残夏、逝く

「そこでそうやっていたって、ストラディバリウスの調べは聞こえてこないだろう?」
 幻の名器だから人は夢を見る。
 自分が奏でたらどんな音がするのか。
 あんな音かな。こんな音かな。ううん、きっとこんな調べ。うっとりとするような夢心地にさせてくれる音色をしているの。
「なに言ってるの。わたしのヴァイオリンはストラディバリウスなんかじゃないよ」
 わたしは残された基礎の上から立ち上がった。
 灰色の基礎は半分ほどが崩れ落ちて草の中に埋まっている。
 二年と半年。
 津波が全てのものをかっさらい、赤い炎が大地を嘗め尽くしていったのに、ここにはまた新しい芽が吹きだしている。摘んでも摘んでも、名も知らぬ草が毎年毎年繁茂する。
 土の中なら生き延びられたんだろうか。
 こんな細い、片手で引き抜けてしまえるようなひ弱い雑草の種だって生き延びられたのだ。きっと、この下に防空壕のようなものでも掘ってあれば、今頃わたしはここに来ることもなくなっていたんじゃないだろうか。
 無造作に摘み取った草を捨てる。
 辺りを見回す。
 青い空。白い雲。間近に見える穏やかな黒味を帯びた青い海の眩い波の煌めき。
 その海に至るまでの陸地には、相変わらず何もない。
 いや、草だけならたくさん生えている。海までの道のりを若草色で埋め尽くしている。そして、うちと同じように崩れた灰色基礎が、罠のように草の中からところどころ顔を出している。アスファルトで覆われた割と太めの道であれば残っているが、細い路地だったところなど今はすっかり荒野の一部だ。
 2011年3月11日。
 ここは原油のように黒光りする魔の口の中に呑みこまれた。
 海岸からここまでは緩く勾配がかかっているはずだが、そんなものはものともせず、海はこの町を呑みこんだ。
 その瞬間のことを、わたしは知らない。
 知ったのはテレビを通してだった。
 初めて見たのは大学の友人加奈子のワンセグで。それからアパートの小さなテレビで。すっかり胸を潰されたわたしは、公共のロビーに置かれたテレビさえ視界に入れないように注意するようになった。
その後、震災の象徴として何度も流されることになる映像は、見かける度に胸の中でおぞましさを掻き立て、わたしを後悔の淵に追いやる。
漁港で働いていた父と祖母は意外なくらい早く漁港の近くで見つかった。熱を出して家で寝ていたはずの小学生の弟は家ごと流されたのだろう、思わぬところで瓦礫に埋もれて見つかった。しかし七月の月命日を過ぎても弟と一緒にいたはずの母は見つからず、新盆が過ぎる前にと形ばかりの葬儀を執り行った。その母の葬儀を終えて抜け殻のように座り込んだ叔父の家で、たまたま隣室でついていたテレビが例のシーンを流していた。
 叔父さんは慌ててテレビを消したが、わたしは手の指先、足の爪先がすっと冷え、全身を震えが襲い、がちがちと奥歯を噛み鳴らしていた。
あの中に父は、母は、弟は、祖母は、呑みこまれたのだ。母はまだあの中にいるかもしれないのだ。
そう思った瞬間、頭の中が真っ白になって、あの日からずっと頭の中で渦巻いている言葉がよみがえった。
“どうしてわたしはあそこにいなかったのだろう。”
 言っても詮無いことだ。どんなに後悔したって、取り戻せないことだ。
『あゆちゃんだけでも助かってよかった』
 慰めるようにみんなは言ってくれたけど、わたしはそれが悔しいのだ。津波に巻き込まれて一緒に死ねばよかったなんて、口が裂けても言えないし、思ってもいない。ただ、みんなが冷たい水の中で苦しい思いをしているときに、一緒に押し流された家の瓦礫で傷を負って塩水がしみて痛い思いをしているときに、わたしは、内陸の町でのうのうと生きていた。停電で暖房が使えなくなって寒い思いはしたけれど、わたしは窒息することもなければ怪我を負うこともなかった。
