祈りの丘、独鈷山(どっこさん) (2016.2.17)


 この「旅」というジャンルで、
“今回、あの日本の名湯で有名な、黒川温泉に行って参りました!”
などと、“旅行に行って来ました!” という類の記事を書くことがない。

何故か?
お金がないから、行けないのである。
リタイヤして、毎日がシルバーウィークで、時間的余裕は割りとあるのだが、、、
年金などの収入が、こんなに少なく、しかも
健康保険料や、各種税金、医療費、生活費などの支出が、こんなにも多いとは思っても見なかった。
ハンド・ツー・マウス 食べていくだけで精一杯なのである。

でも、正直に言うと、そんな温泉旅行や、グルメ旅とか、○○の旅 etc
なるところへ、是が非でも行きたいとも思わない。
遠くへ行くだけ、疲れるだけである、、、(多分に痩せ我慢もあるのだが)

まあ、そんな訳で、この「旅」というジャンルに、旅行記事がない事の言い訳をしておこう。


さてさて、
毎日、夕方のウォーキング。
熊本市内を流れる、白川の河川敷をその川面を眺めながら
ただひたすら、1時間半ほど歩く。
毎日ほぼ同じコースをたどり、単調であまり面白くない。

ふと、山の方角を見やると、金峰山の方角。
金峰山の手前に、小高い丘があるのが見える。
その丘とは、
随分と昔の話しだが、その丘に関するコマーシャルを、
当時のテレビで見た記憶があり、
それは、
 “ 弘法大師ゆかりの丘、独鈷山(どっこさん)霊園・・・・” とか何とか。
霊園(お墓)のコマーシャルで、かの有名な俳優、田村高広さんが
お坊さんの姿で、子供達にかこまれているシーンなどがあったと記憶している。

そのコマーシャルを見ていたので、その小高い丘は
“独鈷山” であると、名前だけは知っていた。

よし、今日のウォーキングは、あの独鈷山まで行ってみよう!
と思い、普段とは違ったウォーキングコースとなった。

白川の左岸を北上、新世安橋(しんよやすばし)を渡り、
田崎市場(今は熊本地方卸市場と書いてあった)の前を通り、
道路右手に、「独鈷山入口」の標識を見つけた。


【 車が通る道路際に立っている、標識 】

標識のところから、すぐに上り坂になっている。
いくつかのカーブを曲がりながら、割と急峻な坂を登って行きながら
ふと後ろを振り返ると、いい眺望が開けていた。


【 独鈷山の中腹あたりから、熊本市の南西部を望む 】

写真ではハッキリとは映っていないが、肉眼では遠く八代市の、
日本製紙工場の煙突が見え、白い煙りを出しているのも確認できた。
さらに、右方向に目をやると、豊饒の海だった有明海も見える。


【 独鈷山の展望台の手前にある石碑 】

「祈りの丘」とは、どういう意味か?

この独鈷山一帯は、今からおそよ1200年前、真言宗の開祖、弘法大師によって、
多くの寺が建てられ、そして大勢のお坊さん達が、自分の人生を仏様に捧げ、
一生独身で日夜修行に励んでいた、日本三大霊山のひとつであったとの事。
そして生涯を通して、お寺や山頂の岩かげで修行され、なくなられたお坊さんは
山頂に埋葬され、その尊い数十万の御霊が今もこの独鈷山に眠っている。

では、お坊さん達はこの独鈷山一帯の丘で、何を祈ったのか。

平安時代末期、末法思想(釈迦の死後一千年後の世の中、
仏の教えが実行されなくなり、乱れに乱れて国が滅亡に向かうという思想)
が蔓延していた。
実際、貴族政治の腐敗、統治能力の欠乏、疫病や天災の多発による不作飢饉、
人心の荒廃による治安悪化、凶悪犯罪の続発、まさに末法状況そのものの世の中。

一言で言うと、このような末法状況の世の中から、
人々の心を救うために、仏様の教えを広めるしかないと、
過酷な状況の中、祈りがはじまったのである。
大昔のお坊さんであり、粗衣、粗食、厳しい環境に耐えながら、
祈り続けたに違いない。
数百年もの長き間、貴重で、高貴な祈りを捧げながら、
亡くなっていったお坊さん数十万の御霊が眠るこの独鈷山は、
まさに、「祈りの丘」である。


【 独鈷山の頂上。展望台 】

展望台は、難攻不落の名城 熊本城と同じ、武者返しの石垣で出来ている。

この頂上に来るまでには、いたるところの斜面に芝生が植えられており、
数多くの石材による、椅子とテーブルも設置されている。
お弁当持参の、ピクニックなどにも最適な場所である。
こんな素晴らしい公園が、こんなにも身近なところにある事に驚いた。
後で知ったのだが、観光案内によると、
ここ独鈷山からの夜景は熊本では有名なのだとか。

今日の天候は、曇り時々雨。
傘を差したり畳んだりの散策であったが、辺りは薄暗くなっている。

入口の標識から、ゆっくりと坂を登り、頂上の展望台まで行き、
そして来た道をそのまま下山。

その約1時間の間に出会った人といえば、
若い大学生風の男性一人、犬を連れて散歩中の中年女性一人、
合計二人であった。平日の夕方だから、こんなものなのだろうか。

ふと腕時計を見ると、午後5時半である。
そこから、また平坦な道を我が家へと歩いて行った。


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