結構歩き回った帰省(2013.3.10)


 旅というほどの事はない。
単に熊本から、親父の住む長崎へ帰省するだけの事である。

週末を利用し車で、今回は女房と息子と3人で帰省した。
久しぶりの、長崎帰省だ。
熊本新港から、島原へ。島原から長崎へ。
午前中に長崎に着いた。

そして長崎は、まず大浦方面にある女房側の墓参り。
階段を百段ほど上ったところに墓がある。
長崎は坂の街だ。
墓から見下ろす長崎港や、反対側の山手、どちらも斜面に張り付く民家の群れ。


【 墓のある場所から、長崎港方面を望む。 】

海のみえる左端あたりに、黄色い煙突が見える。
何やら、豪華客船が停泊しているらしい。


【 墓のある場所から、山の方を望む。 山の頂上に、ネットらしき物が見える場所は、私が卒業した長崎南高校である 】

さてさて、墓参りが済み、親父が一人で住んでいる実家へ直行。
 「 じいちゃん! 来たよぉーー 」 とばかり、玄関を開け中へ入ると、
親父はのんびりと、炬燵に入って寝ていた。


【 実家の写真である。 壁がすごい事になっている。 板が、はがれ土壁があらわになっている。 何とかせにゃあ家が壊れそうだ。 】

高齢で一人暮らしの親父は、なかなか掃除もしていないようだ。
そうそうに、部屋の掃除を済ませ、女房と息子は日帰りの予定なので、また車ですぐ帰ると言う。
その前に、せっかく長崎に来たのだから、チャンポンを食って帰るという。
チャンポンといえば、いつも行く 「三八ラーメン」屋さんのチャンポンが一番うまい。


【 またまた、何口か食ってしまった後、「ありゃ、写真撮るの忘れた!」とばかり撮った写真である。】

 真ん中に映っている、小指の先ほどの牡蠣がポイントだ。 
今日は私のチャンポンに、牡蠣が10個くらい入っていた。 いい出汁が出るようだ。 とても美味い。
右上は、チャーハン。 3人で、チャンポン3杯とチャーハン1皿を分けて食った。
チャーハンもなかなかいける。

昼食が済んだら、車に乗って女房と息子は熊本へ帰って行った。
私は、夕方まで長崎港あたりを散歩することにした。

墓がある場所から、その一部が見えていた豪華客船が、松ケ枝桟橋に停泊していた。


【 船体に “ORORA” と書かれていた。 イギリスの大型豪華客船のようである。 】



【 なんとでかい船なんだ! 桟橋で地元長崎の子供達が、矢倉太鼓か何かの歓迎アトラクションをやっていた。 それを、
 船の上から沢山の乗船客が眺めていて、拍手などしている。 】 

乗船客は全て外国人のようで、百数十日をかけて世界一周の船旅の途中なんだろうか、
みんな結構年寄りの人ばかりで、とても裕福そうに見える。
私なんかとは、住む世界が違う人達のようだ。

ふと桟橋の近くにコンクリートの建物があった。
そんなには大きくはない建物だ。
「あー! これがひょっとして、あのさだまさしの・・・・」 と思い、よく見ると
 “NAGASAKI PEACE MUSIUM” と書いてある。 


【 “NAGASAKI PEACE MUSIUM” 歌手のさだまさしさんが発起人になり、寄付を集め建てられた、MUSIUMである。】 

さてさて夕方になったので、一旦歩いて親父の待つ実家まで戻ろうと、思案橋のほうへ歩いていたら、
ボー、ボーと、いかにも大型の船という響きで、警笛が鳴るのを背中で聞いた。
さっきの豪華客船が出航して行くようだ。

