Copyright(C) 2002-2008 Bordeaux. All rights reserved.

トップへ戻る
トウシューズ選びトップへ
靴選びトップへ
コラムもくじへ

コラム Page3

フリードは上級者向き?

 フリードのトウシューズといえばプロに愛用している人が多いため、“プロ用”とか“上級者用”というイメージが強い。でも私はちょっと違ったイメージを持っている。あくまでも個人的感想にすぎないが、フリードこそ一番初心者向けなのではないかという気がする。(注;上級者に向いていないという意味ではない)

 私が一番最初に履いたトウシューズは国産メーカーのものだった。それはとても立ちにくいものだった。つぎに別の国産のものを履いたのだがそれも固いし、バランスは取り辛いし恐かった。そして3足目位に履いたのがフリードだった。フリードは今までの2足と比べてシャンクが柔らかいし、とても安定が良く立ちやすかった。正しい立ち方だったかどうかは別として、とにかく「なんて立ちやすいんだろう!」と感動したものだ。しかし、今考えると当時選んだフリードは足には合っていなかったので痛かった。でも、その痛みに目をつぶっても、履き心地は別としても、初めて恐怖を感じずに立つことが出来たし、とにかく「立ちやすかった」のだ。(注;立ちやすさと履き心地の良さは必ずしも一致するとは限らない)

 フリードはすぐに馴染んでプラットフォームもすぐに柔らかくなってくれるので、一点でなくてもバランスが取れてしまうのだ。つまりバランスが取れる範囲が広い。要するに、悪く言うとごまかしが利いてしまうのだ。だから初心者の私でも簡単に立つことが出来た。それから柔らかくて音が静かだから、結構無神経に着地してもそんなにうるさくない。だから初心者の頃はフリードが大のお気に入りでしばらくはそれを履いていた。

 でも多少なりとも足の力がついた今、一番最初に履いたメーカーのものを履いてみると足の形には合わないから結局履けないのだがバランスは決して悪くはないのだ。どうやら引き上げないと立っていられないタイプのトウシューズであっただけであってトウシューズ自体のバランスが悪かったわけではない。私がただ単に引き上がっていなかったから立てなかっただけなのだ。もしかしたらそのトウシューズを我慢して履いていれば引き上げがもう少し早く身に付いたのかもしれない。どうせそのメーカーも、その次に履いたものも、フリードも今考えれば全部私の足の形には合っていなかったのだから……。

 でも私の行った教室の先生は立ち方というのを一度も教えてくれなかった。だから引き上げがなかなか身に付かないのも無理が無かっただろう。少し前に行っていた教室の先生は、立ち方をしっかりと教えてくれた。そしてこんな事を言っていた。「舞台では柔らかくて履きやすいのでいい。でも練習では固いものにしなさい、足が強くなるから。」と。

 そう考えるとフリードが上級者用というのはある意味当たっているかもしれない。引き上げが身に付いている上級者は何を履いてもいいが、そうでない人はついつい楽をして“ごまかし立ち”をしてしまいやすいから。
 それからフリードは舞台向きのトウシューズということも出来るだろう。舞台の上ではとにかく転んだり失敗したりせず最後まで踊りきることの方が重要だ。音も静かにしなければならない。だから、練習では固いものを履いて、「本番だけフリード」というのもひとつの方法だろうなと思った(バランスなどが違いすぎるものは切り替えが難しいが)。固いもので静かに着地する練習をしておけばフリードでは全く問題はないだろう。まあ、あんな不経済な靴、練習で履けばお金がかかってしょうがないということもあるし……。

 ところで、フリードのあの何ともいえない深い色とか、サテンの質感とか、私はとても好きだ。履き心地もさることながら、あの色に魅せられる人も多いのではないだろうか。今はいろいろなメーカーがあの色を真似した商品を出しているが、あの深い味わいのある色は、他のどのメーカーにも出せないのだ(と私は思っている)。ただ単にオレンジがかった色ではなく、何ともいえない複雑な色なのだ。正直私は初めてフリードを買ったときは、色に魅せられたのだ。自分に合うトウシューズと好きな色と一致すれば良いのだが……。