 家には何度も何度も電話をかけた。父の携帯にも母の携帯にも、弟の携帯にも、電話をかけた。祖父母の家にもかけた。状況が知りたいと、海にせり出す小高い山の上に家を構える叔父の家にもかけようとしたところで、携帯の充電が切れた。充電器なんて便利グッズ、持とうと思ったこともなかったから、当然、それ以上はどうにも連絡を取る方法がなくなってしまった。一度だけ加奈子に頼み込んでかろうじて覚えていた実家の電話番号に電話をしてみたけれど、やはりつながらなかった。
 パニックに陥ったわたしは音楽室にいた加奈子の車のキーを奪い取り、エンジンをかけて駐車場から出ようとしたけれど、停電で信号すらも止まっていて、交差点は危うい運転で何とか隙をついて渡る車が渋滞の列をなしていた。とても、ペーパードライバーのわたしでは目の前の交差点すら渡れそうになかった。途端に覚めたわたしは車にしがみついて止めようとしていた加奈子に鍵を返して、今度は歩いて駅に向かった。三月とはいえ春分前。日が暮れるのは驚くほど早い。つるつると滑る日陰の坂道を焦る気持ちと戦いながらそろそろと下りおり、ようやくの思いで駅に着いたものの、駅もまた帰れなくなった人たちで溢れかえっていた。電車もバスも新幹線も、みんながみんなパニックで、とても動かすどころではなかった。それでも根気強く駅に居つづけたものの再開の目途は立たず、駅で雑魚寝をするよりは、と街灯すら灯らない真っ暗な道を何度か転びながら歩いて帰った。
 アパートの玄関を開けた物音を聞きつけた加奈子が心配して来てくれた時のことは、今でも思い出す度に涙が出てくる。仏壇もなければ非常時の備えなどおろそかにしていたわたしたち学生にとっては、アロマの蝋燭とライターが暗闇に灯る唯一の明かりだった。度重なる大きな余震に加奈子と二人身を寄せ合い、柱や梁のきしみを聞きながら、いつ崩れるかと今度は別な不安と戦いながら長い長い一夜を明かした。加奈子の携帯で知る沿岸部の被害状況は、とても現実離れしていて、本当のこととは思えなかった。ワンセグで映し出される映像はあまりに小さく、何がなんだかよく分からなかった。
 帰らなければという焦りは募るものの、今度は自分の食糧を確保するので精いっぱいになった。スーパーはどこも閉まったまま、コンビニすら開いていない。ガスは使えたから、湧かしたお湯でカップ麺を食べて食いつなぎ、少しずつ買いだめしていたお菓子をかじった。二日目の夜、電気が回復した時は少しだけほっとしたのを覚えている。一番にしたのは携帯を充電すること。でも、電話には誰も出なかった。つけたテレビに、定点カメラがとらえた原油のような黒い海が堤防を越えて街になだれ込む映像が映し出されていた。
 え? と思った。
 現実は想像をはるかに超えていた。
 何これ、と。
 沿岸部の出身だ。津波の恐ろしさは口酸っぱく言われてきていた。でも、それはどこか昔話を聞くようで、とっても怖いんだって、と他人事のようにわたしの中では風化していた。見たことがなかったのだ。ちゃんとこの目で、メディア媒体からでもいい、あのクラスの津波を見たことがあれば、自分のことで震えていたこの二日間、もっと家族のことを思いやれていただろう。
 だめかもしれない。
 それまで考えないようにしていた言葉が腹の底から湧き上がってくる。考えないようにしてた? 違う。押し込めてきたのだ。ぐっとはらわたの奥深くに押し込んで上がってこないように落し蓋をしていたのだ。
 途端に、わたしはまたパニックに陥った。加奈子に泣きついて車を出してもらおうとしたが、ガソリンが足りず、到底たどり着けないといわれた。行けて北上山地の山の上だと。それでもいいと叫んだけれど、苦しそうな加奈子の顔を見て、ようやく絞り出すようにごめん、と謝った。加奈子は日本海側の隣県から来ていた。本当は、電話がつながるなり今すぐ帰って来いと実家から言われていたのだそうだ。そのために残していたガソリンだった。
 駅からは臨時のバスが出始めていた。雪がちらつく中、わたしはぼんやりとバスに乗った。これからどれほどの苦難が押し寄せてくるのか、想像ができなかった。災害伝言板で高台に住んでいた親戚の叔父が無事なことを知り、そこを頼りに帰るしかなかった。
 それから三時間かけてようやくたどり着いた故郷のバス停に降り立ったわたしは、目の前に広がる光景に絶望する。

