私は奇跡を見た(2004.3.17)
以下は、太宰治の「もの思う葦」の一部である。
【井伏鱒二氏】
井伏さんが「青ヶ島大概記」をお書きになった頃には、私も二つ三つ、つたない作品を発表していて、
或る朝、井伏さんの奥様が、私の下宿に訪ねてこられ、井伏が締切に追われて弱っているとおっしゃったので、
私が様子を見にすぐかけつけたところが、井伏さんは、その前夜も徹夜し、その日も徹夜の覚悟のように見受けられた。
「手伝いましょう。どんどんお書きになってください。僕がそれを片はしから清書いたしますから。」
井伏さんも、少し元気を取り戻したようで、握り飯など召し上りながら、原稿用紙の裏にこまかい字で
くしゃくしゃと書く。私はそれを一字一字、別な原稿用紙に清書する。
『ここは、どう書いたらいいものかな。』
井伏さんはときどき筆をやすめて、ひとりごとのように呟く。
「どんなところですか?」
私は井伏さんに少しでも早く書かせたいので、そんな出しゃばった質問をする。
『うん、噴火の所なんだがね。君は、噴火でどんな場合が一ばんこわいかね。』
「石が降ってくるというじゃありませんか。石の雨に当ったらかなわねえ。」
『そうかね。』
井伏さんは、浮かぬ顔をしてそう答え、即座に何やらくしゃくしゃと書き、私の方によこす。
『島山鳴動して猛火は炎々と石の火穴より噴き出だし火石を天空に吹きあげ、息をだにつく隙間
もなく火石は島中へ降りそそぎ申し候。大石の雨も降りしきるなり。大なる石は虚空より唸りの
風音をたて隕石のごとく速やかに落下し来り直ちに男女を打ちひしぎ候。小なるものは天空
たかく舞いあがり、大虚を二三日とびさまよひ候。』
私はそれを一字一字清書しながら、天才を実感して戦慄した。
私のこれまでの生涯に於いて、日本の作家に天才を実感させられたのは、
あとにも先にも、たったこの一度だけであった。
「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」
私は、阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶している。
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以上の箇所を読みながら、当時感動して本に棒線を引いている。
「私はそれを一字一字清書しながら、天才を実感して戦慄した。」のくだりを、
「私は奇跡を見た。」と間違って脳裏に記憶していた。
何年ぶりかに太宰治の本を読み返して、それに気がついた。
それにしても、太宰治がただ一人、師と慕った井伏鱒二の存在を思うとき。
失礼な話だが、この私にとっての師とはいったい誰だろう?と考えてみた。
私のまわりに師と呼べる人がいない。
何故だろう。
それは、私に奇跡が見えないからなんだ。きっと。
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