'03/04/11

コラムもくじへ


合っているという“錯覚”

 「馴染んだらすごく履きやすくなった。」という言葉を聞く。だからそのトウシューズは自分に合っていると褒め称えるのだが、それはちょっと違うのではないかと思う。

 「馴染んだら履きやすくなる」という言葉自体は間違いではない。しかし「新しいトウシューズは痛いから嫌」という理由で、潰れる寸前や、もう潰れているシューズをいつまでも履き続ける人の言う「馴染んだら履きやすくなった。だから私に合っている。」というセリフに説得力があるだろうか。

 「馴染む」というのは、「柔らかくなって形が崩れてきた」とも言える。形が崩れてやっと履きやすくなってきたということは、元々は合っていなかったということだ。形が合っていないとあちこちが当たって痛いが、柔らかくなることによって当たりが柔らかくなって痛みが減るだけのことだ。そうなるまでにいったいどの位の痛みが伴うのだろうか……。果たしてそうなるまでに皮がむけて痛い思いをして、履きやすくなった頃には潰れてたというのを「合っている」と言えるのだろうか……。

 これは合っているのではなく「合っていると錯覚している状態」だと私は思う。私もぴったりするトウシューズに出会うまでは、「馴染んだら履きやすくなるもの」だと思っていた。でも、足に合ったものは新品の時から履きやすいということが分かってからは、今まで柔らかくなるまで痛くて辛い思いをしたトウシューズは合っていなかったのだということに気付いた。もちろん足に合ったものでも多少馴染んだ方が履きやすくなるのだが、履きやすくなるまでの時間の長さが全く違うし、形が合っていれば、疲れにくいし、痛いことはほとんど無い。

 人間というのは体へのダメージをなるべく減らすために、置かれた状況に順応する能力がある。たとえばマメがそうだ。当たることによって骨がダメージを受けないように水が溜まってクッションの役割をして骨を守ろうとするのだ。それを繰り返すことによって、やがて皮が固く厚くなってタコになる。それだけで対応できない場合は、今度は骨格が変形して靴の形に適応しようとする。つまり、その靴に対して一番抵抗の少ない形になろうとするのだ。足が靴の形になってしまえば、靴の中での抵抗が減るというわけだ。
(※骨格の変形とマメ・タコの順番は人によっては逆かもしれないが。私は逆だった。)

 だからはじめから足に平均的に圧力がかかる靴、つまり自分の足の形に最も近い形のものを選ぶというのは理にかなっているということだ。最初からそういうものを選べば抵抗が少ないのだから足を変形させる必要など無い、少なくとも最小限で済ませることが出来るはずである。

 ある本にこんな事が書いてあった。“靴が慣れるのではない。慣らされてしまうのはあなたの足の方なんですよ”と。

 私は最初の2足位は国産のものを履いて、3足目位にフリードを履いた。今考えると3足とも足に合ってはいなかったのだが、フリードのトウシューズは自分に非常に合うと錯覚した。全部合っていなかったのになぜフリードだけ合っていると錯覚してしまったのだろうか?

 これが「馴染みの良さ」ではないかと思っている。仮に同じ形の2足のトウシューズがあるとしよう。どちらも足の形には合わないが1足だけ馴染みが良かったとしたら、そちらの方が「履き心地が良い」と感じるだろう。足に合わない、似たような形の10足のトウシューズがあるとしたら、全部足に合わないのだから、新品でアテールの状態では大して変わらない。では、どこで履き心地の違いが生じるかというと、「馴染み」とか「バランス」だと思う。

