島原鉄道(2012.12.24)


 最近、長崎に帰省する際に、公共交通機関を利用するようになった。
フェリー代が安くなるのと、駐車場の確保も不要だし、
何よりたくさん歩く事による健康増進にもなるからである。

先日の帰省の折にも、そうした。
熊本新港より、人間一人としてフェリーに乗り、
リュックサックを背負って島原へ向かった。
ちょっとした、気ままな一人旅の気分である。

島原港へ降り立ち、島原外港駅へ徒歩5分。


【 次の列車を待ちながら、スマホで撮った写真 】

島原外港駅のホームには、私の他に2人しか客らしい人影がない。
上の写真は、外港駅のホームから下り方面の加津佐へ向かう線路である。

島原鉄道の路線中、島原外港 − 加津佐 間は以下の資料のとおり、
平成20年に廃止された。


風の噂には聞いていたが、島原外港 − 加津佐 間が廃止されて、
もう4年もたつのか。
列車が通らなくなった線路って、寂しいね。
普賢岳の噴火、少子高齢化、マイカーの普及・・・・輸送人員の減少 ⇒ 利用者減少区間の廃止。
世の流れとはいえ、昔の姿、形が消えていく。

今しがた、列車が出たばかりで、次の列車(諫早行き)まで30分以上ある。
急ぐ旅でもないし、島原市内へ向かってぶらぶら歩くことにした。

船津や、広馬場、白土、中堀町、大手と、歩いてみた。
私が住んでいた中学生の頃と比べると、街並みもかなり変わっているが、
昔ながらの建物もいくつか残っていて、懐かしかった。

途中、同級生のK君がやっている理髪店に寄ってみた。
中堀町アーケード街から、少し入ったところにある。
完全予約制のK君の店は、島原市内ではかなり繁盛しているようだ。
あの普賢岳の噴火さえなければ、平屋建てのその店を、
鉄筋建てに作り直す計画があり、銀行の融資も決まっていたとのこと。
あの噴火以来、何か目に見えないものが、
島原という街を少しずつ変えているようだ。

ちょうど昼時だったので、K君が出前を取ってくれて、
ふたりでちゃんぽんを一緒に食った。

島原外港駅から乗る予定が、市内散策をしたため、
島原駅から乗車し、諫早経由 長崎へ向かった。

一泊二日で、島原経由、長崎へ行ったわけだが、
途中、どこで撮ったか、以下の写真がスマホに残っていた。


【 実にいい構図である。向こうに見えるのは、普賢岳(平成新山)である。 】

はて、この写真、俺はいったいどこで撮ったのだろう。
思い起こしてみるが、思い出せない。
どこかの停車駅で、列車から降りて撮ったかなあ。
いや、そんな事はない。第一、駅のホームから撮った写真ではない。

写真の左三分の一あたりに、ガラスの反射みたいな跡がある。
列車の窓越しに撮った??  そんな事は無い。そうだとすれば、列車が直角に向き合っているはずだ。
そんな事は無い。

何日もたってから、やっと撮影した場所を思い出した。
写真の下の方を見てみると、列車の窓枠みたいなものが映っている。
実は、これは窓枠ではなく、額縁なのである。

島原駅の売店がある待合室で、常設展の写真が壁に飾ってあって、
その中の1枚の写真を、スマホで撮ったものである。

俺が、こんないい構図の写真を撮れるはずがない。
いやはや、そんな事も思い出せないとは、
痴ほう徘徊みたいな、一泊二日の旅じゃあないか と自分を笑った。


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