 二年と半年前、わたしは大学四年生だった。三月十二日には、音楽科の卒業演奏会が控えていた。被災した時、わたしは大学の音楽室で本番に向けてヴァイオリンソナタの練習をしていた。ピアノ役を買って出てくれた加奈子は県内の小学校で教鞭をとることが決まっていた。わたしは恥ずかしながらこのヴァイオリンとともに大学院に進学することになっていた。しかし、わたしの進路はあっけなく途切れた。学費の心配もあったが、わたし自身がヴァイオリンを奏でるどころではなくなっていた。ヴァイオリンのことすら忘れて、毎日を張りつめた気持ちで叔父の家で過ごした。誰かが見つかったという知らせが聞こえてくる度に耳をそばだて、肩をそびやかし、全身を凝固させながら告げられる名を待つ。そうやって三人と対面した。でも、母はついぞ見つからなかった。
 母と最後に話したのは三月十日。夜、弟の啓太が熱を出したから、こっちに来るのは明後日にするという電話だった。本当は卒演の前日に家族全員で来る予定だったのだ。狭いけどあのアパートのワンルームにみんなで寝泊まりする予定だったのだ。
 啓太さえ熱を出さなきゃ。
 ――噛みしめた奥歯と拳をゆるゆると解放する。
『というわけでごめんね。本番、明後日の三時から駅のところでだもんね? 大丈夫。それには間に合うように行くから。啓太が熱下がらなければおばあちゃんが看ててくれるって。お父さんとお母さんだけでも当日は行くからね。気合い入れてちゃんと練習するのよ』
 母は、大学を出て父を結婚した後細々と近所の子供たちにピアノを教えていた。本当はわたしにプロになってほしいと思っていたようだけれど、なかなかそれは、難しい。期待と失望と、微妙に入り混じった母からの感情が四年間、重くないわけではなかった。だから選んだ大学院への進学の道だった。まだ諦めていないのだと、何とか道を切り開こうとあがいた末の選択だった。それは、自分の夢というより母の夢だったように思う。大学進学を切り出したとき、『学費……』と相談しようとした瞬間、間髪を入れず母は笑い飛ばした。『大丈夫。あんたのしたいようにしなさい』と。それはもう、自分のことのように喜んでくれた。
『分かってるって。今日も明日も音楽漬け。がんばってるって』
『今日と明日だけじゃ足りないでしょうに。そうそう、あれ、届いた?』
 呆れたように行った母は、わくわくと目を輝かせているのが見えるような声でそう尋ねた。
『え、あれ? ああ、あれ? あれね。あれなんだけどさー……』
 その続きを続けようとして、脳内再生は一時停止になる。
 噛みしめた唇がひしゃげていた。白くなるほど拳を握っていた。目頭が熱くなっていた。
 何であんなことを言ってしまったんだろう。
『襟のレースがフランシスコ=ザビエルみたいなんだけど』
 母が卒演用のドレスに、と手作りしてくれたのは緑のサテンのドレスだった。カッコよく胸元が開き、体のラインが際立つ市販されているドレスに比べて、母の作ったドレスは安光する緑のサテン生地で、胸元は開くどころか首元まできついくらいに隠れる丸襟で、肩口まで大量のレースフリルが取り付けられ、袖は小学生が好むお姫様ドレスのように膨らんでいた。
野暮ったいにもほどがある。こんなの着て出られるか。
 届いた段ボール箱を開けた瞬間の感想がそれだった。何度か母が自信ありげに電話で語っていただけに、希望が膨らんでいたのだが、その分、届いた時の失望や半端なかった。
 加奈子や他のみんなのドレスはもっとシュッとしていてスタイリッシュなのに、こんな格好で出ていったらいい笑い者だわ。
 苛立ちと怒りで頭が沸騰していたわたしは、母からドレスが届いたその日のうちに聖歌隊で稼いだバイト代を持って、自分好みの胸元が程よく開いたノースリーブのシャンパンゴールドのドレスを買った。
 そんなこと、母には言えない。言えないけど、明後日来るならやっぱりばれてしまうよね。傷つくかな。わたしが違うドレスを着てステージに上がったら。傷つくよね。がっかりするよね。でも、まさかあのドレスを着てみんなの前には……高木先輩の前には出られない。
