特攻隊と憲法九条(2009.11.28)


 平成21年11月13日、田 英夫さんが亡くなった。
また偉大な大戦の語り部のお一人が逝ってしまわれた。

数年前に読んだ氏の著書 「特攻隊と憲法九条」を、改めて読み返してみた。

特攻の生き残りでもある氏は当時、ゼロ戦ではなく同じ海軍の特攻艇「震洋」という
小さなボートの舳先に300Kgの爆弾を積んで、敵艦に突っ込む部隊に所属されていた。


【 海軍の特攻艇 「震洋」 (インターネットより) 】 

震洋とは、わずか5mほどの、しかもベニヤ板で作られたボートで二人乗りである。
 「特攻を志願する者は、明朝○八○○までに当該教官に申し出ろ。」
そんな志願をつのる時期もあったが、終戦間際になると、
部隊に直接、特攻命令が出るようになる。
当時少尉であった氏は、宮崎県 延岡近くの赤水という基地で、
震洋 25基(50名)の特攻隊の部隊長として出撃を待っていた。
ボートは普通、一隻、二隻とか、一艘、二艘と数えるが、震洋の場合、搭乗員二名も含め
一つの武器というので1基、基と数えられた。

さあ、出撃という間際に玉音放送を聞いて、氏は九死に一生を得た。

既に長い苦悶の末に、潔い「死」を決意していた氏は書いておられる。

 『 いま若い戦争を知らないみなさんが、特攻隊員の心情というのを理解しろといっても
   まったく無理だろうと思います。 むしろ言いたいのは、そんな思いを二度と日本の
    若者たちにさせてはならないということだと思います・・・・・・
   
    日本は六十余年間、一人の外国人も戦争で殺していない。これは世界に誇るべきことです・・・・・

  最後に重ねて言いましょう。日本国憲法九条は、私にとっては、あの戦争で死んでいった
   多くの戦友たち、とくに特攻隊の仲間たちの「無念の思い」の結晶だということを―。
  二十歳そこそこで、前途洋々たる人生を夢みていたにもかかわらず、戦争のために、
    お国のためにという名のもとに死んでいった戦友たちの「無念の思い」の結晶です。
  特攻隊で生き残った私は、心から 「戦争はもうよそう」 と若いみなさんに申し上げたいのです。』


日本人だけでも、軍人230万人 民間人80万人が尊い命を落としたと言われている、先の大戦は誰の責任なのか。
その答えはなかなか難しいと思う。
私は漠然と思うのだが、戦争責任は国民ひとりひとりにもあるのではないかと。
町内会、隣保班と、全国の津々浦々の国民が、日の丸の旗を振って若い者たちを戦場に送り出したのではなかったか。

現代は一応、ある程度の透明性をもって、世の中の情勢や、
政治、国際情勢も含めて、身近かなメディアを駆使すれは、正しい情報が入手できる世の中である。

国民ひとりひとりが、もっともっと勉強をし、この憲法9条を守るにふさわしい優れた人材を、
地方、国を問わず、議員として政治の場に送り出す選挙をも大事にし、
もっと、もっと危機感を持って、先の大戦のような過ちを繰り返さないようにする事。
田 英夫さんは、そうも言いたかったのだと思う。

私自身 戦争は経験していないが、被爆2世である。
56回目の誕生日の今日、そんな事を思った。
 ” まだまだ、戦争というものに対する識が甘い!” と、田さんにしかられそうだけど。


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