私の長崎(2009.9.20)


 私は「長崎」という文字に弱い。
新聞でも、週刊誌でも何でも「長崎」という文字を目にするだけで、
一種のノスタルジーを感じて胸が熱くなる。

先日も昼休み、デパートの書籍売り場を散策していたら、
並んでいる本の背表紙に、「七十五度目の長崎行き」 というタイトルの本が目に入った。
手に取って見ると、私の好きな作家、吉村 昭 氏のエッセイ集ではないか。
パラパラとそのページをめくり、気が付いたらレジで代金を払い、買ってしまっていた。


もう亡くなられたが、吉村 昭 氏は戦時中に三菱重工長崎造船所で建造された
『戦艦武蔵』をはじめ、『ふぉん・しいほるとの娘』など数多くの小説を書かれた方である。
小説執筆にあたり、その資料収集や現地調査などで、
昭和41年から、亡くなられる平成18年までに、百回近く長崎の地を訪れられている。


【 購入した、吉村 昭 氏の本。 】

この本に限らず、これまで氏のエッセイを読んでみると、いろんな場面で氏は、
 「長崎ほど素晴らしい町はない」
 「長崎に行って不快な思いをしたことがない」
 「篤い人情にふれ、感動する」
 「この上なく美味の食物を口にし、歴史の遺産に接して歩くのは、まことに楽しい」
などなど、最大級の表現で長崎を絶賛しておられる。
長崎がふるさとである私などには、嬉しい限りである。

氏が来崎のたびに、長崎県立図書館長のN氏と酒を酌みあっておられた
”はくしか” という小料理屋は、私も知っている店であり、何度か飲みに行ったこともある。
日本酒が好きだった私は、シャレでは無いが、その”はくしか”という店で、
”白鹿”という銘柄の日本酒を友人とよく飲んだものだ。
それも昭和47年から、52年頃の事である。
その頃ひょっとしたら、吉村 氏と店で会っているかもしれない・・・などと勝手に思ったりする。

また氏は、皿うどんやチャンポンがお好きで、さまざまな店に入られ、
ある時からワシントンホテルの前にある「福寿」という中華料理店に決めた とおっしゃっている。
私は、この「福寿」では食べたことは無いが、長崎に詳しい人なら、
本社前あたりにあると言えば、そのお店の場所はお分かりだろう。
今度、是非、私も皿うどんを食べてみようと思う。
また、店名こそ記しておられないが、ひと口餃子で有名な
雲龍亭の餃子は、飲んだ後に必ず食べられるとも・・・・

更に氏は、浜ノ町の電車通りに面した、マツヤ万年筆病院をひいきにしておられ、
そこで入手された万年筆でずっと執筆されていたとか。


エッセイの中に出てくる店の名とか、地名とかを目にするにつけ、
すぐにでも懐かしさと共に、その場所を思い浮かべることのできる私の長崎。

私が、今住んでいる熊本市内から、長崎へ帰ろうと思えば3時間程度で行ける距離なのだが・・・・
帰ろうと思えば、すぐにでも帰れる町なのだが・・・・・
近くて遠い長崎。
なんだか、遠い遠いふるさとのような感じがする長崎。
うまく表現することができない、私の長崎へのこの想いは、一体何なんだろう。


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