復旧道路(2020.10.9)

 4年前の熊本地震で、がけ崩れと共に崩壊した「阿蘇大橋」、国道57号線。
そのバイパス道路が開通したとのニュースを先日テレビで見た。
今日、そのあたりに行ってみた。
往復3時間強くらいのドライブである。

地震で被害の大きかった益城町経由で、阿蘇方面へ向かった。

途中、何とものどかな田園風景が車の右手に広がっていたので、
思わず車を停めて写真を撮った。


【 少し県道から入ったとこで、この景色を撮影した 】

♪・・・この道を、真っ直ぐに歩いて行けば、おばさんのうち・・・・♪
何かしら、そんな歌詞が南こうせつ氏の♪幼い日に♪という曲の中になかったっけ。
実にのどかな風景であった。


国道57号線を走り、大津の道の駅を過ぎて左折すればミルクロードであり、
その道を走った。
最初の大きな交差点を過ぎて真っ直ぐに行く道がバイパス道路だ。
途中、トンネルがあり十数km 走れば元の国道57号線に突き当たる。
阿蘇白雲山荘だったか、その辺りに出るのだ。

そのT字路を左折して、高森・大分方面へ行っても仕方ないので
右折して熊本市内ほ方へ帰ることにした。

途中、地震前まで阿蘇大橋がかかっていた附近に、小さなPがあり車を停めた。


【 P(駐車場)から撮影した。 この地点からやっと写真が撮れるようになった・・・】

写真中央に映っているのが、赤橋とも言われていた「阿蘇大橋」の
崩れ落ちた残骸道路である。
180度身体をひねると、崩れ落ちた山肌の跡(下写真)があった。


【 前の道路が開通した57号線。 見えないが道路に沿ってJR豊肥線も既に復旧している 】

写真右下に、茶色の服の女性が見えるが、このあたりから「阿蘇大橋」が右手に向って架かっていたのだ。
そしてこの附近で、ひとりの大学生の乗った黄色い車ががけ崩れと共に谷底へ落ちて亡くなったのだ。
地震発生時刻:2016年4月16日 午前1時25分。
ほんの数分、この国道を通る時間がずれていたらその大学生は助かっていただろうにと思うと、実に残念である。

実は、私の父はこの地震の翌日、4月17日に長崎で亡くなった。100歳であった。
この大規模地震で、末っ子の私が熊本の地で何の被害もなかったのを見届けて
父は息を引き取ったのではないかと、勝手に思い込んでいる。

今日は、久し振りに少し遠出のドライブだった。
平日なので道路も混んでいなくてわずか3時間強の一人旅であったが、
少し悲しい快適なドライブであった。


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