猫突不動明王




最勝院秘仏猫突不動明王
光背の迦樓羅炎は後作であろう

御真言 のうまくさまんだばざらだんかん
 


 不動明王は、五大明王の中心の尊とされる。五大明王とは不動明
王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五尊であ
る。この五大明王は大日如来を中心とした五仏が衆生教化のためにお
姿を変えたものである。

 大日如来はそこに本来ある法身であることから自性輪身という。そ
こで、われわれ衆生に親しみやすい菩薩の姿を現すのである。即ち、
般若菩薩となって教化説法するのである。これを正法輪身という。し
かし、我々衆生は、常に煩悩の波にさらされ迷ってしまう。菩薩の教
化に耳を傾けず、煩悩の波に漂う我々衆生に、奴僕の姿となって働き
かけ、救いの縄(羂索)を投げかけ、迷いの波を智慧の利剣によって
切り払い、叱りつけ屈服させても救いの岸へ引き上げるために、大日
如来は忿怒相の明王の姿に身を変じるのである。これを教令輪身とい
う。そしてこの自性輪身、正法輪身、教令輪身を三輪身という。輪は
摧破する義であり、輪身には衆生の煩悩を打ち砕く力がある。すなわ
ち、自性輪身たる大日如来の正法輪身は般若菩薩であり教令輪身は不
動明王ということになる。
 不動明王の姿形は、大日経というお経がもととなっている。身は青
黒色で、肥満した童子の肉体を持ち、頭頂には髪を結った七莎髻を載
せ、左肩に髪を一本に束ねた辨髪を垂らしている。額に水波の皺をつ
くり、左目を細く歪め、下の歯は上唇を咬み、下唇も醜く歪めてい
る。大盤石の上に坐し、燃えさかる大火焔の中に住し、右手に利剣、
左手には羂索を持つ。不動明王は、このように恐ろしくも激しい忿怒
の形相を現している、と大日経は説くのである。

 教令輪身を考えるとき、言うことを聞かない子供を叱りつける親の
姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。つまり、言うことを聞かない子供は
凡夫であり我々衆生である。それを優しくたしなめるのは、母親であ
り、正法輪身である菩薩の姿ではないだろうか。どうしても言うこと
を聞かない場合、父親が出て来て大きな雷を落とすこととなる。子供
をたしなめ、叱りつけるその根底には無理な考えを人に押しつけた
り、人に迷惑をかけたり、人が嫌がることをしてはいけないという、
道徳(社会規範や倫理も含む)がある。その道徳は自性輪身に置き換
えて考えることが出来る。道徳は形の見えるものではないが、人間が
この世で生きてきた永い歴史の中から必然的に生まれてきた大切なも
のである。我々大人はそれを後世を担う子供達に生活の中で伝えてゆ
かねばならない。
 如来が衆生教化の方便として時には優しく、時には恐ろしい忿怒の
形相を示し姿を変えながらも慈悲の心で衆生に接する教えが教令輪身
である。



 当院に伝わる『猫突不動明王』は、もともと高賀山大善院に奉安さ
れていた尊像である。この不動明王は地元の古い書物である『津軽俗
説選』にも出ており、これまでは秘仏として寺の奥深く祀られ、殆ど
人目に触れることは無かった。この『猫突』(ねこつき)という名前
の由来について、当院に古い言い伝えが伝承されてる。






『猫突不動明王』伝説

 その猫は、ばかでかい貪瞋癡(とんじんち)の三毛猫で、悪口両舌(あっく
りょうぜつ)の口を開き、殺生偸盗(せっしょうちゅうとう)の爪を研ぎ、瞋恚
邪見(しんにじゃけん)の目を光らす怪猫である。おまけに、悪賢く人をたぶ
らかし、その姿を見ただけで無明(迷い)の世界へ人々を誘う恐ろしい力を
持っていた。その為、近郷近在の人々はその存在に恐怖していた。一方、
寺でも毎夜常夜灯の大皿の油を舐められ、本堂の火は消え、更に供物等
もたちどころにかすめ取られる。これに一番割を食ったのは寺の小僧さん
である。この所為は定めし小僧に外ならぬと決めつけられ、弁解むなしく叱
り飛ばされた。が、悪事はおさまるどころか、益々拍車が掛かり、被害は増
すばかり。人々は困り果て、何とか退治したいものと様々な策を講じたが、
一向にその手に乗るような怪猫ではなく、むしろその裏をかいて一層人々
を恐怖に陥れるのであった。
 その噂は城内にまで及び、怪猫退治の騒ぎまで起きる始末となったが、
人の力では如何ともし難い。業を煮やした殿様は、ついに常日頃信仰を寄
せていた最勝院にご沙汰を出され、神仏の加護に頼るほか道は無しという
仕儀に相成った。七日間にわたる真言の秘法が始まった。霊験あらたかな
お不動様に一日三座の御護摩が焚かれ、祈願は続けられてゆく・・・。



 ついに満願の日がやって来た。その日も悪猫は、草木も眠る丑三ツ時に
ソロリと足音を忍ばせ本堂へやって来た。そして、まさにご本尊様のお供物
に手をかけようとしたその刹那(せつな)、一喝大音声と共にお不動様の右
手から降魔の利剣が飛び来たって悪猫の胸を一気に貫いた。

ギャー!!!

もの凄い断末魔の悲鳴をあげながら、悪猫は本堂の外へ逃げ去った。
 そして・・・、その日の明け方、和尚様の夢枕にお不動様が立たれて、こ
う申された

「お寺の西方に、成敗した悪猫が居る。手厚く葬るがよい。」と。

目が覚めた和尚様は早速本堂のあたりを探してみた。すると、その悪猫が
胸を真っ赤に染めて、巨大な図体を横たえていた。驚いた和尚様は、さて
はとお不動様の御前に走り戻ると、忿怒の形相もそのままに、右手に持つ
降魔の利剣には血糊がべっとりと付き、左手に持つ羂索(縄)は暴れるも
のを絡めとったかのごとくに乱れていた。人々は、その霊験の顕然なのに
且つは恐れ、且つは驚き、このお不動様を伏し拝んだという。
 その後、和尚様は供養の塚を建て、懇ろに供養をし葬った。これ以後、里
には元の平和が戻ったという事である。




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