仏舎利塔への旅(2020.2.6)

 仕事を辞めて5年が経った。
退職後は、たまにはのんびりと旅でもしようと漠然と考えてはいたが、
現実は実に厳しく、時間的にも経済的にも旅行するような
そんな余裕は全くない。
また妻も、「たまには、のんびりと温泉へでも行きたいわね、、」
何て事を全く言わない。

ここ16年にわたって、犬を飼っているせいもある。
犬をほったらかしにして、旅行には行けない。
さらに、だんだん、だんだん足腰が立たぬ年齢にせまってくると、
旅行なんて、ただ疲れるだけよ! と、
妻も私も思っている。
それにしても年を取ったものだと、最近とみに思う。

従って、この「旅」というジャンルに書く題材が極端に無い。
できれば、「き(季節)、ど(道楽)、に(ニュース)、た(旅)、ち(知人)、か(家族)、
け(健康)、し(仕事)、り(料理)」 それぞれのエッセイの遍数を
なるべく横並びにしたいとは思っている(何の根拠もないが)。
んでもって、何でもかんでも、この旅の欄に書こうっと!
そんなムチャクチャな感じである。


おとといの事だ。
普段、夕方 日課にしているウォーキングを、
何を思ったか、突然、午前中の10時過ぎに始めようと思い立った。
あまりにも晴天だったせいもある。
そんな計画性のない思いつきは毎度の事だ。
私の人生、いきあたりばったりだとつくづく思う。

白川河川敷という、いつものウォーキングコースではなしに、
時間も午前中からの出発なので時間的にも余裕がある。
目の前に見える、熊本駅の向こう側にそびえる白い塔、
そう、仏舎利塔まで行ってみようと、
これまた突然思った。

熊本駅の構内を足早に抜け、新幹線口の横をとおって
少し歩いた所にあるコンビニで、お弁当を買った。
さらに少し歩くと、坂道になった。
仏舎利塔は、花岡山という小高い山の頂上に建っている。


【 歩き初めて最初の坂道 】

上写真の坂道にさしかかったとき、妙に懐かしい気持ちがした。
私が生まれ育った長崎の坂を思い出したからだ。
長崎市内は、このような坂道ばかりだ。
高校生だった当時、家の玄関を出ると、もうそこは坂道の途中だった。
その坂道を雨の日も、風の日も、雪の日(はあまり無かったが)も、
毎日登って、更に高い丘の上にあった高校に3年間通った。
その当時を思い出した。

坂道を歩くこと約1時間。
花岡山(標高133m)に建つ仏舎利塔にたどり付いた。
少し汗ばむという陽気だった。


【 花岡山(標高133m)の山頂から、熊本市の北方向をのぞむ 】

山頂からの眺めは、わずか133mの高さかからとは思えないほどの
よき眺めであり、駅側も同じく素晴らしい視界がひろがる。


【 仏舎利塔 】

インドから寄贈される、お釈迦様の骨である「仏舎利」を納めた建物を
仏舎利塔というが、これが私の生まれた昭和28年に建立されたとある。
しかも地鎮祭が行われた昭和22年から6年もの歳月をかけて。
昭和22年といえば、まだ戦後ま間もない頃である。
建立に向けて尽力された方々の、熱意・信念が伝わってくる。

その他、この仏舎利塔の近くには、以下のような建物、石碑がある。
・日本山妙法寺(日蓮宗)や、戸坂稲荷神社、
・兜岩(腰掛岩とも言われ、熊本城築上の際、石を切り出す指揮を執った加藤清正が
 兜を脱ぎ腰掛けた岩)
・フィリピン戦没者慰霊碑(51万8000人の日本人が亡くなったとある。その戦いに連れて行かれ同じく
 命をおとした馬(軍馬)の数も相当なものだったらしく、「軍馬の碑」という石碑もあった)

仏舎利塔の近くで、ゆっくりと買ってきたお弁当、お茶をとった。

帰りは、登って来た時の道(車が通る道)ではなく、
熊本駅の北に出る、段階ばかりの道を降りていった。
途中、中腹には、明治10年の西南の役で戦死した兵士の墓である「官軍墓地」があった。


【 陸軍埋葬地(官軍墓地) 】

この官軍墓地には、西南の役(明治10年)の戦死者の墓だけでなく、
役の1年前に勃発した、「神風連の変」で熊本鎮台と戦い全滅した
120余人の墓碑もあった。
「神風連の変」とは、時の明治政府の廃刀令、断髪令などの政策を亡国の危機とし、
結成された旧肥後藩の士族の反乱である。
この変は、その後、秋月の乱、萩の乱と全国に影響を及ぼしたとある。

この墓地のすぐ傍には、薩軍が引き上げて設置した大砲の「薩軍砲座の址」という石碑もあった。
薩軍が熊本城攻撃のため大砲を据え陣を構えたところに、
官軍墓地があるというのも少し不思議な気がした。

さらに、この西南の役では、官軍も薩軍も共に多くの戦死者が出たろうに、
官軍墓地はあっても、薩軍墓地というのはこの附近には無いようであった。
まさに勝てば官軍、負ければ賊軍なのだろうか。
同じく激戦地であった田原坂には、官軍墓地も薩軍墓地もあるようだ。

さらに少し階段を降りると、「殉職警察官、県官の碑」という碑があった。
戦いによる犠牲者は、軍人のみならず警察官、県官も多くの命が失われたとある。

戦いの無い、戦後のこのよき時代が永久に続くことを願い、
熊本駅のほうへ歩いて帰った。
家に帰り着いたのは、午後3時半であった。


立ち上がるとき、アイタタタ、、、となる。
おとといの、仏舎利塔までの往復の旅による
足腰のこわりが、今ごろ出てきた。


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