夕方、オヤジと私は繁華街へ降りて行き、そこに次兄も加わり
3人で刺身などを肴に一杯やって、いつものカラオケバーへ行こうという事になった。



【 最初に入った “いわしや” という居酒屋で、刺身などをつまんで一杯やった。 】

お店のおかみさんはじめ。 うちの親父が97歳だと聞くと、みんな一様に 『へぇーー 』 と、驚きの声をあげる。
おかみさんが、熱燗を飲んでる親父に、
 『 元気の秘訣は、何ですか? 』 と聞いた。
親父いわく、
 「 なーんも無か、なーんも考えんで馬鹿んごとしとけばよかー 」 とか言って、おどけていた。
その親父も今年10月で、98歳になる。


【 次のお店。 カラオケ屋へ3人で行き、 「梅と兵隊」 なんか、懐かしい歌を、親父は数曲歌った。 】

結構、酔っ払った。
親父も高齢で、少し飲みすぎたようで、もう帰ろうとばかり、
タクシーをひろった。
次兄が、フォークソングの店というのがあるので、もう一軒そこに行こうと言うので、
親父だけをタクシーに乗せて、「先に帰っといて!」 とばかり送り出した。

フォークソングの店で、ギターを弾かせてもらい、
お店の人がキーボードや、ベースを入れてくれて、
酔いもあり、かなり気分よく昔の曲を数曲、歌わせてもらった。
次兄も、キーボードに合わせ結構うまく歌っていた。

そんな感じで、その夜(土曜日)は、結構遅くまで飲んだ。

明くる朝(日曜日)は、結構二日酔い状態。

 『朝飯、食って行け』 とばかり、親父が作ってくれた朝飯は、
二日酔いのため食えなかった。

「 じゃあ、またそのうち来るけん」 と言って、実家を後にした。
朝、8時半である。
ぶらぶらJR長崎駅まで歩いて行った。

JRで諫早まで行き、諫早からは島鉄で島原へ。


【 島鉄の車両は、一番前の席に座れたので、この写真のような景色を、島原駅まで楽しんだ。 】

島原駅で降りた。 朝飯を食っていなかったので、少し早い昼飯を食った。
その後、フェリーで熊本へ帰ろうと、外港の方へぶらぶら歩いていたら、
「初市」という文字が目に入った。

「おう!霊丘公園で、初市をやってんだぁ」 とばかり、行って見ることにした。


【 人通りが途絶えた時をみはからって撮った写真。 結構な人で出店は賑わっていました。】

上の写真にある、「ラーメンバーガー」 というのが珍しく、お土産に2個買った。600円也。
後、海産物の出店に、アゴ(飛魚)が売ってあったので、これも土産に買った。500円也。



【 島原 初市の一角に、ステージがこさえてあり、アトラクションをやっていた。 こじんまりして楽しそうだった 】

さてさて、熊本へ帰らにゃあ・・・とばかり、
初市会場を後に、フェリー乗り場のある島原外港の方へ歩いて行った。


【 島原外港の手前に、 “南島原駅” があった。 高倉健さんが居そうな駅舎である。 】

熊本へ向かうフェリーの時刻を間違えて、少し早めに島原外港に着いた。
フェリーターミナルのすぐ前の岸壁で、釣りをしている人が数人居た。

しばらく眺めていると、竿がググーッとしなった。
型のいいチヌが釣れた。


【 釣り人の右手に、既に上げたメイタが2匹。 今あげた3匹目のチヌを、〆ている釣り人 】

竿がしなった時に、ちょうど私が着いたところだった。
チヌ(メイタかも)が上がったとき、
思わず私が、「うはー! すごいですねぇ」 と、もらすと、
釣り人は、ニコッとしたいい笑顔をした。
ターミナルビルのすぐ前の岸壁、こんなところでよく釣れるもんだ。

最近、釣行してないなあ。
ゴールデンウィークの頃は、キスが釣れ出すので楽しみにしておこう。

この土日、旅というほどではないが、実によく歩いたもんだ。
オーシャンアロー号に乗って、熊本新港に帰り着くと、
女房と息子が港まで、車で迎えに来てくれていた。

なんか、いろいろあったなぁ・・・・
そんな、土、日曜日だった。
あーー疲れた。
少し心地よい疲労感。


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