 電話口の向こう、母は一瞬沈黙してあっはっはとあっけらかんと笑った。
 やっぱりね、とどこか哀愁が漂っていたのを、今なら読み取ることができるのに。
『嫌なら着なくていいよ。あんたの着たいもんを着なさい。でもあんまり胸が開くのはダメよ。はしたないから』
 笑いながら言ってくれて、わたしは罪悪感とともに心底ほっとしたのだ。
 ああ、よかった、と。
 これで母を当日がっかりさせなくて済むな、と。
 それでいて、本当は母がわたしが折れてあのドレスを着てくれることを願っていることも分かっていた。分かっていたけど、わたしには着れなかった。あんなダサいの、無理。
『うん、わかった』
 これが、母との最後の会話になった。
 正真正銘、最後だ。
 メールもしてないし、やっぱりさっきはごめんと電話をかけなおしたりもしなかった。わたしの心は母の作った緑のドレスではなく、自分で買った既製品のシャンパンゴールドのドレスを着ることに決まっていた。後悔するかもしれないと思いつつも、そうしようと決めていた。成人式の時だって母の選んだ微妙な色の微妙な着物をいやいや着てやったんだから、と。
 何であんなこと言っちゃったんだろう。
 フランシスコ=ザビエルだなんて。うん、わかった、だなんて。
 なんで、どうして、やっぱりごめんって……せめて朝にもう一度電話しなかったんだろう。
 ぐしゃぐしゃに顔が歪む。
 だらだらと頬を涙が流れ落ちていく。鼻水が上唇を伝ってきてしょっぱい。
「泣けるようになったんだな」
 ぐいと手の甲で顔を拭ったわたしは、わたしのヴァイオリンケースを持った従兄を見上げた。
 叔父の家で世話になっているとき、ずっと側にいてくれたのがこの従兄だった。相次いで見つかった父と祖母の報せを聞いた時、わたしの心には、予想はしていたものの、大きな穴が開いた。ぽっかりと、暗いんだか灰色いんだかよくわからない大きな穴だった。初めてもたらされた肉親二人の死の報せは、緊張で張りつめていたわたしの心を折るには十分すぎるほどで、涙さえも出てこなかった。きっと大声で泣き叫ぶんだろう、そうした方が立ち直りも早いはずだ。そう覚悟していたはずなのに、わたしは自分の感情に対して何もできなかった。木偶の坊のように『そうですか』と言ったきり、嗚咽すらも上がらなかった。代わりのように傍らで号泣する従兄は、白々しくもあり、羨ましくもあった。従兄はそうやってわたしの感情の代わりをしながら父と祖母、それから弟との対面にも付き添ってくれた。どんな時でもわたしは泣かなかった。泣けなかった。感情なんて忘れてしまいたいと思っていた。何も感じない。何も見えない、聞こえない。何も、知らない……。
 新盆が終わった晩夏のある日、ヴァイオリンが聞こえてきた。
 へたくそなヴァイオリンだった。糸鋸を引いているかのようなまるで芸術のかけらもない騒音だった。何を弾こうとしているのかと思えば、ドーレーミー、ドーレーミー、とチューリップをやろうとしているのだった。『下っ手くそだなぁ、お前は』笑う叔父の声が階下から聞こえてきた。弾いていたのは従兄だった。わたしは階段を駆け下り、従兄の手からヴァイオリンを奪い取った。
『勝手に弾かないで! もう二度とこれに触らないで! ケースから出さないで! 開けないで!』
 奪い取ったヴァイオリンをケースに乱暴に放り込み、鍵をかける。
『もうやらないのか? そのストラディバリウス、伯母さんの形見だろ?』
 口にした直後に従兄は口元を抑えたが、それがよりわたしの怒りを煽った。
『形見じゃない! お母さんは生きてる! 絶対に生きてるんだから!』
 ヴァイオリンを抱きしめて踵を返すと、仏壇に飾られた母の写真と目があった。
 息が詰まった。
 ごめんなさい。
 また後悔が過った。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 あんなこと言ってごめんなさい。着るから。お母さんの作ってくれたあの緑のドレス着るから。だから見にきて。お願い。もう一度チャンスを――!!!
