御馬下の角小屋(2009.1.18)
国道3号線沿いである。
熊本市の北部を車で運転中、
「御馬下の角小屋」という道路標識が目に入ったので、
車をとめて入場料200円/一人を払い、入ってみた。
「御馬下の角小屋」(みまげのかどごや)とは、いったい何なのか。
一言で言えば、NHKの大河ドラマにもなった、あの篤姫も、
徳川家に輿入れするとき立ち寄ったという、高貴な方の休憩所である。
【 「御馬下の角小屋」を駐車場側から写したもの。建物の裏側が国道3号線である。 】
誰も訪問客はなく、私、家内、娘の3人で入ると、ガイド(男性)の方が丁寧に解説してくださった。
【 施設内にある看板。 】 【 一部、二階建てである 】
築後、約200年のこの建物は、
江戸時代に庄屋を務めるかたわら質屋・酒屋を営んだ堀内家の住宅であるとともに、
参勤交代の折に豊前街道を往来する細川・島津などの大名が、休息所として使用したとのこと。
【 「御成門」(おなりもん)・・・この門から屋敷内に入り休憩した。
島津 斉彬公も、久光公も、天璋院 篤姫さまも。 】
【 客間に展示されている人形。 右の殿様の位置に、篤姫さまも座って休憩された 】
ガイドさんの説明では、
徳川家に輿入れするとき、篤姫さまが立ち寄り休憩されたのは夏で、
出されたスイカをたくさん食べられたとか、そしてトイレにも行かれたとか・・・・
トイレも見学させてもらったが、男用、女用と2箇所あり、
どちらも、板張りに長方形の穴がうがってあり、
前に縦板が1枚あるだけの原始的な空間であったが、
そのトイレの入口の戸に、年月がたち薄れてはいたが、
立派な絵が描かれていた。
【 護衛の侍か? これもよくできた人形が 】
現在、熊本市有形文化財として指定されているこの、「御馬下の角小屋」は、
海軍大佐、掘内豊秋氏の生家でもあり、
この方は、海軍体操や、日本初の落下傘隊長としても有名な大佐である。
建物の梁や柱は大きく、黒光りして200年前のままだと、
ガイドさんから教わった。
「よくもこんな立派な建物が、西南の役でも焼かれず残ったものですね」
と、私がひとりごとを言ったら、
ガイドさん曰く、
西南の役のとき、この建物には西郷隆盛の軍も駐屯したとか、
さらにその後には、官軍も駐屯したとか。
そういえば、最大の激戦地となった田原坂も、ここからさほど遠くないところにある。
敷地内に『資料館』もあり、古文書に「いつ、なんどき、天璋院 篤姫さまが休憩され、スイカを召し上がった・・・」
等の記述があるとか、篤姫さまの生年月日が、1836年2月5日で、その3ヶ月前に坂本龍馬が生まれています。
二人は同級生なんですね とか、ガイドさんにはたくさんのことを教えていただきました。
ありがとう存じました。
熊本市内には、まだまだいろいろの名所・旧跡・史跡があるんだろうなあ・・・・・
そう思ったものでした。
御馬下の角小屋:熊本市四方寄町1274
参考:http://www.kumamotonet.jp/siro/kadogoya/index.htm