中部産業遺産研究会
The Chubu Society for Industrial Heritage


■白井 昭氏からの手紙

■2001年12月18日着

橋本様
  1. 千頭SL資料館のリーフを同封しますので、NETに乗せて頂ければ幸いです。
  2. B6の写真を同封、SL動態保存の原点です。1970.8.9.
  3. C11190を静態保存されたのは八代の小沢先生です。
  4. パノラマにも書いたが、「後世に残るようなことをしたい、して欲しい」ということも入れておいてください。
まずはお願いとお伝えまで。

P.S
シカゴの鉄道史家、故ジョージ・クランブルス氏からは、電気鉄道発達の歴史だけでなく、その探索や評価の重点も教えて頂き、私の鉄道技術史の先生となりました。
1970年頃から長く教えを受けていたが、惜しくも99年、心臓発作をで亡くなられた、私の敬愛する先生です。

P.S.
B6の写真は数日遅れるので、SL資料館のパンフを先送りします。
■2001年12月26日着

橋本さま

  1. この所、なぜか白井コンサルタントが繁昌で、優先順を探しています。
    分野が広すぎるのが欠点で、本年末には日本最初の近鉄ABFビデオなるものを作りました。どんどん消えてゆくHL、ALF、ABF、これを動く姿で残そうというものです。
  2. 郷土新聞やテレビが「旧」西尾線を取り上げるので、少し西尾にも通っています。
    ホームページには廃線後が出ているが、間違いが多いとのことで、今私がやっているのが出来上がれば、可成り直ると見られます。
  3. 最近力を入れているのはローカル鉄道の存続があり、福井にはしばらく往復して議員さん方にお話しすることになる、福井テレビにはもう話してきました。
  4. 井川線のアプト式を作った人たちの、アプト会を地道にやっている、もと運輸省、建設省、メーカー、業者、名鉄、など幅広いメンバーで有用だが、委員長の東大 八十島先生(友の会前会長)が他界され、支柱を失ったのが残念です。でもパナマのラックELは日本製でうまく行きつつあります。
  5. イギリス将校 VS C56は正月休みにトライしてみます。
まずは近況お伝えします。
P.S.
etc,etcでPSの方が多くなりました。
■2001年12月29日
年末間近迄、白井コンサルタント大賑わいで、いかにゲートを絞るか苦労しています。
アメリカではブリル台車の概史のしっかりしたことが分かりそうで、また戦後日本のコントロールの先生となったGEのPCM、MCM(名鉄パノラマ)の歴史についてはまだ今フィージョン中で、明年再びアメリカへ行って調べてきたい。
阿里山鉄道はSL復活したものの、火が焚ける人がなく、山を登れない〜即ち、長期的には動態保存はだめになる、外人ファンも呼べない〜私の提案では、ロートホルン鉄道のように灯油焚きとすべし〜どうなりますか。
地方鉄道存続では、福井、北勢とも、山場にかかり、これだけは繰り合わせて優先対応したいと思っている。結果は存廃どちらになるか分からないが、歴史に残ることをしてゆきたい。
金谷の江戸屋敷、保存は茶部屋の調査を永井氏、茶業試験所の協力で進めたい。
大井川C11190の保存は部品集めがネックで、新作と転用を進めていく、目下、ピストンリング削正中。部品探しは私が歩いていきますが、機械式速度計は製作できるか? 出来ても余りたかくては総予算をオーバーし、できません。
元へ戻って、アメリカものではウエスチングハウス電車ブレーキの日本伝来、原稿完成してピクトリアルへ送ったものの、なかなか出してもらえず困っています。
尚、この電車の装置の発展史の研究はシカゴ交通公団の故ジョージ・クランブルス技師長に30年程前からご指導戴いた。私の産業考古学の恩師で、特にその研究の「精神」、「やり方」についてご指導戴いた、その成果が前記「WHエアブレーキの発展と日本への技術移転のReport」であります。
多忙ですが、最近情報入手のため海外鉄研には出席している。それはネット情報より生きた情報の方が貴重だからです。
又、友の会名古屋支部にも記事を書いているが、これは私の知見を生きてるうちに残したいからです。
同様に楠さん主宰の名古屋の鉄道を語る会(次回は2月)、西尾の宮本氏主宰の同様の会にも協力している。宮本氏は(今回は旧西尾鉄道、名古屋支部のホームページは誤が多すぎるとのこと)これらを先ずテレビの郷土番組で作り、その材料を使って本を安価で販売する作戦ですが果たして??
1月はやることとして、名鉄パノラマの8両の中間Cabから見た光景を山田貢さんに写し発表してもらう。これはパノラマの次にパノラマドーム車を計画(模型〜資料館)し、結局、パノラマDX、パノラマSPに受け継がれたのが、もし出来ていたらこんな光景であろう〜産業考古学のひと駒として記録を残したい。名鉄の全面協力で今進めています。
あと産業史の間違いの訂正、川根索道は大15地名開通〜間違いで大12途中まで、大15地名へ、小山発電所(井川線)は町史に明45openとあるが、間違い、すぐ水害運休、変更改築、openが明45、これらを「資料」で固め、権威のある本に発表する(H.Pではだめ)ということを双方進行中です。
私74才、いつ切れるか分からないが、ブリル物語だけは明年(2002年)中に片づけたい。
また、イギリスの電車の部品(日本にも沢山のGEのマシン)の発展を調べたいが、この方は駆け出しで、情報が集まらず困っている。日英とも周好の士の発見が出来ません。どうしたら発信できるか?
本日はこれ迄とします。2002年もよろしく。
南海・西敏史氏・研究家はこの文のようなのを絶筆として突如早世、これも見てるだけに74才翁も少々あせっています。結果、白井コンサル大変と云うことです。また近時やたら細いreportが多いが、木を見て森を見ず、森を見るreportも大切と主張している所であります。
■2002年1月1日着


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