 チャンスを、望んでいる自分に愕然とした。
 まだ希望や夢や未来に心を懸けられることができた自分に、驚いた。と同時に、すべてを奪われていなかった自分に再び失望した。
『じゃあ練習しなよ』
 開き直ったのか、それとも初めからそういうつもりだったのか、従兄は屈託なくそう言った。
 親の仇を見るような目でわたしは従兄を振り返った。
 従兄は怯まなかった。
 それまでずっとわたしのご機嫌伺いに徹してきた叔父一家が、いつの間にか叔母さんもおばあちゃんも集まってきていてじっとわたしのことを見つめていた。
 固唾をのんで見守るその目に、わたしは自分の卑屈な思いを投影してしまっていた。
『いつまでいるのかって思ってるんでしょう? わかってるわよ! 今すぐ出て行ってやるわ、こんな家。半年間もお世話になりましたっ!』
 啖呵を切ったのにわたしの足は震えていて、ふいに自分で突きつけてしまった自分の現在に足元が揺らぐような気がした。
 わたしは働いていなかった。大学院にも行っていなかった。ああ、そういえば向こうのアパートはちゃんと引き払ったんだっけ? 残してきた荷物はどうしたんだっけ。取りに戻ったんだっけ? 卒業式は? 大学院の入学式は? あ、学費。ていうかわたし、大学院にも入学していないことになってるんじゃない? だってほら、先生たちからも連絡ないし、一緒に大学院に行く予定だった阿部ちゃんからもメール来てないし。
 あれ、わたし、今どうなってるの?
 宙ぶらりんな状態の自分の今に気づいて、わたしは茫然とした。
 突如、油蝉の鳴き声が耳に入ってくる。
 耳鳴りのような暑苦しい鳴き声。
 喘ぐように息をすると、胸にむせかえるような潮の匂いのする重たく湿った風が入ってきた。
 黄色いひまわりが咲いていた。鮮やかな名も知らぬ紅色の花が大きな花弁を風に揺らしていた。グラジオラスが朱色がかったオレンジの花を咲かせていた。鬼百合がオレンジ色の花弁を捲し上げて鼻を突きだすように雄蕊と雌蕊を晒し、彼岸水仙が薄紫色の花を楚々と茎の上に掲げあげ、真っ赤な彼岸花が線香花火のように儚く細い花弁を散らしていた。
 青い空は明るくなったり暗くなったりしながら白や灰色の雲を送り、真白い太陽がきらりと丸く青空をくりぬいていた。
 ざざん、ざざん、とがけ下に叩きつける潮騒の音が、油蝉の声を押しのけて強烈に耳に飛び込んでくる。
 ざざん、ざざん。
 ひぃっと悲鳴を上げてわたしは座りこんだ。
 ここは海のすぐ近くだった。
 ざざん、ざざん。
 これほど大きな音が、どうして今まで聞こえてこなかったのだろう。
 逃げなければ。逃げなきゃ。もっと高いところへ。もっと安全な所へ。内陸へ――。
 ああ、とわたしはため息をついた。
 ああ、と。
『大学に戻らないか?』
 叔父がそう声をかけてきたのは、どれくらい時が過ぎてからだったんだろう。
『大学院なら休学届を出してある。戻りたければいつでも戻れる。やり直せる』
 やり直す? やり直せる? 何を? どうやって?