 また、群を抜いて馴染みの良いトウシューズは、足に合っていないということに気付かせないくらい素晴らしい履き心地に感じさせるのだ。「足に合っている」「履きやすい」といいながら、新品の時はとても辛く、相変わらず皮がむけたり、爪が割れてきたりするのだが、馴染んでからの履き心地が他のものと比べてあまりにも良いと感じるので「合っていない」ということになかなか気付かない。今まで運悪く、足の形に全く合わないものしか履いたことが無い人は、「馴染み」や「バランス」のみで比較してきたと言えるだろう。足に合っていないもの同士で比べれば、馴染みやバランスがいい方が勝つのだ。もし形が合わなくて、しかも固かったらそれこそ「最悪の履き心地」となってしまうが、馴染みが良ければ幾分マシだ。「柔らかさ至上主義」になってしまうのはそのためではないかと思う。

 合わないものしか履いたことがないと、柔らかくなるまでは痛いので「固い=痛い」という図式が出来上がってしまう。でも、足の形に合うものを履いてみると「固い=痛い」ではないということが分かる。(足に合わなければ柔らかくても痛い場合もある)私は以前、足の形に素晴らしくフィットするトウシューズを手に入れた。試着したときは恐ろしく固かったが、どこも当たらず立っても全く痛くなかった。でも、いくら足の形に合ってはいても、そんな固い靴が踊りやすさも含めた「履き心地の良いトウシューズ」になりうるのか自信が無かったが、そこまで素晴らしくフィットするものは今までに無かったので、とりあえず買ってみた。そのトウシューズは最初から履き心地が良かったが、馴染むのには時間がかかったし固いので最初は筋肉は疲れた。しかし、皮がむけることは一度も無く、馴染んできたら履き心地はさらに良くなり、バランスもたまたま合っていたので、やがてフリードを超えて私のベストシューズとなった。

 「足の形に素晴らしくフィットするが馴染みが悪いもの」と、「馴染みは素晴らしいがフィットしないもの」ではどっちの方がいいのかというと、究極の選択になってくる。私の場合もフリードのバランスはかなり捨てがたく、究極の選択だった。木型が足の形に合っていて、なおかつ馴染みが良く、バランスの位置も合っていれば、それこそ「最高の履き心地」になると思う。でも、現実はなかなかうまくは行かない。「フィット感」「馴染み」どちらも群を抜いていてどちらも捨てがたいとなると、何を優先したいかで選ぶものが変わってくる。

 でも、今まで「新品は痛いものなのだ」と決め込んでいた人は「固い=痛いではない」ということと、「足に合っていれば新品時から履き心地がいい」ということを頭に入れて選んで欲しいと思う。それを踏まえた上で結局フィット感を捨てて多少の痛みを犠牲にして馴染みの良さを採ったとしても、それはそれでいいと思う。

'03/01/31

コラムもくじへ


引き紐

 トウシューズやバレエシューズの周りに通っている引き紐。ゆるいトウシューズやバレエシューズをフィットさせようとギュッと引っ張ってシワシワになっている人をよく見かける。バレエシューズなどは人の言葉の受け売りだがまるで「巾着」のようだ。あの紐、いくら引っ張ったって幅を狭める効果があるわけではない。かかとに強く当たって痛いだけだ。あの紐、いったい何のために付いているのだろう?何の効果も無いのに。

 本当にちょっとだけゆるいというときの微調整にはなるかもしれないが、トウシューズを履いて脇がパッカーンと空いてしまうのはいくら引っ張ってもダメだ。紐をギュッと引っ張って何となく表面だけ隙間がなくなってフィットしたような錯覚に陥ることはある。でもあくまでも錯覚なのだ。ボックスの中や側面の隙間は依然としてある。

 私はあんなものいっそのこと無い方がいいのではないかと思っている。あんなもの付いているからあれでフィットさせられると勘違いする人がいるのだ。フィットするシューズはあんなもの無くてもフチは甲に、かかとや脇も足の側面や土踏まずにぴったりと吸い付くようにフィットするのだ。ロシア製のシューズのほとんどはあの紐が付いていない。でも、ロシアのあるメーカーのトウシューズは私の足にピッタリとフィットするのだ。

