宝物

 騙されてもいいと思って手に入れたものが、一生ものの宝物になる。
 それは、人も物も同じかもしれない。
 深海のように深く澄んだ青に吸い寄せられるように一目惚れして、大枚はたいて買ったアウイナイトのネックレス。
 一目惚れしたあの人。
 完璧じゃない。なんでって思うこともある。どうして全部理解してくれないのって、子供のようにごねたくなる時もある。
 それでも、この人になら騙されてもいいと思った。
 騙されたいと、思った。
 この人が、私のものになってくれるなら。
 でも、そんなものみたいにうまい話はなくて。
 その人はその人の人生をただひたすら真っ直ぐ一人で歩いている。私が割り込む隙などないし、道を誤らせる勇気もない。どこまで行ったってあの人の道とこの道は平行線。
 そう気が付いて、ようやくのことでこの気持ちを捨て去ろうとして。それでも時計のように行動するあの人が、今どこにいるのか大体想像がついてしまって、偶然を装って会いに行ってみようかと仕事の間中、そんなことばかり考えて。
 だって、これが今年の最後だもの。一目会いたい。一目会って、「今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします」って、言いたい。
 伝えたい、んじゃないんだ。
 会う口実が欲しいだけ。伝えたいことは、きっと本当はそんなことじゃない。
 だけど、もう向かっていく気力も何もなくて、ただ差しさわりのない挨拶だけを交わして、元気なことを確かめて、それですれ違うだけでいい。それだけでいい、そう思っていたのに、執着から解放し、新しい場所への再出発を司るアウイナイトは、それすらも許さない。
 電話の留守電に気が付いたのはお昼休みのこと。
 今年最後の仕事の日。あの人は近くの神社にお参りに行くだろう。私がお参りに行くこともあるのだから、境内で会ったって何ら不思議なことはない。そう妄想を膨らませた後のことだった。
『アウイナイトの鑑別書ができました。』
 私の中ですっと妄想が消え去った。
 別にお昼休みに行かなくたって、帰りに行くことだってできるのだ。
 あの人に会えるのは、この昼休みしかない。
 合理的に考えるなら、アウイナイトをお迎えに行くのは帰りだ。午後の間中職場のロッカーに入れっぱなしというのもうまくない。
 だというのに、結局私は神社の前を通り過ぎ、市内の老舗デパートへとアウイナイトを迎えに行った。出来上がった鑑別書のシンプルさにこんなものかと思い、丁寧に作り直されたデパートの品質証明書に頷き、東京の研究所から帰ってきたアウイナイトと対面する。
 思わず目尻が下がる。
 口元に笑みが浮かぶ。
 なんと満たされた気分になることよ。
 宝石を所有することの意味は、着飾るためだけではない。所有欲を満たすことでもある。
 この美しい爪の先ほどしかない物言わぬちっぽけな鉱物の結晶を愛するということは、きっとそういうことだ。一目で恋に落ちたから、自分には無理だと思った金額でも清水の舞台から飛び降りる気持ちではたくことができたのだ。
 このアウイナイトを買った直後、デパートを出て信号待ちをしながら、今後どうやって切り詰めよう、節約しようと考えていたら、どこからともなく声が聞こえたのだった。
「結婚するわけでもないんだから、これくらいいいじゃない。結婚式や披露宴なんて何百万よ。せっかく貯めてたって、どうせ使う当てなんかないでしょ」
 なんときついツッコミ。
 厳しい未来予想。
 でも、彼女はそれを朗々とあっけらかんと言ってのけたのだ。
 アウイナイトだ、と思った。
 この声の主はアウイナイトだ、と。
 帰ってから、今更ながらアウイナイトの石言葉や意味をネットで目にした。
 執着からの解放。再出発。
 なんだかもう、唖然とした。
 手放したい、手放したいと思いつつ、なんだかんだで手放しきれないものから早く解放されたいとずっと願ってきて、その気持ちすらも腹の底に押し込めて暮らすようになっていたというのに、まるで暴き出すように彼女は私の隠そうとしていた気持ちを思い出させたのだ。
 そうかそうか。
 君は私に力を貸してくれるかい?
 なんなら、手放し切れた後、もっと素敵な出会いを用意してくれるかい?
 うっすらと泣きながら、紺碧の透明な輝きに見惚れる。
 その後、年内に戻ってくることを祈って鑑別書作成のために再びお店にアウイナイトを預けて十日ほど。
 見込み通り、仕事納めの日に彼女は戻ってきたのだ。
 しかも、再び妄執に囚われていた私の目を覚まさせようとするように、抜群のタイミングで。
 笑ってしまう。
 彼女は本気だ。
 本気で、私のもとに来てくれたのだ。
 そして、私がそれを強く望んでいた。
 だから私たちは引き合った。
 そうだよね?
 帰り道、午後の仕事開始五分前。
 神社の境内にあの人の姿はなかった。
 心の中で今年のお礼と今日のお礼とを呟きながら、軽く頭を下げて神社の前を通り過ぎる。手にはアウイナイトの入った大切な箱と鑑別書と品質証明書。
 私は来年こそ、この思いを断ち切れるだろうか。執着を手放すことができるだろうか。そして、新たな出会いに向き合うことはできるだろうか。
 ねぇ、アウイナイト。
 しっかり監視していてね。
 私がまた、引き戻されてしまわないように。
 過去は過去。
 それでもまだ心の中でまわりまわってまたあの人と出会えたらいいなどと思っているけれど、うまくいかないのは分かっている。私が自分を大事にできないから、私を大切にしてくれる人を選べないのだ。だからいつまでも、絶対に私を見ないあの人のことばかり追いかけている。
 小さいながらも透明な輝きに溢れるダイヤモンドに囲まれライトアップされた、光差し込む海の青を切り取ったかのような深い紺碧に魅入りながら、これもまるで恋のようだと思った。
 私を夢中にさせてくれるなら、それも悪くない。
 高みに手を伸ばし、少しの痛みと共に手に入れた、これは私の宝物。

〈了〉
(202012292112)