TOPへ
南海紀行(徳之島〜沖永良部〜与論)


3日目 亀津(徳之島町)〜徳之島空港(天城町)〜奄美空港(笠利町)〜沖永良部空港(和泊町)〜知名町〜和泊(和泊町)

地図 いつごろからか天気予報の地域区分も細かくなったんですね。テレビを見ていたら、田代とか十島の天気をやってたし。
で、肝腎の沖永良部の天気は雨模様だそうですよ。うーむ。
さて、徳之島から沖永良部島までの飛行機の直行便はないので、一旦奄美空港を経由して行くことに。
徳之島から奄美空港までは約30分、実際の飛行時間はもっと短かったはず。 空港で少し時間を潰して、定員30人ちょっとの小型旅客機で奄美空港(9時30分発JAC便)へ。 奄美空港へはほぼ定刻10時には着きました。

沖永良部への便の出立まではまだ少し時間があります。 そういったわけで空港まわりの撮影と近いうちに予定している奄美旅行へ向けての情報集めに走ります。 そうそう、空港で「南海日日新聞」と「大島新聞」を購入。 前々から存在は知っていたけど、実際どんな紙面なのか、特に大島新聞のほうは興味があったので。
そうこうしているうちに時間です。小型旅客機で沖永良部空港(10時35分JAC便)へ。予定通り11時10分には到着しました。

奄美空港
▲奄美空港
沖永良部空港
▲沖永良部空港

そういえば徳之島や奄美大島と違い、沖永良部と与論はハブがいない島なんですね。
空港には本日の宿泊先の出迎えのバスが着ておりました。
この日は、和泊(宿泊地)をスタートして、知名町を時計回りに1周する予定。そういったわけで、荷物を宿に預けて早速出発です。
それにしてもこの日の天気はいつ雨が降ってもおかしくないような曇り空。そのくせ時々太陽が顔を見せるから何とももどかしい。

県道84号を知名町に向かって西進。途中町近の古里付近で海岸沿いの道に。しばらく直進すると、ウジジ浜が見えてきた。
石灰質の岩石が長年の浸食によって削られた形は、傘状になっている。ここから眺める朝日は最高なんだとか。
1890年にカナダの帆船がこの海岸沖で座礁したことをきっかけにしてカナダ政府との交流があるんだとか。 ウジジ浜公園にあった船はこのとき座礁した「リジー・C・トゥループ号」に因んでいるのでしょうか。

ウジジ浜を後にして海岸沿いの道をさらに進むと、知名の街が見えてきました。

ウジジ浜
▲ウジジ浜
知名役場前
▲知名役場前通り

知名町役場付近をしばらく散策したあと、県道を田皆岬のほうへ向かって進みます。
知名から住吉あたりまでの集落は途切れることなく纏まっているといった印象。
道中にの畑にはタバコを栽培しているのが見られます。 聞いた話によると、昔、サトウキビばかりを作っていたころはかなり厳しい生活だったらしいのですが、 タバコやユリなどの栽培を始めるようになって、その生活ぶりはだいぶ変わってきたそうです。

田皆岬は田皆からかなり奥に入ったところにありました。その高さ40メートルの切り立った断崖は迫力満点。 しかし、私はどうもこういったところが苦手なようで。今にも東シナ海に吸い込まれそうな感じがします。

テッポウユリ
▲テッポウユリ
田皆岬
▲田皆岬

…とここで雲行きが怪しくなってきました。パラパラと小雨が。 話によると、沖縄はこの日から入梅したんだそうで。 このときはすぐに止みましたが、またいつ降るか分からないので先を急ぐことに。
帰りは裏通り(北側)を通って和泊へ向かいます。途中、伊延港付近には西郷隆盛上陸の地というモニュメントがありました。
ここ沖永良部島は西郷隆盛が島津久光に島流しにされた地なんですね。
和泊には、西郷隆盛を偲んで造られた南洲神社と西郷隆盛の謫居跡がありました。 ここ沖永良部が西郷の好んで使った言葉「敬天愛人」が生まれた地なんですね。 因みに、南洲神社の西郷像は愛犬の「ツン」と思しき犬を連れていました。

南洲神社
▲南洲神社
西郷南洲謫居地跡
▲西郷南洲謫居地跡

←2日目 INDEX 4日目→