ユジラスカ―逢瀬― 5

 
 俺は、ふと思いなおして踵を返した。
「あら、また来たの?」
 あきれているのは確かなのに、嫌味に聞こえないのは彼女の人徳だろうか。それとも歳
のせいか。
 招き入れられる前に遠慮なく中に入り込む。
 リヴィングにはさっきまで俺が飲んでいたカップがまだそのまま残されていた。
「龍が自分であんたのこと話してくれるわけないだろ。大体、今は自分が誰かすらも分か
 っちゃいないんだから」
「それも……そうね」
 本当に分かっているのだろうか。この女の微笑はいまいち曖昧で、いつも俺を苛々させ
る。
「とにかく、だからやっぱりあんたの話聞いとこうと思ってさ」
 差し出したカップに再びお茶を注ぎながら、彼女は怪訝そうに俺を見た。
「サザ、どうしてそんな話聞きたがるの?」
 軽く唇をかんで、ピンク色がかった茶の水面に映る自分を見つめる。ふぅっと息を吹き
かけると簡単に水盤は歪んで、深い香りだけが舞い上がった。
「別に。ふられた者同士、仲良く龍の記憶を共有しましょうなんて空しい上にこの上なく
 寒いこと考えてるわけじゃないぞ! 俺はただあいつに自力で記憶を取り戻させてやり
 たいだけなんだから。あいつがちゃんと守景樒のところにたどり着けるようにさ。だか
 ら――」
 言い募ると同時に、上気した顔のほてりを冷ますようにアイリーンは俺の両頬を白く冷
たい手で包みこんだ。
「私あなたのこと好きよ、アラベル。たとえ女性でも愛しているわよ?」
「……愛情なんてわかんないんじゃなかったの?」
「ああ、そうだったわね……」
 彼女が、それをボロと感じたのか、はたまた今更そのことに気がついたのか。一瞬硬直
した表情はどちらとも取れて、判断する前にまた仮面のような微笑がその顔を覆い隠して
しまった。  
「まあ、お飲みなさい。外は寒かったでしょう。季節は春。そうは言ってもロガトノープ
 ルの春はまだ遠いのだから。ゆっくり体を温めていくといいわ」
 ちょっと熱めのお茶にてこずりながら、ゆっくりとのどを通す。
 ふと見ると、窓の外ではユジラスカの薄紅色の花弁が風に吹かれて数枚、舞い落ちてい
った。
「この花、百年ぶりに咲くと一年中狂ったみたいに咲いてんだよな?」
「ええ、そうね」
 すでに千や万の単位も分からなくなるほど永い間この木を見守ってきた彼女でも、百年
の眠りから覚めて花開いていくユジラスカへの感動は新鮮らしい。窓の外を眺めるその顔
は少女のように初々しいものがあった。
「じゃあ、星も見れるな。もしかしたら樒よりもあんたのこと先に思い出したりしてな」
「まあ。それはとても嬉しいわね」
 ほんのり彼女の頬が上気する。
 そっと唇を寄せたカップからは甘い蠱惑的な香り。それでいて、どこかほろ苦い、さっ
きとは少し異なるちょっとあくの強い香りだった。
「さっきのお茶はユジラスカの葉を乾燥させただけだったんだけど、これは花びらも一緒
 に煎じて作ったのよ」
 口に含むと、さっきとはまた一味も二味も違った甘い香りが広がった。甘さはしっとり
と舌に絡みつき、飲み終えた後は弱冠のほろ苦さと共に舌の奥でいつまでもこくが残る。
「アイリーン、まさか出し惜しみした?」
「またすぐに戻ってくると思ったのよ」
「それを出し惜しみっていうんだよ。戻ってこなかったら、俺こんなにおいしいお茶呑み
 そびれてたわけだろう?」
「あら、戻ってこずにそのまま行ってしまったなら、それはあなたの頭の回転が悪いせい
 でしょう?」
「うっわ。口悪~。じゃ、とことんのみ尽くしてやる。はい、おかわり」
 差し出したカップに、アイリーンは形ばかり嫌な顔をしておかわりを注いだ。
「のみつくされるのは困るわ。花を入れたものは本当に百年に一度しか飲めない貴重なも
 のなのよ。龍様もよくこの花入りの方を好んで飲みにいらっしゃったわ。だから、せめ
 てあの方がいらっしゃるまでは残しておかないと」
「こんなに咲いてんだから大丈夫だって」
 甘い香り。それに油断しているとほろ苦さがおそって、最後には舌の奥に甘苦い残滓を
引きずって消えていく。
 こんな癖になるものを、あいつは誰にも渡さず百年に一度味わっていたわけだ。
「私が龍様に初めて逢ったのも、この木の下だったわ――」
 そして、幸せそうに龍の愛人は語りはじめた。
 ユジラスカがぎこちなく結び付けてしまった二人の物語を――

〈了〉
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