TOPへ
南海紀行(徳之島〜沖永良部〜与論)


4日目 和泊(和泊町)〜沖永良部空港(和泊町)〜与論空港〜茶花(与論町)

地図 この日は、和泊町をまわった後で昼前の便で与論へ、という予定でしたが、その前にちょっと早起きしてあるところに。
それは和泊町大字「和」「都道府県市区町村」のなかの 「1音地名コレクション」に収録されているのだが、どうしてもウラが取りたくなったのだ。

まぁそういったわけでちょっとした欲求を満たした後、和泊散策へ。 和泊町役場付近は前日も軽くはまわっていたのだが、急な雨が降ったせいで途中断念していたのだ。 和泊港まで足を延ばした後、飛行機の時間までこの日はタクシーで一回り。





和泊
▲和泊(ミジラシャ通り)
和泊港
▲和泊港

島北部国頭小学校には、明治31年に第1回卒業生が記念植樹したというガジュマルの木がありました。 根回り8メートル、枝張り直径20メートルで、その枝振りは日本一と言われ、「日本の名木百選」にも選ばれたんだそうです。 校門横には30年ぐらい前(正確な年は失念)に植えられた若いガジュマルもありました。

空港へと繋がる県道沿いには、ユリやフリージア、ハイビスカスの花が綺麗です。 私は小道に外れて島北部の浸食洞フーチャへ。
フーチャとは、「大きな波飛沫が岩にぶつかって吹き上がる様」を表した島の言葉なんだそうです。 かつては島に4箇所あったフーチャも、塩害が酷かったらしく一番小さいものを残して残りの3つは壊されたのだとか。
この日は海が比較的穏やかだったこともあり、「吹き上がる」様までは見られませんでしたが、 それでもその雄大さには圧倒されるものがありました。

日本一のガジュマル
▲日本一のガジュマル
フーチャ
▲フーチャ



地図 さて、最後の目的地は与論です。小型旅客機に乗って僅か20分ほどで与論空港(11時35分発JAC便)へ。
昨日、隣りの沖縄は入梅したと言うのに、ここ与論はなかなかのいい天気。 ホテルで聞くと自転車を貸してくれるそうなので、与論をひとまわりすることに。
徳之島も沖永良部もそれなりにダイビングやらマリンスポーツというものを打ち出しているんですが、 与論の場合は島丸ごとがマリンスポーツと言った感じがします。 そんな与論の海の中でも代表的なのが「百合ケ浜」。 干潮時にのみ現れる大金久海岸の沖合いの砂浜、とのことでしたがこの日はタイミングが合わず見ることができませんでした。 (本当は翌朝行こうと思ったけど寝坊したと言う噂あり)。 それでもやはり海の美しさは変わらず、その青さは時を忘れさせてくれます。

自転車を走らせていると、遠く前浜海岸のほうには風車が見えました。
「東洋のミコノス」与論町はギリシャのミコノス市と姉妹盟約を結び、 茶花の海岸通を「ミコノス通り」として壁を白くするなど整備するなどしているようですが、 この風車もミコノスを意識してのものなのでしょうか。

百合ケ浜
▲百合ケ浜
前浜海岸遠景
▲前浜海岸遠景

与論城跡は島南部の丘陵部にありました。
15世紀初頭、与論を支配していた琉球の北山王朝が築いていたが、築城途中に北山王朝が滅亡したために未完に終わったのだとか。 城跡には現在琴平神社と地主(とこぬし)神社があり、島人の信仰の中心なんだそうです。
高台から見下ろす眺めもなかなか。天気がよければ遠く沖縄も見えていたとか。 そういえばここに着く前にも遠く見えていたような気がしたけど、あれは沖縄だったのかなぁ。
また、神社の一角には母国復帰記念の石碑がありました。

与論城跡からの眺望
▲与論城跡からの眺望
母国復帰記念碑
▲母国復帰記念碑

…とここで事件です。
デジカメのバッテリーがあと僅か! そういえば朝7時ぐらいからまわしていたしなぁ。というわけでこの日の残りは下調べ的なことをして過ごしました。 残りは最終日に。

←3日目 INDEX 5日目→