 お店で試着してブカブカだったとき、「ヒモを締めれば大丈夫ですよ」と言われるかもしれないが絶対に信じてはならない。絶対にフィットすることはないから。試着の際、あの紐は引っ張ってはいけないのだ。紐を引っ張らずにフィットしないものは紐を引っ張ってもフィットしない。

'02/11/17

コラムもくじへ


「日本人の足」という言葉

 「日本人の足に合わせました」とか「日本人の足向き」とかいう言葉をよく見かける。また最近特によく見るのが、外資系の通販の日本向け商品の広告やカタログで「甲高・幅広の日本人の足に合わせました」というものだ。わざわざ日本向け商品を幅広に作るように日本支社がそう発注しているようなのだ。それからトウシューズのカタログなどでも時々「日本人向き」と書いてあるものがあったりする。

 私はこの言葉を見るたびに無性に腹が立つ。なぜなら厚くて幅が広いものにわざわざそう書いてあるからだ。でも『日本人の足は本当に幅広?』で述べたとおり現代の日本人は細くて薄い足の人が非常に多くなっているらしい。私のリサーチのデータを見てもB幅、C幅などが予想以上に多い。意外なのは中高生より20代後半〜40歳位の人にB幅やC幅が結構多いということだ。また、小学生はA幅以下がやたらと多い。

 「甲高・幅広の日本人の足に合います」とメーカーは何気なく使っているが、いったいいつのデータを元にそう言っているのだろう?メーカーは本当にリサーチしているのだろうか?していないだろうな・・・。リサーチをせずに「日本人=幅広」「ゆったり=楽」という大前提の元に商品開発をしているようだ。

 昔から日本人の足は「だん広・甲高」などと言われていたようだ。(それに“だん広”の“だん”って何?)確かに明治時代に西洋から日本に靴が伝わった頃は“窮屈袋”というあだ名がついたくらいだから、当時の日本人は甲高で幅広だったのかもしれない。でも今は違う。背が高くなり脚の長さや顔の大きさなど全体的な体型が昔と大きく変わった。そのため何年か前、洋服の9号とか11号などのサイズの基準は現代人に合わせて少し修正されたようだ。でも、靴だけはどんどん幅広化していく。一昔前より確実に幅広の靴が増えた。実際の足は幅狭化しているというのに、時代と逆行していると言わざるを得ない。明治時代と比べて平均的な体型が細長くスリムに変わってきているのに足だけが幅広くなっていくと考える方が不自然ではないだろうか。「日本人の体型」が変われば「日本人の足」だって変わるのが自然ではないだろうか。

 薄くて細い人が厚くて広い靴を履けばどうなるだろうか。普段の靴なら前に滑ってしまうため、脱げないようにするためにはサイズの小さい靴を選ばざるを得ない。狭いところにつま先を詰め込むことになるので指が曲がり窮屈だ。トウシューズの場合もスカスカのボックスの中で指を伸ばして立つことなどいくら上体の引き上げが出来ていたって無理というものだ。指に過大な負担がかかる。また、幅が余っているとサイズが大きく感じるので、タテのサイズを小さいものを選んでしまう事も少なくない。小さければ当然指が曲がって窮屈だ。小さくないものを選べばパッドを詰め込みすぎてこれまた結局窮屈な思いをする。それから幅はともかく、日本人の“甲が低い”ということはバレエをやる人の間では有名な話なのに、低い甲の足に厚いものが合うわけがないという矛盾になぜ気付かないのだろう?

 厚くて広い靴が日本人向きという時代は終わったのだ。厚くて広い靴が合うのは厚くて広い足を持っている人だ。メーカーには今の日本人は薄くて細い人が増えているということを認識して欲しい。それからプロやメーカーの言うことならたとえ間違った事でも素直に信じてしまう人が多いということも認識しておいて欲しいと思う。

'02/11/17


コラムもくじへ このページのトップへ

トップへ戻る トウシューズ選びトップへ 靴選びトップへ