出世と病(2009.11.1)


 これまで 諸先輩はじめ、本当にいろいろな方々に支えられて
今日まで来たなあ という感謝の念でいっぱいである。
その感謝の念とともに、再び自分の辿った恥をさらしてみる。

私は今の会社に入社したての頃、企業内大学みたいなセクションに入学し卒業もしたが、
その組織の名を言ったところで、世間的には誰も知らないし何ら通用しない。
従って私は、世の中でいう高卒である。

29歳で係長になった。
出世という点では、高卒の割りには早いほうであったと思う。
各社でまちまちだろうが、大まかな昇進段階として
 担当者、主任、係長、課長、部長、副社長、社長・・・・あたりが一般的だろう。

29歳で係長になった私は、56歳になった今日まで、27年間係長のままである。
通常であれば、2、3年おきに転勤し、それにつれて昇進していくものである。
要領がよくてゴマスリ上手な私が、通常どおりコースに乗っていたら、かなり出世しただろう。
何故出世できなかったか。
病気である。精神的な。



30代半ば、本社(東京)の係長をしていた頃、突然、発病した。
課長として九州へ戻れるという間際であった。
2ヶ月ほど療養したあと、横滑りで九州へ戻してもらった。
少し無理をして、数ヶ月病気を隠し通していれば、
課長として九州に帰れたと思う。

しかし、そのような状態で管理者になっても
部下に申し訳ないし、第一ろくな仕事も出来はしなかっただろう。
自分が病気のとき、そこまで考える余裕は無かったが、
そう考えられるようになったのは、ずっと後のことである。

九州へ帰り、一度は立ち直ったかに見えたし、
自分でももう再発はしないという、かすかな自信も持て、
新たな責任ある職場へも転勤させてもらった。

しかし病は再発した。
この病だけはどうにもならない。
ある日会社に出勤した後、病気のせいですぐ自宅に戻るはめになって、
力なく通勤バスに乗り込んだ時だ、
 ” なぜ自分はこうなんだろう、なぜ自分はこうも情けなく、意気地なしなんだろう ”
そんなふうに自分を責めて、バスの中で顔を伏せ、ボロボロ涙が出てきて
声を上げて泣いてしまった。
口惜しいという気持ちと、苦しいという気持ちで胸が張り裂けそうだった。

1回目の発病と、2回目の発病の間、つまり自分では結構元気になったと思える頃、
人事を担当している大先輩に突然お会いする機会があり、
思いがけなく、その時こう聞かれた、
   『 どうね、まだ管理者(課長)になりたいね 』 と。
技術系の人事担当のトップだったその大先輩の言葉には、
  ” はい ”と答えれば、『何とかしてやれんこともないぞ・・・』 そんな響きがあった。
一度発病した私にとって、この大先輩との有り難い出会いは、最後のチャンスだと思った。

最後のチャンスだとは思ったが、私はその時、”はい、やらせてください” とは言わず、
なぜかしら 「 ウーーーン」と唸ってしまった。
今になって考えてみると、その時私は、心の中で吹っ切れたように思う。
『自分は部下を持つ管理者にはなってはいけないし、なるべきではない!』 と。

人間、誰しも出世はしたいものだ。
”私には出世欲はない” と言う人がいるとすれば、それは聖人君子に近い人だろう。
私の場合、2回の発病を経験し、当然ながら社会的にも出世は望めなくなり、望もうとも思わなくなった。
しかし自分が蒔いた種とは言え、今後どんなに頑張っても出世できないのかと思うと、少しの寂しさはある。
寂しさはあるが仕方がない。
後悔もしていない。
 
後はただひとつ。自分との戦いだ。
 
” 出世できないからと言って、そんな投げやりな仕事をしていて、
   自分に恥ずかしくないのか、お前は! ”

私は常に、そう自分に言い聞かせている。

すねたり、投げやりになったり、自分は病気だからと甘えたり、職務怠慢になってはいけない。
これまで、まがりなりにも自分なりに頑張って来たもう一人の自分に対し、申し訳ないではないかと。
私は負け犬である。
負け犬でもいいではないか。
命が無くなるよりは、はるかにいい。

だってあなたの事を、とても大切に想っている人達がたくさんいるのだから・・・・



以上、再び恥も外聞も無く、つまらない事を書いてしまったが、
これも、自分を含めた精神的に悩んでいる方々へ、ほんの少しの応援歌にでもなればと思うからである。

最近、精神的に疲れている人が、私の周りにも多いように思う。


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