聖封神儀伝
0.記憶の扉








目の前には扉があった。


真っ白くて、ドアノブだけが銀色に鈍く光っている。


重そうな扉。


きっと、押し開けるにはとても大きな力が要るのだろう。


わたしはぼんやりその扉を見上げていた。


あれは、いつか開けなきゃならない扉。


分かっているけど、でも、その先に待つものが怖くて、

わたしの足はすくんでいた。


震えていた。


どうしてこんなにも恐れてしまうのだろう。


わたしはあの向こうを知らないはずなのに。


ううん。


あの向こうには、知らない真実が待っているから、だから。


知らない真実――?


ああ、まるで記憶喪失にでもなったよう。


わたしの記憶は滞りなくこの中で紡がれつづけているというのに。


けれど、誰がそれを保証してくれるというのだろう。


わたししか知りえない記憶の連鎖。




触れたドアノブははっとするほど冷たかった。


まるでわたしがこの先へ進むのを拒むように。


触れてはならない秘密を守り続けるかのように。



わたしは扉を背に座り込んでいた。


開ける勇気がない。


開けなきゃならない理由がない。


だって怖い。


この扉の向こうへ踏み出しても、わたしはわたしのままでいられるだろうか?


そんな保証はどこにもない。


そう。


開けた向こうが崖ってことだってあるんだから。




うずくまるわたし。


心は前にも後ろにも進めなくて、どんどん胸が苦しくなってくる。



ふと、背中で鋼鉄の冷たい扉が震えた。


扉の向こう側が、わずかだけど震えた。


「誰?」


わたしは呟くように誰何した。


返事はない。


けれど、震えは大きくなる。


微かに漏れ聞こえてくるのは、同じ年頃の少女の嗚咽。


必死に声を押し殺しても、留めきれない悲しみの奔流。


気がつけば、冷たいとばかり思っていた背中はほんのり温まっていて、


随分と長いことわたしたちが


お互い背中合わせのまま途方に暮れていたのだと教えていた。




この扉は一方通行。


こちら側からしか開けられない。


開けてしまえば二度とこっちの世界に戻ってくることはできないけれど、


わたしは冷たいドアノブを掌で包み込んだ。


この向こうに彼女はいる。


この向こうに、もう一人のわたしが待っている。


きっと、泣きやませられるのはわたしだけ。



だから。


わたしはそっとその重い扉を押し開けた。










聖封伝  管理人室  序章→