帰りを待つ、魚屋町のおばあちゃん(2007.12.16)


 熊本市内の中心部を、とうとうと流れる一級河川の白川。
その白川沿いを徒歩で通勤しはじめて、ひと月が経とうとしている。

夕方、仕事を終え、また同じような経路で家路へ向かう。
練兵町・・・・加藤清正公の時代を思い起こさせるような町名だ。
紺屋町・・・・今でも、衣類をはじめ各種卸問屋さんが建ち並ぶ町だ。

桜町 ⇒ 辛島町 ⇒ 練兵町 ⇒ 船場町 ⇒ 紺屋町 ⇒ 魚屋町 ・・・・・
いかにも下町の小学校だと思える、慶徳小学校や、車1台がやっと通れるような狭い路地、人々が住む民家。

夕方、魚屋町の一画を通る時、ほぼ毎日、ひとりのおばあちゃんに会う。
年の頃なら80歳を過ぎたくらいのおばあちゃんである。
二軒長屋のような住宅の玄関先に腰掛けているおばあちゃんだ。
 私が 『こんにちわぁ』と挨拶するのと、
おばあちゃんの、ニコニコしながら 「ごくろうさぁん」(今日一日のお勤めごくろうさんの意)
との声がほとんど同時に交わされる。


【 こんな感じの玄関先に、おばあちゃんは腰掛けている 】

ほぼ毎日夕方、帰り道でおばあちゃんと会う。
ある日、このおばちゃんの家の前を通り過ぎた後、振り返っておばあちゃんを見た。
随分と冷え込んだ夕方のことであった。
玄関の戸を少しだけ開け・・・・・
下の写真のような感じで、誰かを待っているのである。


私に、「ごくろうさぁん」といつも声をかけてくれるおばあちゃんは、実はある人の帰りを待っているのである。

その、ある人とは・・・・・・・

昭和18年に出征していった、愛するご主人の帰りを、今日も待っているのである。
来る日も、来る日も・・・・・
紙切れ一枚で、南方戦線へ出征して行ったご主人の帰りを・・・・・・
送り出してしまった、その日からずっと、毎夕方・・・・
必ず生きて帰ってくると約束したご主人の帰りを・・・・
64年目のこの冬も・・・・・・

戦争とは、かくも弱い人たちの人生を、長く、深く、苦しめ続けるものなのである。

【おことわり】
当エッセイの、2枚目の写真以降の文章は、私の空想でありますが、ふと、そんなことを感じたのであります。
戦争は、始めてしまったらおしまいなんだと。


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