がなければ解決しない―という事とは別の問題なのに、計画に関わる人たちはそうした理由を付けがちです。
家族で次の生活のイメージをふくらませ共有すること、面倒くさがらず人まかせにせず、できれば家づくりの全過程に家族で積極的に参加した方がいいと思うのです。現に家づくりをした多くの人たちは設計をまとめる段階だけでなく、工事が始まってから現場監督・棟梁・その他の多くの職人の人たちとの共同創作(コラボレーション)を楽しんで家づくりをする人もいます。各種の職人さんたちー住まい主の家族の他は、その家に住むことのない職人たちは自己の生計のために協力して働いたとはいえ、そこに"つくる喜び"を残して、いずれみんな去っていきます。住まい主と家づくりの関係者で"つくる喜び"を共有し、お互いの間に信頼と理解と愛情があったとしたら、私たちは気づかずにその時々お互いに命のやりとりをしていたのかもしれません。(外国の例ですが、このことはコラム『南仏プロバンスの家づくり』に書きました)。
家づくりの原則。先ず急がないこと。《自分たちの生活のイメージをはぐくみ、明確にして》辛抱強く家づくりに関わる人たち(設計者や職人さん)に伝え、時には柔軟に軌道修正しながら関係者と一緒につくっていこうとすること。身体的で動物的な感覚を大切にし、生きた体全体で感じようとすること。私には、出来すぎの、工業化された世に氾濫する合成品主体の組立てハウスのような家からは、元気など貰えるとは思えないのです。それを端的に言えば"著しい人間性の希薄さ"です。
私は、家の隅々にまで住む人のイメージした希望がかなえられ、長い年月に渡ってそこに住む人に家が大切にされ、家が元気を与え続けてくれる住まいを作っていきたいと考えています。
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