海上の道(2012.7.16)


 中学校の3年間を私は、長崎県の島原市で過ごした。
夏になれば友達と連れ立って毎日のように、長浜という海岸まで自転車に乗って出かけた。
釣りをしたり、水中メガネをつけて海にもぐったり、単に泳いだり・・・・
今でも楽しかったその頃の光景を、はっきりと思い出す。

お盆の8月15日の夕刻には“精霊流し”が行われ、市内を練り歩いた精霊船が
近くの猛島(たけしま)海水浴場の海岸から、流された。
たくさんの切子灯篭に蝋燭がともされたまま、精霊船が流されていく。
担ぎ手が、腰から胸のあたりまで海につかり、なるべく沖まで
遠くまで流れて行くようにと、死者の霊を乗せた精霊船を送り出すのである。
暗闇の海の上を、灯りがともったまま、死者の霊を乗せた精霊船が
西方浄土の、沖へ沖へと流れていく光景は、幻想的ですらある。

その“精霊流し”から一夜明けて8月16日、まだ夏休み真っ最中、
いつものとおり仲間と、自転車を走らせ海岸へと遊びに出かけていく。
すると、前夜の幻想的な精霊船が、何艘か海岸の浅瀬に打上げられている。
精霊船には、お供え物が載ったままである。
スイカや、当時は高級だったメロン、ぶどう、バナナや、お菓子・・・・・
食べようと思えば食べられるのだが、死者への冒涜のようでもあり、
子供心にも “神聖なお供え物” という観念があったのだろう、仲間も口にすることは無かった。

同時に、海岸に “椰子の実” が打上げられていたのを私は見たのである。
“精霊流し”が行われた猛島海岸から、南にわずか1〜2Kmの長浜海岸で。
とっさに、 ♪ 名もしらぬ遠き島より 流れよる 椰子の実 ひとつ・・・・♪
という島崎藤村 作詞、“椰子の実”の曲が頭に浮んだ。


【 海岸に流れ着いた椰子の実は、こんなに芽を出した物ではなく、
  もっと、朽ち果てた物だった 】

遠い南の国と言われている異国から、何千何万Kmも隔たったこの海岸へ、
この椰子の実は海を渡り、たどり着いたのだ・・・・ そんな事を思い、
しばし呆然と、その椰子の実を眺めていた事を思い出す。
もう、40年以上も前の話しである。

私どもがよく歌う童謡の ♪椰子の実♪ という曲だが、
民俗学者の柳田國男氏が、大学2年の夏、愛知県 伊良湖岬にて、
海岸に流れ着いた椰子の実を見付けた事を、親友の島崎藤村氏に話した事から、
藤村氏は、椰子の実の漂白の旅に、自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね
この詩を作ったという。


【 きっとこんな感じの南の島から、ポトリと海に落ちて流れてくるんだろうね 】

私が、島原半島の長浜海岸へ流れ着いた椰子の実を見たのは、40数年前で、
さすがにその時以来、椰子の実を見たという記憶がない。
柳田國男氏が伊良湖岬で、流れ着いた椰子の実を見たのは、
今から100年以上も前のことである。

海はいろんな物を運んでくる。
海には道がある。
日本人は一体どこから来たのか。
そして、日本民族はこれからどこへ行こうとしているのか・・・・・
柳田國男氏の遺作となった 『海上の道』という本を、
近々読んでみたい。

今日は7月16日(月)、「海の日」であります。


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