偉大な音楽家への旅(2013.10.1)


 2万人の方が玉砕した、大戦末期の「硫黄島の戦い」。
アメリカ軍の熾烈な艦砲射撃が止む夕方、
地下壕から這い出して来た少年兵が、
遠く日本の方を向いて歌ったとされる ♪故郷の廃家♪。

♪旅愁♪ と共に、童謡・唱歌の屈指の名曲である。
その作詞者こそ、熊本県は人吉市が生んだ偉大な音楽家 “犬童球渓” 先生である。

熊本駅から人吉まで、JR九州の特急「くまがわ」で約90分。
人吉市内に“犬童球渓” 先生の生家が、現在でも残っており、
いつか是非、行って見たいと思っていた希望が、今回かなった。


【 “犬童球渓” 先生の生家 】

JR人吉駅の改札を抜け、真っ直ぐ歩き、球磨川にかかる橋を渡り、
さらに真っ直ぐ歩き、右手に少し入り込んだところに、
先生の生家はひっそりとたたずむようにして建っていた。

附近にはアパートや民家などが建っているが、山側には昔の農家らしき建物もあり、
さぞかし、先生が住んでおられた頃は、牧歌的で閑静な土地だったに違いない。


【 生家の近くに建っている、案内板。 】

生家から少し離れている場所になるが、人吉カルチャーパレスに、
先生の銅像も立っている。

    
【 何と凛々しい姿であろうか! “犬童球渓” 先生の銅像は!】

市内を、少しだけ散策してみた。
人吉市内を流れる、一級河川 球磨川。
橋の上から、その清流を眺めてみると、
長い竿を振り、鮎釣りをしている人がかなり居る。


【 何と綺麗な水の色だ! と叫んでしまった。】

“犬童球渓” 先生の本名は、“信蔵(のぶぞう)”。
明治38年、東京音楽学校を卒業後、2番目に赴任した新潟高等女学校の頃、
♪故郷の廃家♪や、♪旅愁♪ の作詞をされた。
球磨川の渓谷をもじった、“球渓” という名を使い出したのもこの頃だと言われる。

新潟の地において、遠く故郷の人吉を想いながら、童謡・唱歌の
屈指の名曲が作詞され、世に輩出されたのだ。

今回、“犬童球渓” 先生の生家をはじめて訪れた訳だが、
これを契機に、先生が作詞された多くの童謡・唱歌を歌うとき、
少しだけ今後は、自信を持って歌えるような気がする。
人吉は実に、いいところだ。

ここで、1句
 “ 人吉へ 人吉へと 皆な行きたがる
    人吉はやさしや 土地までも ”


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