直接帰宅拒否症(2010.9.29)


 私の知り合いに、Mさんがいる。
Mさんは、職場では常に面白い冗談を連発し、
周りの人々を明るくする特技を持つ、声の大きい、おおらかな人だ。
そのMさんは、自分のことを、“直接帰宅拒否症” と言っている。

“直接帰宅拒否症”とは、読んで字のごとく
会社を退社した後、バスや電車で直接自宅へ帰りたくない症候群である。

「なんで?」と私は、Mさんに聞いた。
Mさんいわく
「家に帰る前に、だれかと話したい。だれかと触れ合っていたい!」と、
子供のような無邪気さで言う。

かくて、Mさんは退社時刻に会社を出ると、
ほぼ毎日、繁華街の、角打ちや、お気に入りの居酒屋へ足を向けるのである。


私は毎週水曜日、週例会と称して、釣り仲間や音楽サークル仲間と、
行き付けの店へ一杯やりに行くのを常としている。
その行き付けの店で、「よう!」ととばかり、Mさんに遭うことがしばしばある。

店でも、Mさんは軽やかにジョークを連発し、全てのお客さんの笑いを誘う。
そうして楽しく歓談しながら、少し飲むと、Mさんは決まって“街の灯り”という曲をカラオケで歌う。

          
街の灯り

 ♪ そばにだれかいないと  しずみそうなこの胸
    まるで潮が引いたあとの 暗い海のように

    ふれる肩のぬくもり 感じながらはなしを
     もっともっとできるならば 今はそれでいいさ

      息で曇る窓に書いた きみの名前指でたどり
       あとの言葉迷いながら そっと言った

    街の灯りちらちら  あれはなにをささやく
     愛がひとつめばえそうな 胸がはずむときよ

    好きな歌を耳のそばで きみのために低く歌い
     あまい涙さそいながら そして待った

    街の灯りちらちら あれはなにをささやく
     愛がひとつめばえそうな 胸がはずむときよ ♪ 


やさしい声で、しみじみと歌い終わると、
「どうも、失礼しましたぁ」 と言い残し、
長居は無用とばかり、次の店へ向かうのだ。


【 夜の居酒屋街を歩く、男の背中に哀愁が・・・・・ 】

そんなMさんには、帰りを待つ奥さんがいるのか、いないのか、
奥さんがいたとして、難病で長く入院中なのか、実家へ帰っているのか・・・・
そのようなMさんの家庭環境を、私は知らないし、詮索するつもりもない。
いや、知ってはいけないとさえ思う。


「知人」メニューへ    「エッセイメニュ」へ戻る。      へ     へ           ホームに戻る。