浄篤院について

浄篤院の歴史

 浄篤院は慶長9年(1604年)北野天満宮の南800mの地、鳳瑞町に誾助(ぎんじょ)上人によって創建されました。その後徳川家譜代の家臣である安藤対馬守(つしまのかみ)の帰依を得て、伽藍が拡張され寺門は繁栄しました。天明の大火(1788年)により寺勢は著しく衰微しましたが、昭和63年(1988年)には長年の悲願であった本堂が再建されました。その後、阿弥陀三尊永代供養墓の造立、檀信徒会館の改装、墓地の拡張、ペット供養墓の建立など伽藍の整備が進められています。

本尊

 江戸時代の書物『都名所図絵』によると、当山の本尊である阿弥陀如来像は比叡山延暦寺第3世 慈覚大師円仁の作で、源義経公の念持仏であったと伝えられています。義経公がたびたび戦勝祈願の護摩焚きをしたため、その煤(すす)で黒いお姿になったとされています。他に同じような黒本尊としては、浄土宗の大本山 増上寺に安置されている徳川家康公の念持仏(阿弥陀如来)が有名です。
 義経公は肌身離さずこの仏像を持ち運ばれ、敵に後ろから矢で射られた際には、背中に背負っていた仏さまが身代わりになったと言われています。そのため「矢負如来(やおいにょらい)」と呼ばれ、現在でも背中には矢の刺さった痕のような穴が認められます。

 

本堂

 江戸時代の天明の大火により焼失した本堂は、昭和63年(1988年)200年ぶりに創建当時と同じ姿で再建されました。

 

檀信徒会館

 平成8年(1996年)に庫裡(くり、住職家族の住まい)が新築され、従来の庫裡を檀信徒会館に改装しました。法事の際の控室や写経会など、広く檀信徒の皆様の会館として活用されています。

 

墓地

 従来の墓地に加え、本堂落慶と同時に日当たり風通しの良い約100坪の新墓地が拡張されました。空きがありますので、墓地の購入をお考えの方はお気軽にお問合せください。

 

二十五菩薩来迎の庭

 作庭家 重森三玲氏の弟子である小埜雅章氏によって作庭されました。力強い石組と苔で構成された枯山水の庭園です。石組は仏さま、苔は紫雲を表し、阿弥陀さまと二十五の菩薩さまが来迎されるお姿が表現されています。

 

生きとし生けるものの墓

 すべての命を大切にする気持ちをこめて、ペット供養墓が平成16年に建立されました。地蔵菩薩さまがあらゆる生き物に手を差し伸べるお姿が表わされています。ご家族の一員であったペットです。いつでもご自由にお参りください。

 納骨をご希望の方はお気軽にお問合せください。また年に1回ペット供養法要をお勤めしています。