中部産業遺産研究会
The Chubu Society for Industrial Heritage


■蘇れ!C11190(C11190の修繕庫にて)

▲C11190のオリジナルのナンバープレートは
大井川鐵道株式会社新金谷施設車両区に厳重に保管されている
天野:このままで熊本から持ってきたのですか?

白井:そうです。船で御前崎港まで運び、そこから陸送しました。

天野:それも大変ですね。

白井:でも、C56のときはタイから持ってきましたから。
これは30年程前に熊本の八代の学校の先生であった小沢年満さんが、自分の退職金で買って、家へ置いていたものです。

天野:よっぽど好きな人だったんですね。

白井:C11190復活支援会員募集による募金が(目標)5000万円で、今、500万円くらい集まったかな。あと、どんな具合に行くのか見当がつきませんが、とにかくお金が集まらなければ、そこで仕事が止まってしまいます。もう1つは、仕事は地道に積み重ねれば進んで行くのですが、部品の無いものが非常に多くて、これらをどこかから持ってくるという形で調達して行かなければならないのですが、その目処が立っていません。

橋本:復元に当たっては鋳物の部品が特に問題になるのですか?

白井:いや、機械工作の部品でも、昔ならすぐにできたであろうけれど、今ではなかなかできません。(シリンダ部の空気穴を指して)これは鉄板細工ですね。シリンダの空気穴の蓋があり、これはピストン弁が見られるように蓋がついているのですが、これも無い。下のドレンバルブまで何も無い。引き棒も何も無い。

天野:そういうものを全て新しく作らないといけないわけですね。

白井:そうですね。

橋本:製缶で作っている部分などはなんとかなると思っていましたが、そういった部分の復元も大変なのですね。

白井:ボイラはむしろ簡単ですね。煙管を全部取り替えて、過熱管を全部取り替えて、パッキングとかを全部取り替えればボイラーはできあがり。その他大勢のものがいっぱいあって、それらが想像以上に何もありません。

白井:ここはインジェクターが無い。

天野:他から持って来るわけには行かないのですか?

白井:いや、それも頼んでいます。今、大阪の西野さんというたくさん機関車を集めた人がいるので、その人の所へ行って相談しようとしています。その人がC56のときに車輪が1000mmという異なった軌間で、使えなかったものを、1067mmの車輪を下さって、すぐに動くようになったわけです。そのときもお世話になっています。
ここで大物の無いのがコンプレッサーです。これはイギリスへ行ったとき、作ってもらえないかと言ったら、イギリスは蒸気機関車は全部真空ブレーキで、コンプレッサーは無いから作れないと。

橋本:運転台の圧力計を全て交換しなければなりませんが、現在発売されている圧力計は全てPa表示(SI単位)のため、使えませんね。ISO9000の関係もあって、Kg/cm2とかmmH2Oの単位のものは特注でも絶対に作ってくれませんね。

白井:どこかから持ってこないと仕方がないでしょうね。テロックの機械式速度計がついていたのですが、これも調達しなければなりません。インジェクターも難しいですね。鋳物で吹けば良いと言うものではない。

橋本:鋳物の型を起こさなければなりませんね。

白井:それと、ノズルが非常に微妙です。1気圧の所から15Kg/cm2のところへ水を入れようというのですから。

天野:(ランボードのステンレスの飾りを指して)これはステンレスが使ってあるのですか?

白井:これは熊本国体(1966(昭和41)年)でお召し列車をやったときに機関車を飾ろうということで貼り付けたものです。白線の代わりです。

天野:これは元に戻すときに取るのですか?

白井:いや、それは残したらどうかなと思っています。いつの時点まで復元するのかということは難しい問題です。メーカーズプレートもお召し列車の時(1966年)には戦時中に供出で取られて無かったものですから、時代が矛盾するということで困ってしまいます。

白井:見た目をきれいにするのは訳ないのですが、動くようにするとなるとそう簡単ではありません。

天野:予定としてはいつごろの完成ですか?