『学費……』
『学費なら姉さんが残してった通帳がある。生活もいろんな制度や、その……保険も下りるから、卒業までは困らないはずだ』
『でも……』
 出て行けとも何も言わずにただ当たり前のように家においてくれた叔父たちの存在が、ただ生活の面倒を見てくれていただけじゃなく、心のよりどころにもなっていたことに、わたしはその時ようやく気がついた。向こうのアパートに戻っても、もう加奈子は隣にいない。別の新入生が部屋を借りているはずだ。知っているのは先生と後輩たちと、院の先輩や同級生だけ。親類は誰一人あちらにいない。
 一人は嫌。一人にはなりたくない。一人は恐い。一人は……
『おれが行くから』
 従兄がぽんっと遠慮がちにわたしの肩をたたいた。
 驚いて振り返る。
『しばらくはこっちで仕事できなそうだから、出稼ぎ』
 苦笑した従兄が、そういえばずっと家にいたことに今頃気づいたわたしは、従兄が働いていた海岸近くの商業施設が全壊したことをその後で聞いた。連絡が来ていないと思っていた携帯は、大量の未読メールと留守電で埋まっていた。
 そしてその翌々日、加奈子が夏休みを使って訪ねてきてくれた。
 ようやく連絡が取れたと、加奈子は飛んでくるなりわたしを抱きしめてくれた。
 夏休みの間にわたしは従兄と大学のある内陸の町に戻り、自分の生活を立て直しはじめた。
 そして二年と半年経って、ようやくわたしはヴァイオリンを手にまたこの町に戻ってきた。二年も経つのに町は全然元には戻っていない。もちろん、ヴァイオリンなしでは何度か叔父の家に帰省しているから、遅々として進まない復興の様子は知っていたんだけど、ほんと、なかなか元通りにはならない。否。きっと二度と元通りにはならないんだろう。少なくとも、ここにわたしの家族がただいまと言って帰ってくることはない。
「見ないでよ、顔。ぐちゃぐちゃなんだから」
「泣き虫あゆの泣き顔なんて、小さい時から飽きるくらい見てるよ」
「もう、ほっといて」
 従兄の手からヴァイオリンケースをひったくる。
「なぁ、前から聞きたかったことあるんだけど、そのヴァイオリン、本当にストラディバリウスじゃないのか?」
 くつくつと笑っていた従兄がふと真顔になって聞いた。
「そんなわけないでしょ。このヴァイオリンは、お母さんが学生の時にお母さんのお父さんが貯金はたいて買ってきたものだって、叔父さんだってそこにいたはずでしょ。聞いてないの?」
「聞いたから聞いてるんだよ。親父が言うには、じいちゃん、これはストラディバリウスだけどちょっと傷んでるから安く譲ってもらったんだ〜って得意げに言って持ってきたって」
「そんなのおじいちゃんのほらでしょ。だいぶ酔ってたっていうし。本物だったら今頃大騒ぎよ」
 このヴァイオリンを買ってきたという母方の祖父は、震災前にとうに亡くなっている。
 ないない、と手を振りながらわたしはケースから出したヴァイオリンを緑色のちょうちん袖が付いた肩にのせ、弓をつまんだ。
 母が一番好きだった曲を奏でる。それは、卒演のソロで演奏する予定の曲でもあった。
 バッハのシャコンヌ。
 プロになるには拙い技巧だけれど、ねぇ、聴いてる? 最後に聴かせた時より、少しは上手くなったでしょ? 上手くなってなきゃ二年もさらに勉強した甲斐がないもんね?
