銭湯(2007.9.13)


 最近のジェット旅客機には、何と、お風呂が付いていますよ。
こうなるともう飛行機じゃないですよ、銭湯機です・・・・とは、三遊亭歌之介の落語の一節であり笑える。

私が毎朝、自宅と職場間を歩くようになって、優に7年を経過している。
その通勤途中に、小さな銭湯があり、歩き始めたその頃はまだ営業していたように記憶している。
時代の流れだろうかやがて閉店となり、その後今日まで廃屋となったままで、その銭湯は何年も建っていた。

ところが、最近あっという間にその銭湯が取り壊されて、さら地になってしまった。


【 銭湯が建っていたさら地。 通勤途上で思わずシャッターを押した  】

このさら地となった銭湯跡を通り過ぎる時、しばし、その地面をジッと眺め、
ここにあった小さな銭湯で、これまでにどんな人生模様があったのだろうか・・・・そんなことをふと思った。

私も小学校に上がるか上がらない頃、当時、長崎県は島原市に住んでいて、よく家族で、近くにあった銭湯に行っていた。
確か、中堀町にあった「天狗湯」という屋号の銭湯だったと記憶している。


【 銭湯には必ず、富士山の絵なんかがあるんだよね 】

一階に男湯、女湯があり、子供だった私は中へ入るなり、脱衣所の籠にシャツとパンツを投げ入れ、ガラガラと戸を開けて流し場へまっしぐら。
男湯と女湯の間には、手で押せばすぐに開く片側蝶番の一枚の戸があるだけで、私は男湯と女湯を行ったり来たりしていた。
女湯には、当然ながら母が入っていたのである。
そんなのどかな、心休まる銭湯であった。

風呂から上がると、一旦外に出て、右手の階段を上がり銭湯の2階へ行くと、休憩室のような大広間があり、
まだテレビが珍しかった頃、白黒ではあったがデンとテレビが置いてあった。
みんなで、ワイワイやってテレビを見たり、ふざけあったり・・・・・・・今では考えられないほどの社交場であり、癒しの空間でもあった。
貧しかったが、近所のおじちゃんも、おばちゃんも優しく、ほのぼのとした温かさがあった・・・・・・・・


いかん、いかん、通勤途中じゃった。
ふと、我に返り職場へと急いだ。

むかし懐かしい銭湯を思い出しながら、銭湯機での旅ならばいいもんだろうが・・・・
しかし戦闘機だけは、絶対にいただけない。


 へ     へ        「旅」メニューへ       「エッセイ」メニューへ   ホームに戻る。