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奄美紀行(奄美大島〜喜界)

3日目 瀬戸内町(→加計呂麻島)

地図 3日目になりました。本日は加計呂麻島に渡ります。

本当は、加計呂麻島のほかにも、請島にも与路島にも行ってみたかったんですが、 船の時間が合わなかったんですね。
日曜日でないと、一泊しなければならない。しかし、一泊してしまうと他がまわれなくなる。 そういったわけで、残念ながら今回は加計呂麻島だけで断念することにしました。
(時間的にも、金銭的にも)そう簡単に来ることはできないんで、本当はこの機会に渡っておきたかったんですけどね。
両島をはじめ、請島水道、与路島水道も次回にお預けです。

さて、朝早く起きて、加計呂麻島に渡る前に本島のほうをひとまわり。 太平洋に面したホノホシ海岸へ向かいます。

この日も何ともいい天気。車の走りも絶好調! 30分も車を走らせると目的地に到着しました。

ここの海岸は一面を写真のような丸まった石が埋め尽くしています。 激しい荒波に現れた結果なのでしょう。 周囲の切り立った岸壁とあわせてなかなかな景色でした。

ホノホシ海岸
▲ホノホシ海岸
ホノホシ海岸の石
▲ホノホシ海岸の石

さて、ホノホシ海岸を後にして再び古仁屋に戻ります。
古仁屋港まわりを車でぐるぐるしているうちに (実はフェリー乗り場の何処に車を置けばいいか分からなくて少し戸惑っていたりして…)、 出発時間近くになってきました。何とか車をフェリーに載せて、加計呂麻島へ出発です。

古仁屋港
▲古仁屋港
瀬相港
▲瀬相港

時間にして30分弱ぐらいだったでしょうか、フェリーは加計呂麻島は瀬相港に無事到着。
まずは島を北西方向、実久へ向かって進みます。

道は細く、曲線の多い山道。しかも結構深めの水たまりなんかもあったりしましたが、 見事な(?)ハンドル捌きで最端実久に到着。

実久三次郎神社は実久の集落に入るちょっと手前の坂にありました。
保元の乱に敗れた源為朝が琉球に逃れる途中で現地の娘との間にもうけた 三次郎を祀ったものなのだそうです。

実久三次郎神社
▲実久三次郎神社
瀬武
▲瀬武

実久を出て港方面に引き返します。
途中の瀬武はかつての実久村役場のあったところ。
何とも嬉しいことに、かつて役場のあったそこには、 「実久村役場」の表札(?)がそのまま残されていました。

実久村役場跡
▲実久村役場跡
「実久村役場」
▲「実久村役場」

正午をまわるころ。今度は島の西側を目指して車を進めます。
港のまわりは道も整備されていて、結構走りやすい。

港から5分くらいいったところにあったのが「島尾敏雄文学碑」でした。
島尾は、特攻隊長として第2次世界大戦時に駐在しており、 後に鹿児島県立図書館奄美分館長などを務めたんだそうです。
文学碑の奥には、格納壕と震洋艇がありました。

さらに車を進めると、押角という集落に到着。こちらはかつての西方村役場のあったところ。
残念ながら、旧実久村のようにその痕跡のようなものはありませんでした(まぁこれが普通か)。

押角
▲押角
デイゴ並木
▲デイゴ並木

諸鈍には、デイゴ並木がありました。
加計呂間島は、映画『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』のロケ地だったところらしく、 諸鈍含めて島の南部には、あちらこちらにそれに纏わる記念碑がありました。

とまぁこんなところで、帰りのフェリーの時間が近付いてきたので急いで港に戻ります。
はっきり言って、舐めてました。4、5時間あれば十分だろうと思っていたのですが 加計呂麻島は思った以上に深かったです。

さて、古仁屋に戻った私、すぐさま船を乗り換えます。
半潜水式の水中遊覧船「ニューせと」。
奄美の海はきれいです。次は潜りに行くのもいいかなと思いました。

ニューせと
▲ニューせと
大島海峡
▲大島海峡の海

そんなこんなで3日目はおしまい。


明日は、住用村を通って名瀬に戻ります。

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