 でもごめんね。やっぱりプロにはなれなかった。今年の四月から山間の学校で音楽を教えてるの。とっても音感のいい子たちだよ。いろいろあるけど、お母さんがくれたヴァイオリンが支えてくれた。それから見て。お母さんが作ってくれた緑のドレス、馬鹿にしてごめんね。まあ、確かにちょっとダサいし子供っぽいし、襟のフリルとかあれだけど、でも、着てみたらびっくりするほどぴったりだったよ。ちょっと大きいお尻も隠れるしね。それに何より、この布地肌触りがいいの。襟元はちょっときついけど。縫い目もすごくきれいだね。ちゃんと洋裁も教わっとけばよかったって思っちゃった。緑もね、絶対似合わないって思ってたんだけど着てみたら意外に似合ったんだ。あの時、いやいやでもとりあえず着てみれば良さが分かったのかなぁ。電話できていたかなぁ。
 一曲を終えた時、わたしは汗だくになっていた。
 涙も鼻水も汗も、ぐちゃぐちゃになって緑のドレスにしみ込んでいた。
「これから町の体育館のステージで演奏会するの。よかったらみんなで聴きに来て、ね?」
 基礎に囲まれた緑の草が、答えるように風に揺らされて頷いたように見えた。
こみあげてきた想いを呑みこんでヴァイオリンをケースにしまい、家の敷地だったところと思しきところから一歩踏み出す。聴衆役を買ってくれていた従兄も追いかけてきて、わたしは家の跡地を振り返る。
 玄関には母憧れのバラのアーチ。それをくぐると赤い実をつけたアオキや椿、季節の終わった山吹や紫式部なんかが出迎えてくれて、庭の傍らに作られた家庭菜園ではキュウリやミニトマトがたわわに実っている。父と母のこだわりの家は震災の七年前に建てたばかりで、外壁の赤いタイル模様と二階のクリーム色のツートンがおしゃれなあったかい家だった。
「行ってきます」
 帰省から大学に帰る時にはいつも家族総出であのバラのアーチの下で見送ってくれた。そんな跡地に深々と一礼する。
「あゆみー、そろそろ行くよー!」
 タイミングを見計らっていたのだろう。手だけ合わせて先に車に戻っていた加奈子が窓から手を振っていた。
「今いくー!」
 卒業演奏会で披露できなかった練習の成果を、いつかどこかで披露したい。できれば、あの時出演するはずだったメンバー全員で。
 加奈子と再会した二年前のあの日、泣きながら語り合った過去を取り戻そうとするかのような夢が、地元でようやく叶おうとしている。
 卒業して県外に出てしまっていたメンバーや県内で就職して社会人となっていたメンバーにも声をかけて、ようやくこの日まで漕ぎつけた。本当は誰もが聴ける野外での演奏会にしたかったが、グランドピアノが用意できなくて体育館にした。体育館の窓やドアはできるだけ開け放って、音が聴きやすいように、みんなが入ってきやすいようにしようと、出演メンバーみんなで話し合った。
 そしてようやく始まる演奏会。
 加奈子はあの時着るはずだったワインレッドのドレスを着てピアノの前に座り、わたしは昼間、汗と涙と鼻水で湿らせてしまった母の作ってくれた緑のドレスを着てステージに立ち、ヴァイオリンを肩にのせて顎で挟んだ。
 ふ、と気配がして視線を上げる。
 静まり返る聴衆たちの中に混じって、後方、ひっそりと、しかし期待と喜びとじれったさと、いろんなものに目を輝かせうるませながら、母がわたしを見ていた。
 息が、止まった。
 お母さん。
 そう叫びそうになった。
 だけど、生きていないのだと悟ったから、わたしは涙ぐんだ眼を一度閉じた。
 開くと、母の横には父と弟とおばあちゃんも揃っていて、にこにことこちらを見ていた。
 来てくれてありがとう。
 思いの丈を込めてからわたしは加奈子に合図を送り、魂が彷徨うかのようなピアノの前奏から始まるフランクのピアノとヴァイオリンのためのソナタを弾きはじめた。

〈了〉
この物語はフィクションです。 201308250253