川辺川へ(2009.10.5)


 1年ほど前だろうか、熊本県の五木村に仕事で行った折、
川辺川沿いの、頭地 地区というところまで車を走らせたことがあった。
川辺川ダムで有名な地域である。
ダムに沈む予定の学校が、新たにきちんと整備された代替地に建設されていたり、
その他、役場や民家なども新たに建っていたようだ。
”道の駅”も新たに建っていて、まとまった集落というイメージを持った。
その時は仕事の途中でもあり、頭地 地区だけを訪問してすぐ熊本へ引き返した。

今回、ひとりでマイカーを利用した2度目の訪問である。
熊本市内から、国道3号線を南下。
宮原町で左折し、国道443号へ、東陽村でさらに県道25号線へ、
そして五木村 頭地 地区へ という道のりである。


【 大まかな、川辺川付近の地図 】

  
【 県道25号線沿いの、五木小川。 この川は頭地地区で、川辺川と合流する。 きれいな川だ。
 左の写真は上流に向って、右は下流に向って写した。 】


【 学校の運動場らしき跡、ダム湖に沈むため移転した? 地頭地区 】

頭地地区から、川辺川沿いの国道445号線をを下流に向けて南下した。
途中、小店の自動販売機でお茶を買ったついでに、お店の人に聞いてみた。
 「 川辺川ダムは、どのあたりに出来る予定だったのですか? 」と。

お店のおばさんが、おっしゃるには、
  『 ここから下流方向に走って、2つ目のトンネルのあたりが建設予定地ですよ。』
おばさんは更に、お店の窓からはるか下方の川面の方を指差し、
  『 あそこに道が見えて、十字路が見ゆっでしょうが、
    あのあたりにこの店はあったとですが、ここに移転して来たとですよ。 』


【 お茶を買った小店。 ”野々脇”バス停のすぐ近くのお店です。 】

更におばさんは、目の前の国道445号線にかかる橋の橋脚を指差し、
 『 ダムが出来て、満水になったら、あの赤い線のとこまで水が来るとですよ。 』 とおっしゃった。


【 赤線のとこまで水が来る? お店は橋の路面と同じ高さにある 】

「 ふえー! こがんとこまで水の来っとですか! 」 と、私は驚いた。

私は当初、頭地 地区あたりに川辺川ダムが建設される予定とばかり思い込んでいた。
実際は、頭地 地区から6Kmほど下流の藤田地区にダムが建設される予定だと知った。
すると、ダムによって堰止められるダム湖は、膨大な長さの湖となる。

    
【 ダム建設予定地付近に建つ施設。         このあたりがダム建設予定地だと思われる。藤田地区 】 

さらに川沿いを走って気付いたことには、ほとんどの立ち退きが終わり、
付け替え道路も、ほぼ川の両側に完成してしまっているように見えた。
後は、ダム本体の建設に取り掛かるだけ?
極端に言うと、そう感じた。

そもそも、このダム計画は昭和41年から動き出し、これまでに43年も経っている。
いやはや何とも、今回、その現地を少しだけであるが垣間見て、その歴史の長さと、
関連工事の進み具合に驚いた。


【 川の上流を向いて撮影。 この川の先(上流)に、ダムが建設される予定だった。】


【 ”川辺川ダム事業で実施している、自然環境保全の取り組み”の掲示板 】

上の写真は、川沿いの国道脇の公園に設置されている掲示板であるが、
 「自然・植物への配慮」、「けもの道の保全」、「カワセミ等の人工営巣地の設置」、
 「負傷した動物の保護」等々、ダム工事に携わる方々の、並々ならぬ配慮が伝わってくる。
これはまだ、工事中止の論議が巻き起こる前に設置されたもののようだ。

川辺川ダム事業に関しては、続行、中止どちらにしても
 ・地域住民の権利、保障の問題
 ・洪水など災害対策の問題
 ・流水の正常な機能の維持の問題
 ・かんがいの問題
 ・発電の問題
 ・自然環境保護の問題
 ・経費の問題
をはじめ、難問山積の事業であるのは間違いない。
計画変更、部分実施、代替案等の選択肢も含め、
ひとつひとつ根拠を提示し、多くの人が納得する方向で
なるべく早く収束させることが肝要と思った。

今回は、ドライブを兼ねた日帰りの旅であったが、何と言っても
現地へ行き、現物、現実に触れられたという点では、大いに勉強になった。


 へ      へ         「旅」メニューへ       「エッセイ」メニューへ   ホームに戻る。