白井:3年でできあがる予定ですが、私の経験によれば、3年と言えば4年かかりますね。

山田:復元をして機関車の両数を増やすんですか?

白井:増やすか、1両つぶすかですね。あまり沢山持ちすぎてしまうと、保守がそれだけ補修費が高くなってしまいますからね。この前の、12月1日が4両のSLが同時に動きました。現在保有が5両ですから、老朽化して稼働率が落ちると、やっぱり6両くらいは欲しいということになります。
突然故障を起こすものですから、4本列車がある内、「今日はあなたの列車はありません」と言うと具合が悪いんですね。そのためにお客さんが来るものですから。そのときは少しは遅れるにしても、すぐに予備で走るという必要があります。

天野:何人で修復しているんですか?

白井:日によって違いますが、3人くらいですね。あまり大勢でやっても仕方が無いのです。

天野:若手の人ですか?

白井:今は古い人がたまたまほとんどやめてしまって、まだ2〜3人はいるんですが、主体は若い人ですね。若い人と言っても30〜40歳です。20代の人もいます。その人たちも随分覚えてきました。30歳にならないと覚えられないと言いますが、7割くらいのところは10年もやれば覚えられるわけですね。溶接と言うと、一番大変なのはボイラですね。そちらの方はボイラ屋が今も健在で、機関車のボイラの溶接をやれる人が各県に1カ所くらいずつあります。そういうところに溶接の名人がおります。これはほとんど個人プレーです。

天野:煙管はどういった材料ですか?

白井:煙管はボイラ用鋼管です。

天野:アーク溶接でやるわけですね。

白井:そうですね。問題は溶接棒の材料ですね。特に重要なところはアルゴン溶接です。
それよりも上向き溶接とか、ボイラの中側にパッチを当てて、溶接するとか、そういった名人芸の必要なところも出てくるわけです。専門的になるけれども、火室のところは、中で火が燃えて、外に水があって、非常に狭いところにステーと言うものがあるんですね。これは昔はねじ込みで、ねじこんでいました。今は溶接ですね。

天野:何本くらいステーが入っているんですか?

白井:何十本もあります。ステーだらけです。

天野:煙管で持たせるんじゃなくて、ステーで持たせるんですか?

白井:長手方向の釜そのものはステーで持っているけれども、煙管は火室の火の燃えるところの前で終わってしまうものですから、火の燃えるところの周りは2枚の板があって、それだけでもっているから、これはもう蜘蛛の巣のように小さいステー、天井ステーとか側ステーとか立てています。それは伸び縮みが一番ひどいから、昔から一番やられる(腐食する)ところですね。ステーがたくさんあるものだから、一方の溶接をやると隣がゆるんでしまう、そっちをやるとまたその隣が緩んでしまうということで、バランスを保つということは難しいのですね。でも溶接棒は良いものが出来てきたので、溶接棒では助かるようになりましたね。

橋本:せめてもの救いがランプのレンズが残っていたことでしょうか。あのレンズは現在作れないのでは無かったのではないでしょうか?

白井:できないでしょうね。今、あのレンズが作ると1枚4万円くらいでしょうか。軸受けはメタルだから、盛金をして削ってスクラッパーで削って、メタルあわせをすると、この辺はお手のものです。このへんはボールベアリングとかローラーベアリングとかは一切無い。当時、1つは値段が高過ぎたのでもったいなくて使えなかった、もう1つは、重い荷重に耐えられるものは日本では作れなかったのです。戦後、結局航空機産業がつぶれて、やることが無くなって鐵道車両のローラーベアリングが作られるようになったわけです。

橋本:NTNとかNSKのベアリングが使われるようになった時期はいつごろですか

白井:昭和23年くらいに軍需産業が全部失業して、困り果てて失業対策で使うようになりました。
アメリカは長らく静態で置いてあったものをまた動かすということをやっていますね。


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