ふらり旅(2001.2.12)

3連休の最後の日、高校生の息子もクラブ活動が休みとのことで、
息子も女房も、ゆっくり朝寝らしい。
そんな家族を尻目に、朝起きた私は、
海と魚釣りを見に行こうと、車で近くの熊本新港へ出かけてみた。

何人かの釣り人が居る。
あまり釣れていそうにない。小雨も降り出した。天気予報どおりだ。

と、そこに高速フェリーのオーシャンアロー号が入港してきた。
ほとんど反射的に、「よし、これに乗って島原へ行こう!」と思い立ち、
すぐさま、切符を買ってオーシャンアロー号に乗りこんだ。
車は駐車場に置いたままだ。
往復切符である。人間だけなので安い。


30分で島原に着いた。
私の小、中学校時代のほとんどを過ごした町だ。
思い出が、いっぱい詰まっている町だ。
そぼ降るような雨が止まない。
島原外港の近くの店で、傘を買った。

その島原外港から、3年間通った我が母校、島原第二中学校まで歩いてみた。
ちょうどこのあたりだ、3年7組の教室があったのは・・・平屋で木造のボロ校舎だったよなあ・・・
今は、鉄筋3階建ての立派な校舎になっていた。

懐かしい体育館はそのままだ。
その傍を通り、奥のグランドへ出てみた。
昔と変わらないグランドだ。
そのグランドで、野球部と、サッカー部が練習をしていた。

サッカー部の顧問らしい若い男の先生がジョギングをしながら、
私を見つけ「こんにちは」と挨拶してくれた。
うれしかった。私も「こんいちは」と挨拶した。
子供、大人にかかわらず、スポーツマンは礼儀正しく、すがすがしい。
ほかにテニス部、屋内では卓球部などが練習をしていた。
頑張れ、後輩たちよ!と心でつぶやき、学校の門を出た。

この中学校から、毎日下校していた当時の道を、懐かしさと共に歩いてみた。
白土湖のほとりを通り、当時住んでいた借家は今でもあるだろうかと行ってみたら、
当時のままでまだ建っていた。懐かしかった。

近くの護国寺というお寺の境内を通ったら、昔のままであった。
よく母に5円もらって、紙芝居を見た門前もそのままだった。
『水あめ(カヨカヨと言っていた)を買ってない子は、見たらいかん!』
とよく怒っていた、あの紙芝居屋のオヤジはもういない。
あの頃はみんな貧しかった。

島原で一番の繁華街である、中堀町を歩いてみた。
昔は、もっと人通りが多かったよなあと思えるほど、人の通りが少ない。
みんな、ダイエーとか寿屋とか近くの大型店舗に行ってしまうのかなあ。
こうして地元の商店街はさびれていくのだろうか。

島原城に行ってみた。
お城の入り口で入場券を買おうとしたら、中の事務所にT君の顔が見えた。
同級生のT君である。
T君が、お城の管理事務所に勤めているのは、毎年の年賀状のやり取りで知っていた。
「やあ〜、久しぶりやねえー」
お互い少し近況を語り合った。
T君が勤務中であることもあり、
近々、3年7組を中心とした小さな同窓会を開催することを聞き出した後、別れた。
「よーし、同窓会、来週の土曜日やな。おいも来っぞ!」で、別れた。

ふと気が付くと、もう夕方近くになっていた。
島原外港から、ふたたびオーシャンアロー号に乗り、熊本新港へ。
家に着いたら午後5時過ぎ。
あたりまえといえばあたりまえだが、女房は起きていた。
思い出にひたるには未だ若いが、実に収穫のあった、雨の中のふらり旅であった。


【島原外港から、眉山を望む。眉山のふもとに島原第二中学校はある】


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