旅行中につき、住所不定(2001.8.26)
今日、毎日新聞をみていたら、「日本詣で」という本の紹介記事があった。
本の著者は、嵐山光三郎さんである。
その紹介記事の中の、以下のような言葉に触れるとき、
私の心は、旅へのいざないで、いっぱいになる。
「旅行中につき、住所不定」
「僕にとって、旅が普段の生活なので、家にいるときは新鮮ですね」
「宮澤賢治の故郷、岩手・花巻は目に入る一切の風景に賢治がいるから、
自転車で回ることを勧める」
「評判の落ち始めた博多の屋台に向かって、町のパワーの象徴だから頑張れとエールを送る」
「旅の極意はすべてを受け入れること。バーでぼられることだってある。
しゃくにさわるけど、怒り散らしても仕方がない。
逆に勘定が安ければうれしくなる。
つれなくされるのもいい。
どこに行ってもいい人と悪い人がいる。世の中は半々なんですよ」
海という恋人に夢中になるのもいいけれど、上記のような言葉に触れるとき、
むしょうに、旅に出たくなる。
人生は、旅なのか、旅が人生なのか。
邂逅を求めて、人は旅をするのか。
自分を見つめなおしたり、自分を発見するために旅にでるのか。
私の場合は、簡単である。
ただ、旅に出たいから旅に出るのである。
旅に目的なんて、なくったっていいじゃあないか。
【海への旅もいいもんです。】