ゆびさき
指先が触れあって、うわぁと悲鳴を呑みこんで引っ込める。
「ごめんなさい」
しょうゆ差しを受け渡すだけの簡単なミッション。
わたしは小さく謝って俯く。
彼の反応は、正直ちゃんと見えちゃいない。
くすりゆびの、さき。
そこだけが、明かりが灯ったようにぼうっとする。
何もない、何もない。
何もなかった。
お刺身用の醤油皿にしょうゆを継ぎ足して、次の人に渡す。
ほら、指先は触れない。
ちゃんと上手に渡せるでしょう?
どうして触れあっちゃったかな。
ほんの少し。
指先の丸いところと丸いところが、ほんの少し、触れあっただけ。
それなのに、どうしてこんなに嬉しいのかな。
気恥しいのに、どうしてこんなに幸せなんだろう。
お刺身の味は覚えていない。しょうゆの味も覚えていない。
何の話をしたかって?
それはちゃんと覚えている。
他愛のない仕事の話や、老後の話。そして、いつの間にか引き出されている子供時代のあまりおいしくもない話。
うっかり口に上らせてしまって、あっと思った時にはちょっと喋りすぎていて、慌てて口を噤む。
これ以上は、だめ。これ以上は。
好きだと言えたらどんなにかいいだろう。
理由も分からず、ただなぜかもう大好きでたまらないのだと、そう言えたら、どんなにか幸せだろう。
飲み会の帰り道、わたしはそっと薬指の先に口づけた。
あの人の指先を口に含むように、そっと。
〈了〉
(20180227)