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4. 知立から南へ



  こんどは知立(ちりゅう)から南線(海線)をたどってみます。≪線路写真は原則として知立から離れる方
向、したがって上り向きです≫
知立を出ると複線を快調に走って東海道新幹線をくぐります(平成16 As)。
ひと駅目の重原(しげはら)からは単線となり、東海道本線を乗り越し(平成16 As)、右カーブして JRと共同の刈谷(かりや)駅に進入します。
刈谷駅は橋上駅で、JR東海道本線ホームの南側に平行して三河線ホーム(赤い電車が見える)があります(平成13 As)。
写真奥方の高いビルがデンソー本社、右端のビルがアイシン精機、写真外ですが左方に豊田自動織機など、周辺にはトヨタ系の会社が多数あります。
刈谷を出て左カーブした先に、かつては当線の検車・修繕工場がありました。
次の刈谷市(かりやし)までは再び複線です。
吉浜(よしはま)駅は今は 1線ですが、線路およびホームの形から、かつては 両開きポイントを使用した島式ホームのすれ違い駅だったのを、ホームをそのままにして 1線化したことが分かります(平成12 As)。実際には貨物用の側線もあったことが線路跡から分かります。
小垣江(おがきえ)の駅舎は古く、屋根に、当線創業時の「三河鉄道」の社章が刻まれた貴重な鬼瓦が載っています(大中小あり)。(写真は“大” 平成17. 2 As
社章は、「三河」の“三”の字を丸めた同心円(下部が切れている)の中に、レールを象徴する“”の字が描かれています。
三河高浜(みかわたかはま)駅は高浜市の中心駅です。周辺には新しい学校やマンションが並びます(平成12 As)。
このあたりは昔から質の良い「三州瓦」(さんしゅうがわら)産地です。かつてはこの鉄道によって出荷されましたが、今は専らトラックです。
吉浜(よしはま)あたりからは昔の海岸線に沿って走りますが、海岸がどんどん埋め立てられたため車窓から海は見えません。しかし、いくつもわたる小河川に釣り船が留まり、海が近い様相が認められます(写真は高浜川。平成15 As)。
北新川(きたしんかわ)駅南踏切のきわにひとつの地蔵尊があって、両脇と背面に『き志ゃにちゆいすべし/大正十五年建之』とあります(平成15 As)。そのころに人身事故があったのかもしれません。
碑に記された大正15年、当線は全線電化され、蒸機から電車に変わっていますが、本当に“汽車”時代のことか、電車に変わってからのことか、 <鉄道=汽車>と言いならわしていたためか、事実関係そのものを含めて不詳です。
碧南中央(へきなんちゅうおう)駅は文字通り碧南市の中心駅です(平成13 As)。市役所、市民会館、銀行、スーパーマーケットなどが近くにあります。
今は埋め立てられてしまいましたが、昔は新須磨海水浴場に近く、広範囲から客を集めていました(当時の駅は 200 m ほど南の、現在駐車場になっているところ。駅名も新須磨(しんすま)といいました。今は海水浴場はありません)。
終着 碧南(へきなん)駅は三河鉄道創業時の起点駅で、当時は大濱港(おおはまみなと)と呼ばれました。貨物の取扱い量が多かったので構内が広く、今は電留線が2本あります。
到着した電車の行き先表示板が「知立」に差し替えられて、まもなく折り返すところです(平成16 As)。
碧南駅の正面です(平成16 As)。
駅前広場には、かつては路線バスが集まり、賑やかだったそうです。
碧南から先 吉良吉田(きらよしだ)までの 11駅 約 16 km は、北端部といっしょに平成16年 3月末で廃止されました。吉田方の線路は切られて、各線に車止めが設けられています(平成17.1 As)。
終端の位置は不揃いであり、今後、構内配線の整理が行われるものと見られます。

ここからは、平成16年 3月末で廃止された区間を振り返ります。
三河旭−中畑間で矢作川の下流部の長い鉄橋を渡りました(平成15. 9 石川明寛氏撮影)。
車両は キハ30型です。
電車が直通運転されていたころの中畑(なかばた)駅です平成2 As)。
かつては、本数は減るものの碧南以南も写真のように知立からの電車がそのまま走っていましたが、平成2年から、運転費節減のため 軽快気動車 キハ20型のワンマン運転になりました。のちに キハ30型が加わりました。
三河平坂(みかわへいさか)は、碧南−吉良吉田間で唯一残されていたすれ違い駅で、朝の通学時間帯だけすれちがいが見られました(平成16. 1 日高氏撮影。この写真だけ下り向き)
右が キハ20型 2連、左が キハ30型単行です。
この駅でのすれ違いは、進入列車が乗降通路を避ける いわゆる右入りでした。すれ違いのない時間帯はポイントを鎖錠して、上り下りとも乗降通路のない写真右側だけを使っていました。
 
  吉良吉田(きらよしだ)駅の正面 (平成16. 3 As
左の赤い電車は西尾線、右のツートーンの車両が三河線の気動車です。
三河線は来なくなりましたが、西尾線・蒲郡線は営業を続けていますので、この駅は存続しています。


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